第165話 蒲生の報告2

――― ハーレム、ねぇ……。


 駅を抜け、とぼとぼとロータリーを歩く。迎えの車がいくつも待っていて、そのライトが時折まぶしい。目をそらしたついでに、吐息が漏れた。


 学校指定のローファーの踵を鳴らしながら、わざとゆっくり歩く。

 塾の間は集中できたけど。

 教室を出たらもうだめだ。

 蒲生君の言葉のひとつひとつが胸に刺さり、なんだか致命傷を負ったようにふらふらする。


『あんまり会えないカノジョより、毎日会える手近な女子』


 これが効いた。いや、それまでの説明もいちいち、心に堪えた。

 重い荷物を持ったり、危ない作業を庇ったり、自分は関係ないのに掃除を手伝ったり。


 にゃんがしそうなことだと思う。

 別に、深い考えがあるわけじゃなくて、にゃんはきっと誰に対してもそうする。


 そうなんだ。

 誰に対しても、にゃんは優しいんだ。


 別に、私にだけ、優しいわけじゃない。


 そう思うと、胸の奥がへこまされたように苦しくなる。

 まぁるく膨らんでいたそれが、ぎゅう、とつぶされて。

 息をたくさん吸い込んでも、もとに戻らない。

 まぁるくならず、べしゃんこになったまま、泣きたくなってくる。


――― 電話、してみようかな……。


 そんなことを何度も考えた。にゃんの声を聴けば、このぺたんこの胸が膨らむ気がした。


『ハーレム? なにそれ』。あきれたように言うかもしれない。『手近な女子って』。失笑するかもしれない。

 それを聞いて、安心するかもしれない。『だよね』って私は笑えるかもしれない。『蒲生君って、ひどいよね』って口をとがらせて言えるかもしれない。


 だけど。

 誰にでも優しいから、にゃんは私にそう言うのだ。

 私を傷つけたくなくて、そんなことを言うのだ。


 そう思ったら。

 リュックの中に入れたスマホを取り出す勇気が出なかった。


 結果的に。

 私は、ゆらゆら上半身を揺らしながら、家までの道をゆっくりと歩いていく。

 うつむいて。


「今川……?」

 そんなとき、背後から私を呼ぶ声が聞こえた。

 反射的に振り返る。


「……にゃん」

 声が漏れた。


 数歩後ろには、にゃんがいた。


 学生服じゃなくて私服だ。どこかの帰りなのか、背中にはリュックを背負っている。学生服とは違う、なんだかラフな格好。駅から届く人工光を受け、彼だけくっきり姿が浮いて見えた。


「お前も塾帰りか?」

 にゃんは言いながら、私に近づこうと足を速める。


 とっさに。

 逃げようと思った。


 今、ちょっと無理。もう、いっぱい、いっぱいです。

 ぐっと足に力を入れ、踵を返そうとしたとき。

 ぎゅっと手首を握られて息を止めた。


「悪い、ちょっと話聞いてくれないか?」


 ぽかん、と立ち尽くしていると。

 にゃんは、見たこともないほど、しょぼくれた顔で私を見下ろしている。


「ほんのちょっとでいいから」

 耳を伏せた大型犬のような風情で言うにゃんは。

 くぅん、と鳴きそうだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る