夏休み

第152話 三者面談1

「織田は、公務員志望でいいんだな?」

 生徒用の机を挟み、向かいに座っている藤原先生が俺の顔を見て確認する。

 三者面談中の教室には、俺と担任の藤原先生。それからお母さんしかいない。


「はい」

 返事をすると、隣から盛大なため息が聞こえてきた。ちらりと視線だけ向けると、お母さんが額に手をついてうつむいている。


「お母さんは、反対ですか」

 苦笑交じりの藤原先生の言葉に、お母さんはかっと目を見開く。こわ。


「だってね、先生! 公務員志望なら、なにも工業高校になんて入れませんよっ」

 牙を剥きそうな勢いでお母さんは藤原先生に身を乗り出した。


「まぁ……。はぁ」

 藤原先生は思い切り背をのけぞらせ、苦笑いで母親の噴き出す感情をかわす。


「この子、成績は悪いくないんでしょう!?」

 俺に向けられた人差し指は、勢い余って俺の左肩に刺さり、「いたっ」と言われて、いらだち紛れに殴られる。え。俺のせいかよ。


「成績は、いいですね」

 藤原先生のうなずきに、お母さんはほぼ、中腰になった。


「だったら、私は一般企業に就職させたいんですよっ」

 続いてお母さんがマシンガンのように吐き出す企業名は、大手ばかりだ。


「……まぁ、織田の成績でしたら、可能でしょうねぇ」

 ちらりと藤原先生が手元の資料を見た。俺やお母さんからは見えないように配慮したかたちで、目線が文字をなぞる。


「ただ、資料を見る限り、織田は一年生のころから一貫して、公務員を志望していますし……。公務員対策のゼロ授業も無欠席ですからね。本人の意思は固いのでは?」

 お母さんに穏やかな声をかけるが、その音波を霧散させるほどお母さんの怒気がすごい。


「本人がどうしても、というので三年になって塾にも行かせておりますけどね。私は、大企業に就職してほしいわけですよ、先生っ」

 お母さんは机に手をつき、完全に先生に向かって身を乗り出す。


「大手ほど、各種手当もしっかりしていますし、ほら。今好景気でしょ? 労働人口自体が減ってきているから、若手をしっかりと育てよう、って気概もあるじゃないですかっ。今、ここで企業に就職せずに、いったい、いつ就職するって言うんですっ」

 熱弁に、藤原先生も俺も呆気にとられる。


りつっ。あんた、今から一般企業を希望、って変更しなさいっ。そして、上を目指せっ」

 その勢いのまま、俺に顔を向けるから、危うくうなずきそうになって、思いとどまる。


「塾に通わせてもらってるのはありがたいと思ってるし、塾代は進路が決まったらバイトして返すから……」


「そんなこと言ってないっ」

 最後まで言わせてもらえず、噛みつかれそうになる。


「まぁまぁ、お母さん。ちょっと、織田の意見も……」

 藤原先生が手を伸ばそうとして、それから慌てて手を引っ込めた。お母さんに睨まれたからだ。


「知り合いのお子さんは、黒工から〇〇に入って、初年度のボーナスが二百万ですよ! 『本当に!? じゃあ、うちも』ってなるじゃないですかっ。それなのに……っ」

 この、あんぽんたんが、とじろりと睨まれたが、とりあえず無視を決め込む。


「……まぁ。お母さんのおっしゃった企業については、ちょっとこちらも、怪しいな、とは思っていますよ。危険作業とか、長時間労働とか……」

 藤原先生が苦み走った顔でそう声をかけると、途端にお母さんの毒気が抜けた。


「……え。そうなんですか?」

「そういう一面もあるのではないか、と就職課では危ぶんでいるところです。ですので、給料が良い、というところだけを見るのではなく、勤務形態であるとか、作業内容であるとか。そういうところも重視していただきたいんですよね」

 藤原先生は噛んで含めるようにお母さんに言った後、顔を俺に向ける。


「お前、評定平均が、ものすごくいいんだ。これだと、大学の推薦枠を狙えるんだが、それはどうだ?」


「え。そうなんですか?」

 お母さんがきょとんとした顔でそう言い、間髪入れずに「例えばどこの推薦枠が」と藤原先生に聞いている。

 藤原先生が順に上げる大学名を聞くや否や、今度は、「進学、進学」と騒ぎ始めた。


「うちのどこにそんな金があるんだよ」

 思わずそう言うと、お母さんはびっくりしたように目を見開く。


「奨学金をつかったら?」

「借金はいやだ」


「奨学金よ」

「借金だよ」

 俺はお母さんから藤原先生に顔を向け、「すいませんけど」と声をかけた。


「第一希望は、〇市で。第二希望は、警察か自衛隊を受けようと思っています」

「お前がそう決めたんならそれでいいが……」

 藤原先生は、ふと首を傾げた。


「どうして公務員にこだわるんだ?」

「母が公務員なんです」

 俺は真横に座るお母さんを指さす。「え」と藤原先生は声を漏らして、慌てて机の上に置いているファイルをめくる。どうやら個人票のようだ。


「市立の……。幼稚園教諭をしております」

 お母さんは、ぶすっとした顔で藤原先生に告げ、藤原先生はファイルを繰る手を留めた。


「そう、でしたか。じゃあ、その影響で……?」

 ちらりと俺を見るから、俺は大きくうなずく。


「公務員ならそうブラックなところもないでしょうし……。余暇をつかってやりたいこともあって……」

 俺が言うと同時に、お母さんが大ため息をついた。


「男ならもっと大きく夢をもちなさいよっ。がつん、と大勝負に出なさいっ」

「俺は安定性が欲しいっ」

 思わず怒鳴ってしまって、結局、いつも通りの口争いだ。


「お父さんのように、勝負してみろ」「夢に賭けろ」「やりたいことをやってこい」

 そんなことをお母さんが口にする。


「その結果、家がどうなってるよっ」「子どもの気持ち考えろっ」「米と塩だけの生活は俺にとってトラウマだっ」

 俺がいい返し、お母さんが呆れたように首を横に振った。


「どう思います? 男なのに、こんなにチャレンジ精神がないなんて……。なんでこんな風に育ったんでしょう」

 藤原先生に、同意を求めるようにお母さんは眉根を寄せた。


「お父さんの子だとは思えないわ」

「……そのお父さん、今、どこにいるんだよ」

 突き放すように言うと、「さぁ」とすっとぼける。


「出張、とか?」

 藤原先生が助け舟を出すように言った。俺とお母さんを交互に見るから、俺は肩を竦めて見せる。


「去年の正月には帰って来てましたよ。なんか、金を掘る、とかなんとか」

「遺跡発掘じゃなかった?」

 きょとんとお母さんが俺に尋ねるから、またあの放蕩親父は目的を変えたのかもしれない。

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