第151話 商店街2
「ぎゃあっ」
思わず悲鳴を上げて飛びのく。同時に、背後のお店の壁に、ごちん、と後頭部をぶつけ、「うぐ」とうめいた。「今川っ」と慌てたようなにゃんの声が聞こえたような気がしたけど、それを上回る怒声がかき消す。
「やってらんねえわ! なんだこれ! なにをみせつけられてんだっ!」
「カノジョどころか、クスノキにまで愛されやがって、こいつ、死ねっ」
「島津先輩――――っ! 島津先輩っ、どっかにいませんかっ! 織田を殺してっ」
わぁわぁとそのおっかない怒声を、私は打った後頭部を押さえて聞く。いったぁ。もう、目が開けられない。
「うるせぇな、黙れっ。迷惑だろっ」
にゃんの声は、「「「お前が迷惑だっ」」」という三人分の怒号に消える。
「おい、帰ろうぜっ」
「クラスメイトの前でいちゃいちゃする奴は、ホタルの幼虫に食われちまえっ」
「クスノキまみれになれっ。この猫野郎めっ」
吐き捨てる声が次第に小さくなる。ずきずきする後頭部をこらえて目を開けると。
にゃんの同級生たちの背中は、もうだいぶん遠ざかっていた。
「………ごめん」
痛いやら恥ずかしいやらで、私は涙声のままにゃんに言う。
「いや、別に……」
にゃんは私の隣で立ったまま、ぼそりとそう答える。
その顔はまだ少し赤くて。
それに気づいた途端、自分自身の心臓が早鐘を打つ。
なんとなく。
気まずくて。
私は心臓の音に合わせて痛みを発する後頭部をずっと手で撫でていて。
にゃんは私の隣で、無言で立っている。
その前を、城に向かう何人もの観光客が素通りしていった。
「あ……」
にゃんが何か言おうと口を開いたけど、制服のポケットに入れていた私のスマホが鳴る。
どうしようと目を揺らしていると、「スマホ」とにゃんに言われ、慌てて取り出す。
表示されているのは、『お母さん』という文字。
私はにゃんに背を向けてスマホをタップする。耳に押し当てて「もしもし」と小声を出した。
「
「今、駅に向かって歩いてるところ。文房具屋さんに寄ってて……」
つい早口で。ついでに、言い訳がましいことを言ったのだけど、お母さんは気にしなかった。文房具屋さん、っていうのが私らしかったのかも。
「そうなの。あとどれぐらいかかる? 数分?」
「うん。五分ぐらいかな」
言ってから後悔した。しまった、なんかほかに理由をつけて「まだだいぶんかかる」とか言えばよかった。そしたら、にゃんともう少し話せたり、お茶とかできたかも。
「また、ロータリーに近づいたらスマホに連絡して」
通話はそう言って切れてしまった。
「お母さん、迎えに来てるのか?」
背後からそっと声が聞こえてきて、私はうなだれたまま「うん」と答える。
「せっかく会えたのに、ごめん」
吐いた声は後悔で苦い。自分の声がざらりと不快だ。
臨機応変にできない自分も。
お母さんに、「にゃんと会っている」と言えない自分も。
にゃんのことを隠そうとした自分も。
「今川の進路とか、俺の就職とか決まるまで、あんまり会わないでおこうとおもったんだけどさ」
ふと、にゃんの声が頭上から流れてくる。
「夏休みとか……。一日ぐらい、会えないか?」
俯いていると、ぽすり、と頭に手を置かれた。ずきずきと痛んだ頭を、ふわりと大きな手が撫でる。
そっと目を上げると、にゃんがいたずらっぽく笑っていた。
「今度は警察官の来ないどっかで、花火やろうぜ」
うん、と頷いて笑う。
「お母さん、ロータリーにいるのか?」
にゃんが駅の方を指さすから、「そう」と答えた。じゃあ、とにゃんは言って歩き出す。
「途中まで一緒に行こうぜ」
私は慌てて小走りに駆け、横に並ぶ。
すると、やっぱり、あのすーっとする匂いがした。
「これ、なんの匂い? スプレーかなんか振ってる?」
さすがに二度目は慎重に私は尋ねた。思い返しても、なんで私、にゃんのシャツに直接鼻を近づけて嗅いだんだか……。赤くなるどころか、汗が出る。
「クスノキの葉の匂い。あんまり製品の
にゃんは自分の肩口に顔を近づけ、眉根を寄せる。
「そうかなぁ。良いにおいだよ」
真顔で言うと、なんだかにゃんがまた顔を赤くするから、私もどぎまぎする。
「蒸留させて、結晶だけとるんだけど」
にゃんから顔を逸らせていたら、そんな声が流れてきた。
「クスノキ?」
尋ねると、「おう」とぶっきらぼうに言われた。
「結晶が樟脳だから、そっちは実験で使うんだけど。蒸留水は捨てるんだ」
「へぇ」
「その蒸留水、クスノキの匂いがずっとするやつで……。科長に聞いたら、風呂とかに入れたらアロマの代わりになるらしい」
そうなんだ、と目を丸くする。こんなにいい香りなら、そりゃアロマとして利用できそう。
「いるんなら、またお前の家のポストに入れとくけど」
「いるいるいるいる!」
勢い込んでうなずくと、小さく噴き出して笑われた。あ。馬鹿にしたな、と思うものの、欲しいものは欲しい。まぁ、それに。にゃんの笑顔は貴重だ。久しぶりに見て、うれしくなる。
「じゃあ、瓶に入れて……。袋に入れて、ポストな」
「了解」
おどけて敬礼をすると、その手をぐっと握られた。
びっくりして目を見開くと。
「駅まで」
眼のふちをちょっとだけ赤くしてにゃんが言う。私と手をつなぐ。
「……まぁ、うん」
私は顔どころか首まで真っ赤になりながらも、つん、と顎を上げた。
「駅まで、ね」
精一杯かっこをつけてそう応じる。
くすり、とやっぱり笑うにゃんを、「なによ」とにらみつけながら、私たちは駅まで手をつないで歩いた。
ずーっと、ふたりで。
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