第148話 クスノキ
◇◇◇◇
「……まじか……」
俺は呟き、電子はかりの上に乗った
「十八g」
実際に蒲生が読み上げると、そのあまりの軽さに改めて衝撃を受けた。
「ゴミ袋いっぱいのクスノキの葉で、たったこれだけかよ」
茶道部がため息をついて腰を伸ばした。ぐん、と背伸びをし、やつは化学実習室の床に放り出したままのビニール袋を見やる。
市指定の中サイズゴミ袋だ。
そこに、クスノキの葉だけをぎゅうぎゅうに詰め込み、さっき、水蒸気蒸留をかけたところだった。
「もう、液化した段階で、ぼくは嫌な予感がした」
軽音楽部が、がしがしと頭を掻きむしりながら言う。
そう。
中袋いっぱいのクスノキから採れた液体は思っていたより断然少なかった。
この段階で、皆が、「え?」とはなった。
「こんなんじゃ、セルロイド作れないぞ。樟脳がキロ単位で必要なんだろ?」
俺は途方に暮れる。科長にはもう、「精油の取り出し」と「セルロイド作成」を目標に課題研究に取り組む、と言ってしまっている。
「水蒸気蒸留の仕方は問題なかったよなぁ」
蒲生が不安げに背後を振り返る。
実習室の机の上には、簡易的に作った水蒸気蒸留装置がそのままに置いてあった。
簡単に言うと。
水蒸気を発生させるヤカンのような容器。
それから、クスノキの葉と水を詰めた、寸胴のような大きさの瓶。
最後にビーカー。
いずれも蓋つきで、圧力も調整できるようになっている。
この三つを管でつなぐ。瓶とビーカーにつなぐのは、リービッヒ冷却器だ。
流れとしては。
水蒸気を発生させるやかん的容器から、蒸気を寸胴のような容器に流し込む。葉に直接蒸気をぶちあてるのだ。ここで、葉の成分を蒸留させ、リービッヒ冷却器でビーカーに結晶と水を落とし込むのだが。
当初、水蒸気の量だけでは上手くいかず、寸胴瓶を水の張った大鍋につけ、外側からも加熱することにした。
途端に、上手く蒸留が始まり、喜んだのだが……。
「いいだろ、あれで。科長もいいと言っていたし」
俺の声は不満で少し低い。なんだ、この効率の悪さは。
「……枝、じゃねえよな?」
不安そうにつぶやいたのは軽音楽部だ。
「「「は?」」」
俺たちは声をそろえてやつを見る。三人の視線に軽音楽部は一瞬ひるんだが、軽音楽部はすぐに、白衣のポケットに手を突っ込んで俺たちを見回した。
「いや、ぼくたち、『葉』だけ、使ったじゃないか。もしかして、枝や幹の方から、精油って採れるんじゃね?」
「いや、それはないだろう」
俺は首を横に振る。アロマの精油だって葉を使うじゃないか。俺の隣で蒲生もうなずく。
だが。
「待て。
茶道部の言葉に、誰もが動きを止める。
「……確かに……。松脂も、油、だよな……」
蒲生が慎重に言い、顎を指でつまむ。白衣の袖口に、さっき蒸留で使ったクスノキの葉がぶら下がっていた。
「えー……。今度は、枝を取る?」
軽音楽部が顔をしかめた。
「校門前のあのクスノキ、枝切っていいのかな」
蒲生が俺を見るから、「学校に許可とっておけよ」と俺は言う。
そもそも、クスノキの葉をどうするか、と相談したとき、校門に大きなクスノキがあることに気づき、その葉を調達したのだ。
「俺、機械科から軽トラ借りてくる。荷台に上って枝を切ろう。で、そのまま
「織田、運転できるのか?」
軽音楽部が目を剥くから、肩をすくめて見せる。
「校内なら問題ないだろ」
校内には機械科が整備実習で使用する車や軽トラが何台かある。実習や課題研究で移動させるとき、教員の指示のもと、生徒が動かす時があるのだ。
その時、ちょっと俺も運転させてもらったことがあるから、なんとかなるだろう。
「じゃあ、枝の計量や粉砕はおれと軽音楽部でやる」
茶道部が言い、軽音楽部がうなずく。
「じゃあ、明日までに僕は学校側にクスノキの剪定許可を得るから、織田は機械科に話付けて、軽トラ用意。これでいいな?」
蒲生の言葉に、俺たちは「じゃあ、また放課後」と頷きあった。
◇◇◇◇
「全然、採れねぇよ!」
茶道部が電子はかりに向かって怒鳴っている。
怒鳴っているだけ元気だ。
蒲生はがっくりと肩を落としているし、軽音楽部は床に寝転がっていた。
「枝は、さらに効率が悪かったな……」
俺のつぶやきに、うなずくやつもいない。
なにしろ、期待値が……。
枝、切っているそばから、かなり樟脳くさかったのだ。
葉っぱどころの騒ぎではない。あの、独特のすー、っとする匂いが絶えず立ち上り、誰もが興奮した。樟脳にはなんか、こう、高揚作用でもあるのか、というぐらい興奮した。
なんだよ、木かよ、と。
成分は木や枝にあったんじゃないか、と。
ところが、だ。
「微々たるもんだな……」
はぁ、と俺はため息ついた。まさかの期待外れ。ほぼ、採れない。
車動かしたり、許可採ったり、枝を細かく砕く労力があれば、別のことができた……。
「もっと、どばーっ、と採れないもんかなぁ」
蒲生が呻くように言う。まぁ、そんなに簡単に取れたら、それこそ「油」として現代で使用されているだろう。
「やっぱ、葉だ。葉!」
イライラしたように茶道部が吐き捨てる。
「葉を集めよう!」
「集めよう、って言っても……」
軽音楽部が大の字になったまま、ため息をついた。
「もう、校内のクスノキの葉はとるな、って言われたんだろ? どうすんの」
ちらりと、俺は蒲生を見る。蒲生は化学実習室の窓をみつめたまま、「どうしようね」とか言っている。
なんでも。
前回、学校側が思っていたより俺たちは葉を取りすぎたらしい。それなのに、今回枝までかなり伐採した。
『これ以上は伐るな。見栄えが悪い』
学校サイドがそう言いたくなる気持ちはわかる。なにしろ、クスノキは、正門にあるのだ。それが、俺たちの手によってどんどん枝葉をなくしていくのはあまりにも、無様だろう。
「クスノキなんて、しょせん木だろう!」
茶道部が威勢よく言い放つ。
「山に行けばある! なんかあるだろっ」
こいつ、短気だなぁ……。うんざりした思いで茶道部を眺めるが、特にほかに案はない。
「お前ら、週末の予定は?」
茶道部が俺たちを睥睨する。
特にこれといって用はない。
インターハイにつながる部活はあっさりと二回戦で敗退し、早々に剣道部も引退していた。今年は一年生が豊作で、十数人の大所帯になっている。井伊ひとりでは手が回らない時もあるようなので、俺や石田が時折顔をのぞかせて手伝っているが、まぁ、週末別に行くこともないだろう。公務員対策で通い始めた塾も、時間的には「夜」だ。
「俺は、昼なら暇」
手を上げると、蒲生も「僕も」と応じた。軽音楽部だけが、「家族旅行」とぬるいことを言うので、放置することにする。
「じゃあ土曜日。葉を集めよう」
この一言により、俺たちは山に行く羽目になった。
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