第149話 山、にて
「一体、何がなにやら……」
蒲生が茫然と立ち尽くす。
その隣で、俺と茶道部も途方に暮れて周囲を見回した。
当然だが。
木、ばっかりだ。
山に入って数時間。
木、ばっかりを見ている。
「おれ、もう鼻がバカになりかかってる」
茶道部は軍手をはめた手で自分の鼻をつまみ、天を仰ぐ。見えるのはきれいな木漏れ日だろう。
「みんな、名前をぶら下げてくれていたらいいのに……」
蒲生は背中を丸めてそんなことを言っている。
気持ちはわかる。
どれがクスノキなのかわからないのだ。
『じゃあ、先生の知っている人にお願いしてやろう』
クスノキを取るために山に行きたい旨を科長に伝えると、科長はそんな提案をしてくれた。これはよかった、と俺たちはさっそく、今日、ビニール袋を持って指定された山に来たのだが。
どれがクスノキなのか、わからないのだ。
校内にあるクスノキは、『クスノキ』と看板がぶら下がっているし、誰がどう見ても、クスノキだ。
だが、いざ山に来てみると、なにがクスノキで、どれがクスノキじゃないのかよくわからない。
当然だが、「山、全部クスノキ」なんてことはないのだ。
普通に、いろんな木や草が生えている。
スマホでネット検索してみて画像と比較してみるが、クスノキに似ているようにも見えるし、似てないようにも見える。
結果的に。
これだろうか、と思う木の葉っぱをちぎり、『匂いで判断』することにした。
ようするに、樟脳臭ければ、クスノキだ。
そんなことを繰り返し続けた結果、茶道部の鼻はやられ、俺ももはや「樟脳とはどんな匂いだったろうか」と悩み始めている。
もう、青臭い。なにもかもが、草の臭いに思える。クスノキなんて、この山には一本もないのではないだろうか。
だいたい、高校生男子が山に入り、葉っぱをちぎっては匂いを嗅ぎ続けるこの光景を他人が見たらどう思うだろう。
「……あれ、クスノキじゃない?」
ふと蒲生がそんなことを言いだす。「ん?」。俺は目を転じた。さくさくと葉を踏みしだきながら、蒲生が木々に分け入っていく背中が見える。
その向こうに。
確かに、クスノキらしい木が見えた。
「だいぶん小さめのクスノキだな」
茶道部が言う。「クスノキだとしたらな」と俺は念を押した。もう何度この会話を続けてきたかわからない。
「葉をちぎってみるね」
蒲生は言いながら、木に近づく。
その時、「ん?」と思ったのは確かだ。
蒲生が、降りているのだ。
俺たちが今いる場所より、少し低い。
傾斜地にどうやらそのクスノキは、はえているようだ。
「よい、しょ」
蒲生がへっぴり腰で枝に手を伸ばす。なんだか危なっかしい。
「蒲生。枝につかまって葉を千切れ」
茶道部が声をかける。俺もうなずいた。それが安全だ。
「わかったー」
蒲生が間延びした声を上げ、手近な枝をつかむ。
途端に。
ぼきり、と。
枝が折れた。
「ぎゃあああああああっ」
「「蒲生おおおおおおおおっ」」
折れた枝を握って傾斜地に消えていった蒲生を、俺と茶道部はあわてて追う。
「あ!」
不意に、先に走っていた茶道部が足を止めた。「なんだ!?」俺は勢い込んで奴に尋ねる。蒲生がどうかしたのだろうか。
「樟脳くさい! この木、クスノキだっ」
振り返り、茶道部が満面の笑みで断言した。
俺も顎を上げ、空気の匂いを嗅ぐ。さっき、蒲生が枝を折ったからだろう。樟脳の匂いが周囲にわずかにしている。
「クスノキだ!」
「やった!!」
俺と茶道部はビニール袋を放り出して抱き合い、歓喜の声を上げる。
「帰れる!! これで、家に帰れる!! 蒲生、ありがとうっ。もう、二度と来るか、こんなところっ」
「よかった!! ようやく、クスノキに巡り合えた! もう、あの木は黒工指定のクスノキとして、代々保存していこうっ」
疲労と、蓄積し続けた精神的ダメージ。
それに、「どうして、植物から油を取るだけなのに、こんなに何もかもうまくいかないのだろう」いう思いから、半ば泣きながら喚き続ける俺たちが。
「助けてくれええええええええええ」
という、傾斜地の奥から聞こえる蒲生の声に気づいたのは、それから随分後だった。
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