第147話 課題研究決定2
「「「あー……」」」
思わず、俺たち三人の声がそろう。
今、二年生になる服部とかいう部員だ。
とにかく粗忽で注意散漫な男らしく、島津先輩在学時から手を焼いていたが……。
どうやら、進級してもへっぽこのまま、やつは変わらなかったらしい。
「それで、近所の川からとにかくカワニナを採って来てさ、ビオトープに放して育てることにしたんだよ。水槽で育ててたら、水槽ごとやられるから」
今度は、ビオトープがやられるんじゃないか、と俺は思ったが、その心を読んだのか、蒲生がむすっと口をへの字に曲げた。
「へっぽこには、ビオトープに近づくな、って言ってるから大丈夫。で、去年、そうやって稚貝を育ててたらさ。三年の先輩たちが、藻を育てるんだ、とか言い始めて、ビオトープに放したんだよ。そしたら異常繁殖というか、適応がすぎるっていうかもう。藻だらけ! またうちの稚貝が死にかけてさっ」
「……まぁ。あのビオトープは、工業化学科の持ち物だしなぁ」
茶道部が、ぼりぼりと首の後ろを掻いている。軽音楽部もうなずいた。
「化学同好会の私物化はいかんだろう」
「だけど、先に住んでたのは稚貝だ!」
蒲生は大声で主張するが、いや、稚貝だって、あとから来ただろう。
「ようやく三年生の課題研究が終了したのに、また次の『油班』が来て、ビオトープを無茶苦茶にしたら困るから、僕、率先して『油班』に入ることにしたんだ」
蒲生は小鼻を膨らませて主張する。
「ビオトープの稚貝を守るためにね!」
いや、まず、へっぽこを成長させたらどうか、という俺の意見は却下された。
「じゃあ、どうすんだよ。なにから油取る?」
俺はため息交じりに蒲生に尋ねる。蒲生は、「ふっふっふっふ」と不気味な笑みを浮かべる。
今年、化学同好会には新一年生が五人ばかりはいって来た。そのうちの三人が女子なのだが、服部のことは「へっぽこ先輩」と呼んでいて、若干迷惑に感じており、蒲生のことは「ブロッコリー先輩」と呼んで慕っているようだが……。
この奇妙な表情を女子の前で出すなよ。ものっすごく、気味が悪い。全員退部しそうだ。
「クスノキにしよう」
「「「クスノキ?」」」
蒲生の言葉に、俺たちは全員で声をそろえる。
「クスノキから油がとれるのか?」
いぶかし気に尋ねたのは軽音楽部だ。俺だって同感だ。
「採れる。
「樟脳って……。あれか? 衣類の防虫に使う?」
俺が尋ねると、蒲生は大きくうなずいた。茶道部が意外そうに、「あれ、クスノキからとるのか」とつぶやいた。俺も知らなかった。だが、軽音楽部は樟脳自体知らなかったらしい。
「樟脳ってなに」
と真顔で俺に言う。
「防虫って、ナフタリンじゃなく?」
「樟脳だ。ナフタリンが発明されるまでは、樟脳を使ってた」
俺が言うと、「へぇ」と驚いている。
「樟脳って、油なのか?」
茶道部が眉根を寄せて俺たちを見回す。言われてみればそうだ。そもそも、「油班」なのだから、「油」を俺たちは採らなければならない。
「樟脳は精油だ」
蒲生が薄い胸を張って断言する。
「クスノキが主成分の精油で、融点180℃、沸点208℃の昇華性結晶であり、カンフルやセルロイドに使われる」
「カンフルかよ」
ちょっと俺は引く。
「結構劇薬じゃないのか? 大丈夫か?」
うちは姪っ子のサクがしょっちゅう出入りするから、危険なものに触れたりするのは勘弁したい。
「精油にするだけなら問題ない。別にカンフルを作るわけじゃないんだから」
蒲生は早口にそうまくしたてた。
「茶道してる人の中には、ナフタリンは化学品だから、樟脳のほうが安全、とかいう人いたけど……。樟脳もやばいな」
茶道部が乾いた笑い声を漏らす。その隣で軽音楽部も口をへの字に曲げていた。
「科長には実はもう相談してて、内容的には問題ないって言われてるんだ。精油自体は問題ない」
蒲生の説明に、俺たち三人は顔を見合わせる。
まぁ、科長が問題ない、というのなら平気な内容なのだろう。
「……よく考えれば、『植物から効率よく油をとる』のが目的だもんな」
茶道部が腕を組み、唸るように言う。
「それにおれ、合成樹脂の企業に入りたいんだよ。樟脳を作るときにセルロイドも作らせて貰えるんなら、おれは賛成」
続いたのは、軽音楽部だ。「ぼくも」。ぴしり、と挙手をする。
「樟脳にはあんまり興味わかないけど、確かにセルロイドを作るのは面白そう。企業面接時にアピールできるしね」
にんまり笑ってそういった後、全員の視線が俺に向く。
「……まぁ。塩酸作るよりは安全だろうし」
仕方なく俺も同意し、そうして俺たちは「クスノキから精油成分を効率的に採る。そして余力があればセルロイドを作ってみる」方法を研究課題とすることになるのだが。
その後、地獄が待っていることを、この時点では誰も知る由がなかった。
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