第141話 ホワイトデー3

「お姉ちゃんが一緒に作ってくれたらよかったのにぃ!」

「姉ちゃんだって忙しかったの。だいたい、いつまでも姉ちゃんに頼らない」

 俺と電話しているはずなのだが、今やお姉さんとの会話を俺は聞かされている。


「それにさ。どんなお菓子でも、りつ君は嬉しい、って」

 陽気に笑いながらお姉さんが今川に言う。


「あんたが、一生懸命作ったんなら、最初はそれでいいんだって」

 ねー、律君、とお姉さんが大声を張るから、俺は苦笑する。


「姉ちゃんと作ったら、『姉ちゃんの作ったクッキー』になっちゃうでしょ。あんたがちゃんと作りなさい」

 じゃあね、と言う声と、ばたりと扉が閉まる音が聞こえてきた。部屋から、でていったらしい。


「……ちょっと、時間と日にちが厳しくて……」

 しばらく電話口で押し黙っていた今川だが、意を決したようにそう切り出した。


「だけど、にゃんが、私にお菓子を作ってくれたのが、ものすごく嬉しかったから、私も、にゃんに作ろうと思って……。だけど、お姉ちゃんと日にちが合わないし」


 うぐ、とそこで今川は一度言葉を切る。

 まぁ、あの感じじゃ、お姉さんの方は合わせる気がなかったみたいだけど。今川は、また話し出す。


「で、今日、短縮授業で……。塾もなかったし……。両親もまだ帰ってなかったから、クックパッド見て、作ってみたんだけど……」

 だんだん、語尾が小さくなる。


「早くにゃんのところにもっていかないと、今度、お母さんたち、帰ってきちゃうし……。見た目は綺麗にできたから、大学から戻ってきたお姉ちゃんに車運転してもらって、持っていったら、味見する、時間がなくって……」

 最後は消え入りそうな声になった。


「ごめんね……」

「うれしかったよ」

 潤んだ声を打ち消すように、俺は言う。


「今川が、俺のために作ってくれて、うれしかったし、なんかちょっと、どきどきした」

 勉強机に広げたクッキーを眺め、俺は電話の向こうの今川に話しかけた。


「家族以外から、手作りのなにかをもらったことなかったから。すげぇ、感動した。今川が、俺のために時間作って、何かしよう、って思ってくれたことに、なんかこう……」

 そこまで言ってから、俺は頭を巡らせたけど言葉に詰まった。


「なんかこう……。適切な言葉が思い浮かばないんだけど。その……。ありがとう」

 言った途端、電話口から、「ひぃぃぃぃっく」としゃくりあげる声が聞こえて、ぎょっとする。


「今川!?」

 慌ててスマホを見るが、当然そこに今川の顔があるわけでもなく。


「ありがとう、にゃん」

 聞き取れたのは、そこだけだ。


 あとはもう、涙声だし、鼻をすするし、かむしで、何を言ってるのかよく分からなかった。

 ほとんど、うめき声だ。「今度こそ」とか、「絶対」とかいう単語は理解したので、どうやら、リベンジを考えているようだが、まるで呪いでも吐かれているかのような声音が怖い。


「でも、電話でよかった……。今、とても人に見せられる顔じゃない」

 数分後には、鼻声ではあるけれど、「人語」を話せるようになった今川がそう言って、少し笑う。


「また、今度、ゆっくり会いたいね」

 今川がそういうから、「おう」と答えながら、それが一年先だということは、お互い解っている。


 だから。

 なんとなく、「じゃあ、次いつ会う?」という言葉も、「今度どこに行く?」という会話もできず。


 俺たちはしばらく、黙ったままスマホを握っている。


「……親御さん、もう帰ってきてるんだろ?」

 俺が切り出すと、「うん」と今川が声を潜める。


「今、多分お姉ちゃんがリビングで気をひいてくれてる。……から、大丈夫、だと思う」


「でも、誤解されてもなんだから……。もう、切る」


 俺の言葉に対し、今川はしばらく何も言わなかった。

 どれぐらい待っただろう。三十秒だろうか。一分はなかったと思う。「うん」とやっぱり小さな声が聞こえた。


「クッキー、ありがとな」

 俺の言葉に、今川は、消え入りそうな声で、「うん」と答え、通話を切った。


◇◇◇◇


「今川からは、もうもらった」

 そう言った俺の語尾を食い気味に、「なにを、なにを」と石田に連呼される。


「クッキー」

 らしきもの、とは言えなかった。


「手作り!?」

 勢い込んで石田に言われ、「まぁ、うん」と頷く。ちょっと、作ってる過程に問題が発生し、やけに強度があがったようだが。


「いいなあ!! おれ、いっぱいチョコ貰ったけど、本命ってない気がする」

 いけしゃあしゃあというから、「井伊からもらっただろ」と叱りつけてやる。


「来年も、お前がバレンタインにチョコを贈るのか?」


 そう問われ、なんとなく、うまい返しが口から出なかった。

 どう、だろう。


 俺がまた作りそうな気もする。

 俺的には、別にそれでもかまわないんだが。


 今川は、あんなに親御さんに気を遣うこの状況がしんどい、と思わないんだろうか。


「どう、かな……」

 俺は曖昧に石田に笑う。


 案外、もう来年は今川に別れを切り出されているような気がする。

 そんな言葉は、やっぱり、言えなかった。

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