第140話 ホワイトデー2
◇◇◇◇
二日前のことだ。
「今川さんと、そのお姉さんが持ってきたわよ」
帰宅すると、姉貴とサクが家にいて、夕飯を食っていた。
とにかく、遠慮がないから、姉貴は苦手だ。
今も、サクと一緒にお母さんが作ったカレーを食いながら、にやにやと俺を見て笑う。
「ホワイトデー当日は塾の模試かなんからしいから、今日持ってきたんだって。あんた、バレンタインに、あの女の子にチョコあげたの?」
食卓に頬杖をつき、もう片方の手で、ふらふらとラッピングバックを姉貴が揺らす。
「関係ないだろ、姉貴には」
ラッピングバックを奪い取ろうとしたら、ひょい、と躱される。
「礼は?」
すげぇ、目力で睨まれた。
「……受け取ってくださり、ありがとうございます」
ぶすっとした表情でそう言うと、「よし」と頷いて、ラッピングバックを俺によこす。俺はそれを奪い、二階に走る。後ろからは、「にぃに、遊んでー」という愛らしいサクの声が聞こえたが、「あとでねー」と口早に答え、とにかく自室に飛び込んだ。今川……。ポストにでも入れておいてくれればいいものを、なんでわざわざお前は……。しかも、あの悪魔のような姉にこれを手渡したんだ……。
ばたり、と扉を閉め、学生カバンを床に放り出す。
なんとなく。
なんとなく、ちょっとどきどきしながら、ラッピングバックを開くと。
中には、透明な袋に入ったクッキーが、たくさん入っていた。
椅子に座り、勉強机の上に中身を出す。
型抜きされたクッキーだが、アイシングされていたり、チョコらしいものや抹茶らしい色合いのものも見える。
――― へぇ……。こんなの作れたんだ……。
ちょっと意外で。
でも、「作れない」のに、「頑張った」のかもしれない、と思うとそれはそれで、こそばゆいような嬉しさがあった。
ビニール袋から一つ取り出し、口に放り込む。
放り込んで。
…………戸惑った。
なんというか。
硬いのだ……。
俺は改めて、机の上のクッキーを眺める。
その間も、口の中では、明らかに「固形」を保って、それはあった。
普通のクッキーだと思ったが、これは保存用のあれだろうか。非常食、とか……。あるいは、食べ方が違うんだろうか。ほら、カフェオレにひたして食べる、とか。
もはやこの硬さは煎餅などをはるかに凌駕する。
硬度計が必要な……、というか、むしろ、硬度計で計測したいぐらいの硬さだ。
ちょっと奥歯で噛んでみるが、ぎぎぎぎぎ、と軋み音が口内で聞こえて、若干びびる。
思わずビニール袋を見たが、販売目的ではないので、当然成分表示はない。え。これ、食品サンプルじゃねえよな、ともう一つつまんで持ち上げると、甘く香ばしい匂いがする。
再度奥歯で「それ」を噛み締めると、「がきっ」と鈍い音がして砕け、同時に奥歯同士を打ち付けた。「いてっ」と呟くが。
ふと、甘みを感じることに気づき、「これはやはり食品である」という結論を得る。
――― ……クッキー、だよな……
首をひねり、口の中で、いまだ溶けずに残る「それ」を、慎重にがじがじとかみ砕いていると、スマホが鳴った。
俺は部屋の隅で充電しっぱなしのスマホを取り上げる。タップすると、どうやら今川からのようだ。ちらりと、部屋の時計に視線を走らせる。七時。まだ、今川が携帯を親に返すまで時間がある。
「もしもし?」
必死でかみ砕いて飲み込み、俺は携帯に話しかける。
「にゃん……」
悲壮な今川の声が聞こえてきた。
「……食べちゃった……?」
震える声で尋ねられるから、やっぱりこれは食品サンプルなんだろうか、と慌てて勉強机に戻る。
「え。これ」
食えるよね、とはまさか尋ねられず、語尾を濁しながら、クッキーをつまみ上げる。いや、菓子に見えるんだけど……。匂いも。
「その、あの……。ものっすごく、歯ごたえがあるでしょ、そのクッキー」
泣きそうな今川の声に、女性の爆笑が重なる。
「もう、お姉ちゃん! そんなに笑わなくったってっ!」
今川が涙声で怒鳴り、その後ろから、「歯ごたえ……。歯ごたえ……」と息も絶え絶えになりながら、また爆笑している声が聞こえる。
以前、今川の家の前で会った、あの大学生らしいお姉さんだな、こりゃ。
「……食べた……?」
今川が怯えた声で尋ねるから、俺もなんだか可笑しくなって小さく噴き出す。
「非常に、噛み応えがあった」
そう返すと、聞こえていたのか、「苦しいっ……。笑い死ぬ」とお姉さんの声が聞こえる。ついでに笑い声も。
「ごめん!! 私も今、食べてみて……。ってか、食べられなくって……っ」
悲痛な声で今川は言い、爆笑していたお姉さんが、「これ、干したの?」とか言っている。
「ちゃんと焼いたっ!」
今川が怒って言い返しているが、炭化せずに、どうしてこの強度が生まれたのか……。
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