三学期(3月)
第139話 ホワイトデー1
「お前、勇者だな……」
背後から石田の声が聞こえ、「なにが」と、俺は釣り銭を財布に戻しながら尋ねる。店員さんが差し出してくれる紙袋を受け取り、「ありがとうございました」という言葉に会釈して振り返った。
「おれ、買えないわ、それ……」
石田が指さすのは、サクのために買った『魔法少女アリアドネ変身セット』とかいうやつだ。毎週日曜日の午前中に放映しているアニメで、サクが今、猛烈に愛してやまないキャラクターだ。
リビングのソファーに立ってはアリアドネになりきって変身ポーズを決め、保育園の帰り道では、俺と手をつないで大きな声で主題歌を歌ってくれる。なんなら、俺にも歌え、と強要するが、「にぃには歌が下手なんだよ」で逃げ切っている。
「サクの喜ぶ顔が見られるなら、安いもんだ」
そう言ったものの、実際は結構財布にいたい。約五千円……。映画何回分だろう……。しばらく、いけないな……。
「お前、今日は慎重に帰れよ。それ持って、交通事故に遭ったら、ド変態だぞ」
からから笑う石田と並んで、俺はイオンモールのおもちゃ売り場を後にする。
金曜日の夕方とあって、結構な人出だ。
しかも、来週がホワイトデーだから、今から石田につきあって向かう「ホワイトデー特設会場」は相当な混雑のような気がしてきた。
「混んでるかなぁ」
同じように考えたのだろう。石田が人の動きを眺めながら、顔を顰めている。
「何個買うんだ?」
俺が尋ねると、石田は、「十三」と答える。ということは、それだけバレンタインにチョコや何やらをもらったんだろう。うちのクラスの男子に聞かせたら、血の涙を流しそうだ。
「井伊には、ちゃんとしたやつ買っておけよ」
エスカレーター表示をみつけ、二人並んでそちらに向かいながら、俺は言う。
「井伊に? だって、それはみんなで返すだろ?」
「いやそうじゃなくて。お前だけにもらったやつがあるだろ」
俺は呆れて石田を見下ろす。
「あれ、ゴディバのめちゃくちゃ高そうなやつだったじゃないか」
井伊からは、『先輩方に』と、チョコを詰め合わせたような袋をもらった。どっからどう見ても「徳用チョコ」をラッピングバックに詰めなおしたような「義理チョコ」だったので、貰った男子部員で金を出し合い、伊達が家の近所の旨いチーズケーキかなんかを買ってくる手はずになっている。
だが。
井伊はそれとは別に石田にこっそりチョコを渡していたわけで……。
「あれは、お前にだけなんだから、ちゃんと返してやれ」
俺がにらみつけると、「えー。そういうもん?」とか言うから、殴ってやろうかと思った。井伊。こいつのどこがいいんだろう。
「そういう、織田は?」
ジャニーズみたいな顔で俺を見上げ、石田は悪い笑みを浮かべる。
「ホワイトデー、どうすんの?」
「だから、買ったじゃないか」
そう言って、ずい、と石田に「魔法少女アリアドネ変身セット」を押し付ける。
「サクからチロルチョコをもらったから、サクが欲しがっているこの……」
「いや、そうじゃなくってさ」
ぐい、と「変身セット」を押しのけ、石田は顔を寄せる。
「今川ちゃんに、買わないのか?」
にまり、と笑う。
「買わない」
俺はむっつりと答えた。
今川と付き合っていることは、誰にも言ってないのに、なんかこう、妙な勘の良さでこいつらは気づきやがる。
「なんで!!」
石田が目を真ん丸にして大声を出す。一瞬周囲を見回したが、店内全体がどこか騒がしくて、誰も俺たちを気にも留めていなかった。
「俺はいいんだよ」
そう言って、歩く速度を上げる。後ろから石田が、「なにが」「どうして」「教えろよ」と、矢継ぎ早に言葉を放ちながら、ついてくる。
「……うまくいってないのか?」
ぐるり、と俺の前に回り込み、石田が真剣に心配そうな眼差しを俺に向けるから。
俺はつい、噴出した。おかげで、「笑うなっ」と、腹にパンチを食らう。
「いや、ホワイトデーは、俺がもらう方なんだ」
俺は仕方なく、そう石田に言う。
「ちょっと、いろいろあって……」
二月が近づき、なんとなくバレンタインの広告やCMを見始めたとき、ふと思ったのだ。もし、今川が、俺になにかプレゼントを用意しようとしていたのなら。
あの親御さんがまた極度に心配するんじゃないかと。
女子同士、チョコを交換し合ってるのはよく見るし、今川も「友達にあげるチョコを用意しているんだ」で、親御さんに押し通せばいいのだが。
今川には、無理だろうな、と思った。
そして。
なにかそわそわと準備をしている娘に、あの親御さんは、余計なことを言うかもしれない。
今川はそのことにまた、傷つきそうだ。
そんな風に。
俺との関係で、今川を傷つけるのだけは絶対に嫌だった。
だから、先手を打って、なるべく「女子が作りました」的な内容のものを渡したのだ。そうすれば、「バレンタイン感」もあるし、いいかな、と。
別に、女が男にチョコ的な何かを渡すだけが、バレンタインじゃなかろうし。
そこまで思い返し、俺は内心ため息をつく。
昔はあいつ、気が強い奴だったんだけどなぁ、と……。
なんであんなに自信を無くしたんだろう。
「どうした?」
俺が急に黙り込んだからだろう。石田が、気遣わしげに俺を見る。
「とにかく、俺がマフィン作って、今川に渡したんだ。バレンタインに」
正直、これだけの情報だと、石田にしてみれば、ちんぷんかんぷんだろうな、と思ったのだが。
石田は真面目に俺を見つめた後、「それも面白そうなバレンタインだな」と笑った。
「じゃあ、今川ちゃんから、ホワイトデー待ちなの?」
再びエスカレーターに向かいながら、石田は俺を見る。
「いや、それが……」
思わず口ごもった。
実は先日。
もらったのだ。
お返しの。
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