第142話 卒業式前
「なぁ、実は額って、めちゃくちゃ堅いんじゃないかな」
突然、
「だってさ、ほら。頭突きするじゃん。プロレスとか、空手とか」
蒲生は巨大くす玉を両腕に抱え、目だけ爛々と輝かせてそんなことを言い出した。
「「空手に頭突きはない」」
黒板アートを描いていた空手部の双子が声を揃えて断言する。だが、蒲生は無視だ。
「
寝ぼけたように蒲生は繰り返す。茶道部がため息をつき、「ん」と椅子の上から俺に手を伸ばすから、俺は画びょう隠し用のぺーバーフラワーを渡した。
「お前、疲れてんのか?」
俺は蒲生に声をかける。
まぁ、気持ちはわからんでもない。
明日の「卒業式」、「三年生を送る会」に向け、とにかくこの一週間、忙しかった。
教室を彩る飾り作り。手品の準備。司会進行。色紙づくり。黒板アートの題材。
それらをグループごとに担当を決め、科単位で行うのだが、基本、みんな部活がある。
強豪部ほど、勝手に準備をさぼって部活に行ってしまうから、文化部や、俺と空手部のように、「そんなに強くない」部活のやつらにしわ寄せがくる。学校の放課後や休み時間だけでは、まるで時間が足りない。仕方なく、家にも持ち帰ったのだが……。
まさか、高校二年生になってまで、家で
また、せっかく作った輪飾りも、女子が「色配列にセンスない」とか言い出すから、茶道部など腹を立てて、以降全く作らない。おかげで俺の負担がさらに増える。
俺が一人で輪飾りに手を取られたばっかりに、蒲生はたったひとりで必死に巨大くす玉を作る羽目になった。
ちなみに、少しでも手を緩めると「勝手にくす玉が開く」から、やつは後生大事に巨大くす玉をいつも抱えて、微調整している。
その姿は、卵をかえす親鳥だ。飾り付けが終われば、やつのくす玉をみんなで調整し、「引っ張ったら開く」ようにしてやる約束になっていた。
司会進行や手品、色紙づくりはともかく。
俺たちの『教室飾り班』は、家での活動ありきだったから、睡眠時間を削っての生活だ。正直今、めちゃくちゃ眠い。しんどい、というより眠い。
「頑丈にできてるから、きっと叩かれても痛くないんだと思う。
蒲生の言葉に、俺たちは失笑する。そんなわけないだろ。俺は長い輪飾りの先を椅子に立つ茶道部に渡す。茶道部は慣れた手つきで、窓枠にそれを留めた。
カシャカシャと軽い音がするのは、空手部たちのチョークの音だ。ちらりと見やると、見事な桜吹雪が描かれている。
「うまいもんだな」
俺が言うと、空手部たちは、同時にサムズアップしてみせた。
「だから、最後に島津先輩の額を殴っても、笑って許してくれると思う」
着々と飾り付けをしていく俺と茶道部だったが、蒲生のその言葉に、再び動きを止めた。
「……なにいってんだ?」
思わず問うたのは茶道部だ。蒲生は、巨大くす玉を抱えたまま、ぐりん、と顔を俺たちに向ける。
「額は堅いから大丈夫」
だめだ、こいつ。目がいってる……。
この前のイベントで、島津先輩が勝手に帰ったことをまだ根に持っているらしい。
「大丈夫なわけないだろう。卒業式の日に、先輩の額を殴った奴なんて聞いたことないぞ」
俺は呆れ、茶道部も盛大に息を吐く。
「寝て来いよ、蒲生」
茶道部の言葉に、気味悪そうに空手部たちもうなずいた。
「絶対平気だって。なぁ、空手部のどっちか。ちょっと試しにぼくの額を殴ってみてよ」
巨大くす玉を抱えて、蒲生はよたよた歩く。黒板前にいた空手部たちは、「来るな」「寄るな」と悲鳴を上げた。
確かに、半笑いで、派手な球体を抱えて歩く蒲生からは、妙な怖さがあった。
「ぼくの額、殴ってみてえええええええ」
へらへら笑いながら近づく蒲生に、空手部たちは怒鳴った。
「我々は有段者だ! 黒帯だぞっ!」
「有段者は人を殴ってはいけないっ」
まるでエクソシストが悪霊付きに聖句を言い放ったかのように、蒲生は足を止めた。
「……なるほど……」
蒲生が小さくつぶやく。納得したらしい。空手部たちは、ほっと息を吐き、肩から力を抜いている。
「じゃ。茶道部」
ぐりん、と振り返り、蒲生が指名した。茶道部は、黙々と飾り付けを行いながら、言い放つ。
「おれも、許状を持っているから駄目だ」
「許状、関係ないだろ」
あきれて俺が言うと、「じゃあ、織田」とあっさり蒲生に名前を呼ばれた。
「俺も有段者だ。三段持ちだぞ」
うっとうしいなぁ、と思いながら、茶道部が窓枠に留めやすいように、輪飾りをたわませる。
「棒で殴るわけじゃないからいいだろ? さぁ、僕の額を殴ってみてくれ。絶対痛くないはずだから」
もう、ぐいぐい来る。
両手で抱えられないほど大きなくす玉を持って、ぐいぐい近づいてくる。
半笑いで。怖ぇえな、おい。
なんかやっぱり、こいつ、島津先輩の一番弟子だな……。
ああ、もう。面倒くせぇ。
「……歯ぁ、食いしばれよ。蒲生」
間近で足を止めた蒲生に、俺は言う。やつと俺との距離は巨大くす玉一個分だ。腕を振りかぶらなかったら、「痛い」だろうが、怪我はしまい。
「おうよ」
蒲生はなぜだか目をつぶり、顎を上げる。気持ち悪いな。
「いくぞ」
俺は言い、せえの、と声をかけて、握った拳で奴の額をなぐった。
「ぎゃあああっ」
ごちん。鈍い音と同時に蒲生は叫び、巨大くす玉を抱えて床に転倒する。
拍子に後頭部を打ったのか、またのたうった。
「馬鹿なのかな」
「馬鹿なんだな」
空手部たちは、チョークを持ったまま、そんな蒲生を眺める。
「これだからあれだ。頭でっかちはいかんな。人の痛みをしらん」
茶道部は見向きもせず、吐き捨てる。
「人の痛みがわかったら、島津先輩を殴るのはやめろよ」
俺はそう声をかけ、飾り付けに戻った。
教室の中央では。
ぐおおおおお、と呻きを上げて巨大くす玉を抱える蒲生だけが残された。
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