第137話 小学生向け『わくわく科学実験教室』6

◇◇◇◇


「プラバンのどこが「わくわく科学」なの?」

 私はベンチに座って、遠くに見える芝生広場を眺める。

 あのどこかに、第三ブースがあって、プラバン工作をしているはず。

 風が時折吹くけど、天気は快晴。湿度がないぶん、体感温度としては暖かい。春が近いんだなぁ。


 会場の芝生広場から少し離れた、カエデの木の下の周辺には、休憩用のベンチがいくつか並んでいて。


 にゃんは私と手をつないだまま、ずんずんとここまで歩いて行き、今はふたり、並んで座っている。


「アリ工の?」

 にゃんの言葉に頷き、見上げる。


「ただの工作教室じゃん。ずるい」

 口を尖らせてそう言う。にゃんは少し笑った。そんな笑顔を見たらまた、心臓がぱくり、と跳ね上がり、さっき強く掴まれた掌の感覚が蘇って頬が熱い。私はそっぽを向く振りをして、顔を背けた。


「プラバンって、OPS樹脂を使ってて、これは、二軸延伸ポリスチレンシートってやつなんだ」

 目だけもどして、「ふうん」と相槌を打つ。視界に入るのは、にゃんの手の中にあるペットボトル。あっちはミルクティー。私の手の中にあるのは、レモンティー。封を切っていないから、まだ十分にあったかい。さっき、にゃんが買ってきてくれたやつだ。


「縦と横に均等に引っ張って切って作ってるんだよ。で、特性として、再加熱すると元の状態に戻ろうとするんだ」


「あ……。だから、トースターで焼いたら、小さく縮むのか」

 背筋を伸ばしてそう言うと、「ってか、本来の大きさに戻るんだ」と笑われる。


「そういう性質の樹脂があるんですよ、って実験だ」

 にゃんの言葉に、「へぇ」と素直に頷く。


黒工くろこうのスライムは?」

「あれは、要するにポリマーなんだ」


「ポリマーって、あの、紙おむつとかに入ってる?」

 私は驚く。え。スライムって、あれでしょ。どろどろしてて、うにょーん、ってなるやつ。


「そう。せんたくのりを使ってスライムを作るんだけど、PVAって素材が入ってるんだ。そこに、ほう砂を混ぜて、反応させる」


「へぇ……」

「こどもには、一緒にスライムを作りながら、『実はコレ、身近なものにも利用されてるんだよ』って引っ張っていって……」


「説明する訳か……。なるほどなぁ……」

 私は感心するしかない。正直、ちょっと甘く見てた……。子どもも、サイエンスイベントも……。まだまだだなぁ、私……。


「私さぁ。なんか今日、へこんでばっかりで……」

 ペットボトルを両手で包み、ぼそり、と呟く。視線を感じるから、ちらりと横を見ると、にゃんと目が合った。


「後輩はどっか行っちゃうし、にゃんが来るまで人は全然集まらないし……」

 なんとなく目をみつめられず、私はうつむき加減に話を続ける。


「一生懸命、部を続けようと思ったんだけどな……」

 私はペットボトルをぎゅっと握りしめ、苦々しげに呟いた。


「なんか、上手くいかないや」

「上手くやってると思うよ、今川」


 にゃんがそう言うから、私はむっと眉根を寄せる。「上手く」なんて行っていないのは私が一番よく分かっている。それをおざなりに言われたようで、かちんと来たのだけど。


 視線が、かちり、と合ったにゃんの目は、存外真剣で、私は口を閉じた。


「俺がいる剣道部は、ほら。そもそも『既存』じゃないか。今川は『新規』に作った部だろう? 先輩がいる、いない、で大分違うとおもうぞ」

 にゃんは私の目から逸らさずにそう言う。


「先輩、後輩をしっかりと定義づけるのが難しいのも分かるし、人手が欲しいけど、無理をいって辞められるのが怖いのもわかる」


「そう……、なんだよね」

 思わず、体をよじり、にゃんと向かい合う。


「せっかく、一杯はいってくれたのに、私が無理を言って辞めていったらどうしよう、ってめちゃくちゃ思ってて……。だから、気をつかったんだけど、そしたら、誰も彼もが好き勝手言い出して……」


 本当は、和奏わかなちゃんが言うように『タイムスケジュール』をちゃんと組む方が良いこともわかっているし、凛世君が思っているように、『みんなで役割を配分』することがいいんだと理解している。にゃんが示したみたいに、『先輩・後輩』を定義づける方が、上手くいくことがあることも、知っている。


 だけど。

 それを私が強引に指示して、それで、人が辞めていくことが怖い。


 いや。

 その、責任を取ることが、怖ろしかったんだ。


「凛世、いいやつじゃないか。あいつがいるなら、大丈夫だ。お前の作った部は続く」

 ぽんぽん、と。大きな手で頭を撫でられる。

 私はまた、俯いていたらしい。顔を上げると、にゃんが口角に笑みを滲ませて私を見ている。


「引退まであと数ヶ月だろ? がんばれよ」

 そう言われ、私はゆっくりと息を吐いた。


 なんか。

 にゃん以外の人に「がんばれ」って言われたら「重荷」に思うのだけど。


 にゃんに言われたら。

 素直に、「自分にはその力があるんだ」って思えるから不思議だ。


「ありがとう」

 そう言って。


 ちょっとだけ、勇気を出して。

 にゃんに手を伸ばし、その手をきゅっと握った。


 にゃんはびっくりしたように、少しだけ目を見開くけど、すぐに、ぷい、と顔を背ける。その目の脇が赤くなるのを見て、なんだか私まで顔を真っ赤にして、慌てて手を離す。


 途端に。

 スマホの呼び出し音が鳴った。


 一瞬、自分の制服のポケットを見るけど、この着信は私のものとは違う。

 にゃんのかも。

 そう思った矢先、にゃんが舌打ちをして、白衣からスマホを取り出した。


「なんだよ」

 ぶっきらぼうな声で、スマホをタップし、耳に当てる。


「は? 関係ねぇし。いや、お前等が見せたからこんなことになってんだろ。いや、知らん。戻らん。やらん。もう勝手にしろ」

 にゃんは頑なにそう言い続けている。


 ふと。

 黒工くろこうのブースのことじゃないか、と思った。


 そうだ。今はお昼ご飯どきだ。

 きっと、交替とか休憩の連絡が来ているんだろう。


「にゃん、もうブースに戻りなよ。私も、自分の所に戻るから」

 早口に。だけど小声でそう伝えると、にゃんはちらりと私を見つめ、それから大げさに息を吐いて見せた。


「……とにかく、そっち行く」

 そう言って返答も聞かずに携帯を切る。


「島津先輩が、帰ったらしい」

 にゃんが憎々し気に吐き出した。私は目を見開く。何しに来たんだろう、あの人。本当に、暇だから遊びに来ただけなんだろうか。


「あのさ。ちょっと待っててくれるか?」

 いきなり立ち上がったにゃんは私にそう言う。スマホをポケットに放り込み、立ち上がる彼に、私は首を傾げて尋ねた。


「ここで?」

「おう」

 にゃんは言うなり、芝生広場に走り出す。「直ぐ戻るから」。そう言うにゃんに、私が頷くと、にゃんは白衣の裾をはためかせてブースに向かって走って行く。

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