第135話 小学生向け『わくわく科学実験教室』4

◇◇◇◇


「あの子達、いつになったら戻ってくるんだろうねぇ」

 私が段ボールを腕に抱えて、テント奥の凛世りんぜい君に尋ねる。「さぁ」。凛世君は興味なさそうに呟くと、いまだに一度も遊ばれていないまとを、テーブルの上に並べ直している。


 紙に点数を書き、ペットボトルに貼り付けたまとだ。


 小さな子でも興味あるように、うさぎさんとか、くまさんとか、絵をいろいろつけてみたんだけどなあ……。結局遊んだのは、幽霊部員たちだけだった。


 私は立ったまま、お腹の前で段ボールを抱える。この位置からだと、的にあたるかな。そんなことを思っていると、入り口が陰った。


――― 誰か来た……っ


「あ」

 ちょうど入り口と相対していた凛世君が動きを止め、声を漏らす。やっぱり、お客さんだ。

 思わず笑顔で振り返り、「空気砲だよ」と段ボールを差し出す。


「……らしいな」


 そこに立っていたのは、子どもではなく。

 ちょっと戸惑ったような顔の。

 白衣を着た、にゃんだった。


「………あれ?」

 私は段ボールをにゃんに向かってつきだしたまま、まばたきをする。


「なんで、いるの?」


 呆然と尋ねてしまう。一応、にゃんには伝えていたのだ。こんなイベントに参加する、って。返事は、「がんばれよ」だけで。


 私としては、「じゃあ、見に行くよ」とかを期待していたもんだから、「あ。来ないのか」とちょっとがっかりした。


 おおっぴらににゃんとは会うことができないもんだから、このイベントで会えるのなら、合法的だし、両親にも気兼ねせずに済むとおもったのだ。


 だけど。

 にゃんはそんなつもりはないらしく……。


 いや、そりゃ。お互い、「進学」「就職」するまでは、自重しよう、とは言ったけどさ。一カ月前に。


 ……言ったけど。

 たまにはやっぱり、会って話したいな、って思ったり。

 にゃんは、思わないのかな、と思ったり……。

 してたもんだから。


「え? なんで?」

 重ねて尋ねてしまう。なんで、ここにいるんだろう。


黒工くろこうのブースにいるんだ」

 言いにくそうににゃんが答える。


 白衣のポケットに両手をつっこみ、ちらりと私の背後を見た。視線を辿って、にゃんが凛世君を見ていることに気づく。


「あ。この子、私の後輩なの。名前は凛世君。凛世君。彼は黒工の……。ってか、にゃん、とうとう化学同好会に入ったの!?」

 途中から素っ頓狂な声が出る。「まさか。手伝いだよ」。にゃんは吐き捨て、それから顔をしかめた。


「化学同好会の後輩がちょっとポンコツでな……。この前、燃えたらしい」


「「燃えた?」」

 いつの間にか私のとなりに近づいていた凛世君と声が揃う。


「実験中に、なんか焦げ臭いな、と島津先輩が振り返ったら、服部ポンコツが白衣を燃やして立ってたらしい」


 呆然と立つ私と凛世君の前で、にゃんが語るところによると。


 本人はまったく燃えていることに気づかず、「ぎゃあああ」と悲鳴を上げる蒲生がもう君の前で、「どうしました?」とにっこり微笑んだそうな。


 不動明王もかくや、という紅炎を背負って端然と微笑む後輩君。

 それがもう、なんとも言えず、怖かったらしく、島津先輩が「しばらくお前は謹慎だっ」と命じたのだそうだ。


「白衣、不燃布だからそんなに燃えないはずなのに、もう、めらめらと炎が上がって、蒲生と島津先輩で、ばちばち叩いて火を消したらしい」

 そう締めるにゃんに、凛世君が首を傾げて尋ねる。


「えっと、先輩や、あんたがあの眼鏡を『先輩』って呼ぶってことは……。この時期、あの眼鏡、もう引退なんじゃないの?」

 眼鏡とは、島津先輩のことか、とにゃんが私に尋ねるから頷いた。


「島津先輩は、引退してるんだが、人手が足りず、来ている。というか、お前」

 にゃんはポケットから右手を出し、立てた人差し指で凛世君の胸を突いた。


「初対面の年上には敬語を使え。せめて、丁寧語だ。わかったか」

 凛世君が、長い睫でぱちぱちとまばたきをする。「返事は」。低い声でにゃんがもう一度言うから、私は慌てた。


「うち、敬語とかないから。私がそんなのいい、って言ってるの」

 にゃんと凛世君を交互に見て、私は言う。


「お前にも敬語使ってないのか」

 にゃんは、片方の眉だけ跳ね上げて私を見下ろす。私は大きくうなずいた。


 私が去年創部した際、入部してくれた人の中には上級生もいた。

 私は敬語を使っていたんだけど、同級生の中には、『新設部なんだから、立場は一緒じゃん』とか言い出す人もいて……。気づけば、だんだんみんな、「なぁなぁ」になってしまった。


『上級生には敬語使おうよ』

 私が同級生たちにそう言うと、なんかこう、雰囲気が悪くなって……。

 結果的に、その時のメンバーはほとんど辞めてしまったか、来なくなってしまった。


 だから、今年沢山入ってきた新入部員にはあんまりきついことも言えなくなって、気づけば、誰が上級生で、誰が下級生なのかわからない状況になりつつある。


 だけど、と思うのだ。

 辞めていかれるよりは、とにかく部に残ってくれる方がいいんじゃないか、って。


「今川は」


 よくとおる声でにゃんは私の名前を言った。

 視線をにゃんに向ける。

 だけど、にゃんが見ているのは、私じゃなく、凛世君だ。


「去年、自分でこの部を作ったんだ。生徒会に申請書を出して、教員に顧問をお願いし、他校の活動を見学して、部員を集めた。模索しながらこの部を一年間、育てたんだ」

 にゃんは、凛世君を見つめたまま、言う。


「その一年間に、お前は敬意を払えないのか」

 まっすぐな眼差しを凛世君に向け、にゃんは尋ねる。


「お前より、一年間がんばって生きた奴に、お前はなにも感じないのか」

 凛世君はしばらくにゃんを見上げていたものの、その瞳を不意に私に向けた。びくりと肩を震わせ、私は首を横に振る。


「いいのよ、凛世君。いつも通りで」


「こいつはこう言ってるけど、どうする、凛世。お前は先輩に敬語を使うのか?」

 ぴしゃり、とにゃんが言い、その口調に私が怯える。もう、凛世君が辞めたらどうするのよ……っ。思わずにゃんに抗議をしようと口を開いたが。


「はい」

 素直に返事をした凛世君に、にゃんは「よし」と応じる。私は、ぽかん、と凛世君を見上げた。え。いいの?

 だらしなく口を半開きにしたまま、凛世君を見ていると、小さく噴出される。


「先輩、頑張ってるもんね。僕、甘えてたよ。ごめんね」

「言い直せ」

 即座ににゃんがきつい声を出す。凛世君はくすり、と笑った。


「あらためて、宜しくお願いします」

 ぺこりと頭を下げられ、私は困惑する。なんと言えば良いか分からず、曖昧に言葉を濁して、それから、にゃんを見上げた。


「う、うちの部の部員にきついこと言わないで」

 胸を張って注意すると、「そりゃすまん」とあっさり言われ、これはこれで拍子抜けした。


「あと、島津先輩だが、進学が決まった。それで、半分遊びで、ここにやって来てるんだ」


「え、進学!? どこに」

 目をまん丸にして、私はにゃんに尋ねた。

 私から段ボールを取り上げながらにゃんは答える。


「公立の……。ほら、T大に、AO入試で入った」

「「T大に!?」」(※東京大学ではありません)


 また、凛世君と声が揃う。あそこのAO入試は難しいことで有名だ。成績基準が4.2以上。小論文に至っては、問題が「英語出題」だったと思う。


「グループディスカッションもあるでしょ? 確か、乾燥地域における環境問題と農業の……」

 黒板を与えられて、試験官の前で発表させられるのだ。うちも、T大に毎年何人か行くが、AOはなかなか受からない。この発表が曲者なのだ。


「あの先輩、奇妙な作物をいっつも作ってたからな……。お手の物だろう。それにほら」

 にゃんは眉根を寄せる。


「口は立つ。腹立つぐらい」

 言われて、噴きだした。なるほど。


「このブース、一段落したのか?」

 にゃんはテントの中を見回し、私に尋ねる。


「……一段落っていうか……。誰も、まだ来てない……」


 語尾になるほど声が小さくなり、気づけば俯いていた。

 ふと、和奏わかなちゃんの声が蘇る。


『なにそれ! どうなってんの、この部っ』


 全くその通りだ。

 立ち上げた当初は、私みたいに、『運動部は無理だけど、部活に参加したい』。そんな生徒のために頑張ろう、って思ってたのに。


 気づけば、いいように使われて。


 おまけに、私と一緒に活動してくれてる人が、どんどんしんどい目にあって……。

 いろいろ頑張ったのに。

 人は来ないし……。


 しわのよったブルーシートを見つめていたら、徐々に視界が滲む。泣きそうになって目に力を入れたら。


 ばおん、と。

 空気の塊がぶつかってきて、私は驚いて顔を上げる。


 拍子に涙が引っ込んだ。

 晴れた視界の先で。


 仏頂面のにゃんが、空気砲を持って立っている。


 ようやく、自分が「撃たれた」んだと気づいた。


「ほれ、手伝ってやるから。人を呼ぶぞ」

 ぶっきらぼうなその言葉に、私は目を擦って、「うん」と大きく頷いた。

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