第119話 地区予選3

『今、球場なんだ』

 にゃんにお土産を買ったものの、渡しそびれ続け、「今日こそは」とスマホに連絡を入れたら、そんな返事が来た。


『球場?』

 模試の会場から出た私は、人の邪魔にならない場所でオウム返しに尋ねる。


黒工くろこうの野球部が地区予選の決勝に進んだから、各部に動員がかかったんだ。『応援に行け』って』


『へぇ!』

 素直に私は驚いた。そんなのがあるのかぁ。


『どこの球場?』

 言いながらも、都心部の球場だろうと思ったら違うらしい。市民球場だ。


――― ここから目と鼻の先じゃない


『じゃあ、そこに行くから、ちょっと待ってて!』

 そうにゃんに告げて、私は慌てて地図検索をしながら球場に来たのだ。


「中学生の時から付き合ってらっしゃるんですか?」

 長い睫をぱちぱちさせながら井伊さんが尋ねる。莉子ちゃん先輩といい、剣道部って、可愛い子多いなぁ。


「付き合うって……。彼氏カノジョ、ってこと?」

 付き合いなら、それこそ小学生からだけど、この言い方はちょっと違うような、と尋ね返した。


「もちろんじゃないですか」

 にっこり微笑まれる。私は苦笑して首を横に振った。


「付き合ってないよ。ただの友人」

 私の声に、相手校の歓声が被さった。ちらりと視線を移動させると、打者がバッターボックスに入ったようだ。


「またまたぁ」

 井伊さんがくすくす笑うから、曖昧に躱して逆に尋ねる。


「井伊さんこそ、石田君のカノジョ?」

 なんとなく、石田君の隣に自然に居るし、石田君もそれを許してる感じがしたから口にしたのだけど。


「…………………そう、なれば、いい、です、ね」

 青空を眺めて、眩しそうにそう言われたので、「しまった」と口ごもる。なんだろう。何かあったんだろうか。私は誤魔化すように水筒の蓋を外し、口元にあてる。


 きん、と鳴り響いた音に、対岸の応援団が大太鼓を乱れ打った。


 数秒遅れてこちらの観客席もどよめくが、打者は二塁で止まったようだ。ボールを捌いた野手に、「よくやったー」と誰かが大声を張っていた。


「どうやったら、つきあえるんでしょうねぇ」

 むう、と井伊さんは口を尖らせる。


「告白しちゃえば?」

 私は何も考えずにそう言ったが、井伊さんは眉根を寄せる。表情がくるくる変わって可愛い。


「もう、9回もしました。9戦全敗です」

「お、おおう……」

 石田君、愛されてる。


「まぁ、石田先輩のタイプじゃないですしね、私」

 しょぼん、と肩を落とすから、私は首を傾げた。


「石田君のタイプ、どんなの?」

「胸の大きな、綺麗なお姉さんが大好きです」

 きっぱりと答えられた。あ、石田君、そんな感じなのか。


「胸は普通ですし、そもそも私、年下ですし……」


 眉までハの字に下げて井伊さんが言う。

 年齢を聞かなければ私より年上に見える外見なんだけど……。厳密に石田君、『年齢』にこだわってるんだろうか。なんとなく励ましたくて、「大丈夫よ」と私は声をかけた。


「いつまでも『年上』なんて言ってないとおもうよ。だって、石田君が八〇才ぐらいになったら、流石に、『年上』なんて、ほとんど生きていないんじゃないかな。きっと、年下にも目が行くと思うよ」

 うん、きっとそうだよ、と力強く頷くと、井伊さんは私をぽかんと見つめた。


「……ん?」

 不思議に思って首を傾げると、盛大に笑い出しはじめた。


「……え? なんか変なこと言った……?」

 おそるおそる尋ねると、井伊さんはぷるぷると首を横に振る。


「私はじゃあ、石田先輩が八〇才になってから、勝負を持ち込むことにします」

 目に涙を浮かべながら井伊さんは笑い、それから私の背後に向かって会釈をした。


 なんだろう、と視線を向けると、にゃんと石田君が手にペットボトルを持って帰ってきたところらしい。


「何話してたんだ?」

 石田君が私と井伊さんに尋ねる。井伊さんはにっこり笑って、「石田先輩の攻略方法です」と言っている。石田君は陽気に笑い、すとん、と彼女の隣に座った。そんな二人は、十分「付き合っている」風に見えるんだけどなぁ。


「ほれ」

 私の隣に座ったにゃんは、私の膝の上にアクエリを放った。


「いいの?」

 スカート越しにひんやりと冷たいペットボトルを握り、私はにゃんを見上げる。


「土産もらったし」

 ぶっきらぼうに言われて、私は目を瞬かせる。


「お礼のつもりだったのよ、それ」

「お礼?」

 今度はにゃんがきょとんとしている。


「ほら、4月にコンビニに助けに来てくれたじゃない」

 私が、「ほら」と言った後、周囲で歓声が沸き立った。ひとり、打者を押さえ込んだらしい。ピッチャーの名前をそこかしこで生徒が叫んでいる。


「ああ……。別によかったのに」

 にゃんは口をへの字に曲げて自分のペットボトルの蓋を切った。


 4月の。

 あれは、始業式が終わって直ぐぐらいだったと思う。

 駅から家まで歩いて帰っている途中、明らかに男の人について来られた。


 怖くなってコンビニに入って、お姉ちゃんに迎えに来て貰おうと携帯を鳴らしたのに、お姉ちゃんが全然通話に出てくれなくて……。


 咄嗟に、にゃんに電話をしたのだ。

『変な男の人がついて来てるみたい。なんか、こっちも見てくるし……。にゃん、一緒に家に帰ってくれない?』

 最後は泣き声になってたと思う。にゃんはただ、『じっとしてろ』と言ってくれて。


 すぐに、コンビニに来てくれた。


 走って来てくれたのか、汗だくでにゃんは「どの男の人?」と私に聞くから、「あの人」と商品棚の影から、指だけさした。


 にゃんは頷いて、その男の人に近づいて。

 一言二言、なにか会話をした。


 普通に。

 本当に、何気なく。

 にゃんは、男の人に話しかけていた。


 そしたら。

 不思議なことに、私につきまとってた男の人は、あっさりとコンビニから出て行ってくれて……。


「……なに」

 私がまじまじと見つめすぎたせいか、ペットボトルを傾けた姿勢のまま、にゃんは視線だけ移動させた。


「あのさ。あの時、なにを言ったの?」

「なにを」


「コンビニのとき」

「コンビニ?」


「4月の。ほら、私につきまとってたっぽい男の人に、にゃん、なんか言ってくれたじゃない」

 聞いた途端、にゃんは嫌そうな顔をした。


 直ぐそばで、「あと、ひとつ!」といくつもの声が上がる。大太鼓も、ドンドン鳴っていた。どうやら、ツーアウトでツーストライクらしい。


「あれ、なんて言ってくれたの?」

 歓声と指笛、楽器のいろんな音に負けないように私は大声を張る。「別になにも」とにゃんが、ぼそぼそと言うから、「なんて!?」と聞き返した。


「なんでもいいだろ」

 ちょっと私から体を離して、にゃんは言い淀む。珍しい。いつもなら、はっきりすっぱり言うくせに。


 グランドでは、黒工が相手校のバッターを四人で抑えて攻撃に回ったところだ。

 暑いだろうに腕まくりもせず、応援団の学生が「次の打者です!」と画用紙に書いた名前を皆に示していた。


「教えてよ。あの男の人になんて言ったの」

 私はにゃんに食い下がる。単純に好奇心だ。何故、私に隠そうとするのか、その理由が知りたかった。


「嘘ついたんだよ」

 グランドを見たまま、にゃんがぶっきらぼうに言う。「嘘?」。私は目を丸くした。

 

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