第118話 地区予選2

「なにこれ」

 驚いて目を見開くにゃんの語尾に、「次の打者でーす!」と応援団の声がかぶさった。


「修学旅行のお土産」

 私の声は、瞬時にブラバンが吹く『さくらんぼ』に消された。「え?」。案の定、にゃんが聞き返すから、手で囲いを作って、にゃんの耳元で「修学旅行!」と大声を張る。


「土産?」

 にゃんが首をかしげるから、「うん」と大げさ気味に首を縦に振った。声で伝わらないなら、ジェスチャーだ。


「お前んとこ、もう修学旅行?」

 にゃんが眉根を寄せる。私は再度うなずき、カバンを足元に置いた。


「6月に行ってきた。千葉でカヌーに乗って、ディズニーランドに一泊」

「遊びじゃないか」

 にゃんが顔をしかめた。


 観客席からは「どんまい!」と声がいくつも飛ぶ。ちらりと見たら、打者がバッターボックスから立ち去っているようだ。三振、したのかもしれない。


「でも、東大も見学したよ?」

 私が言うと、さらに顔を顰められる。


「進学校は行くところが違うな……」

 そうかな。私は首を傾げた。


「にゃん達はどこに行くの?」

 そう尋ねると、「に、にゃん?」と、驚いたように井伊さんが振り返る。


 切れ長の目がまん丸に見開かれたけど、すぐに綺麗な口唇が、ふるふると震える。「ぷ」と、小さく笑い声を漏らしたけれど、瞬時に、ばしり、と音がするほど自分の口を両手で押さえた。なんだろう、と彼女の視線を辿ると。


 私の横で、にゃんが、鬼のような形相で彼女を睨んでいる。


「前向け、前っ」

 石田君が笑いながら、井伊さんの頭を掴み、ぐりん、と強制的に前を向かせた。井伊さんは何も声を発しないけど、肩が細かく震え、ずっと口を押さえて俯いているようだ。


 ……そんなに変かなぁ、

 小学校時代の皆は、今でも、織田律を「にゃん」って呼ぶけどなぁ。


「うちは北海道だよな」

 石田君が首だけねじって私に声をかける。ちらりとにゃんを見ると、ものっすごい仏頂面だ。


「いいね、北海道。どこまわるの?」

 私は石田君とにゃんを交互に見比べた。応援団は、次の打者を画用紙で示しているところだから、そんなにまだ周囲は五月蠅くない。


「スキー体験」

 石田君は、アイドル顔負けの笑顔で答えてくれた。


「いいなぁ、スキー!」

 思わず声を上げてしまう。夏場のスポーツは結構したことあるけど、スキーやスノボ、スケートなんて生まれてから一度もしたことがない。


「スキーじゃない。あれは、雪中行軍」

 にゃんが、不機嫌そうに私の隣で言い放つ。石田君は声を立てて笑った。


「初日の、な。なんであんなのがメニューにあるんだろ」


「なにがあるの?」

 尋ねた私の語尾は、『宇宙戦艦ヤマト』にかき消えた。石田君は慌てて球場に顔を戻し、井伊さんと一緒に打者の名前を大声で呼んでいた。ひょっとしたら同じクラスの生徒さんなのかも。「打てよー」と応援もしている。


「初日だけ」

「うわっ」

 いきなり、にゃんの声が間近に聞こえて私は肩を震わせた。目だけ移動させると、にゃんが私の耳元に手を寄せて話しかけていたらしい。


「なになに?」

 私はにゃんに肩を寄せて尋ねる。


「初日だけ、『雪に慣れるため』とかいう理由で、雪山を半日、歩かされるんだ」


「リフトに乗らないの?」

 驚いて尋ねると、にゃんは首を横に振る。ブラバンがサビの部分を高らかに演奏していて、すごい音量だ。


「そもそも、初日は、スキーじゃない。本当に、雪山を歩かされるんだ。二列縦隊で、ざくざく、と。山のてっぺんまで」


 私はその様子を想像する。

 なんとなく、八甲田山だ。


「遭難しないでね!」

 すぐ間近でそう言い返すと、にゃんは口をへの字に曲げて私から体を離した。


 きん、と。

 快音が鳴る。


 私もにゃんも、同時に球場を見た。


 打者が走っている。

 歓声が上がった。

 私も思わず拍手をする。


 だけどボールは直ぐに取られ、打者は一生懸命一塁に走ったものの、ぱしり、とタッチされてアウトになった。


「自販機に行かね?」

 石田君がにゃんを振り返ってそう言う。周囲からはため息が聞こえたり、「これは厳しいかもなぁ」と弱音な発言がいくつも流れてきた。

 グランドを見ると、どうやら攻守交代らしい。


「おう」

 にゃんは立ち上がり、私から受け取ったお土産を鞄にしまうと、代わりに財布を取り出したらしい。石田君と連れだって、席を離れた。


「待ち合わせてたんですか?」


 私もお茶を飲もう、と水筒を手に持ったら、綺麗な声が聞こえてきて目を瞬かせた。

 すぐ目の前で、井伊さんがキラキラした目で私を振り返っている。


「修学旅行のお土産、渡そうと思って」

 私も笑顔を作って応じた。

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