第117話 地区予選1

 きょろきょろと周囲を見回していたら、「今川」と声が聞こえた。


 声のする方に顔を向けると、視界が真っ白になりかける。

 照り返しがまぶしい。

 目をしばしばさせて細めると、が軽く手を振っているのが見えた。私も振りかえし、観客席の通路を小走りに抜ける。


 近づくと、にゃんが自分の隣に置いていた鞄を地面に下した。座れ、ということらしい。腰かけると、熱せられた座席に顔をしかめた。


 ちらりと見上げる空には、雲一つない。

 日焼け止めクリームを塗ってきたけど……。

 焼けそう。小さくため息つくと、前の席に座っていた石田君が振り返った。


「こんちはー」

 相変わらずジャニーズみたいな笑顔であいさつされた。「こんにちは」。笑顔でそう応じると、石田君の隣に座っていた女の子が振り返る。


「こんにちは」

 きれいな声であいさつされ、私は慌ててさっきより丁寧にお辞儀をした。


 誰だろう。

 まじまじと見る。

 姫カットの女の子だ。

 顔が小さくて、背が高そう。うらやましい。


「剣道部後輩の井伊いいだ」

 にゃんが言うと、「よろしくお願いします」と女の子は再度頭を下げた。私も慌てて「今川です」と応じる。

 後輩ってことは、一年生だよね。ひゃあ。なんか、落ち着いてて大人っぽいなぁ。


「……その、制服」

 ふと、井伊さんが私の制服を指さす。


 今着ているのは、夏服だ。

 白の半そでセーラー服。多少薄手の生地ではあるけど、暑いことは暑い。クロコウのように、ポロシャツ半そでがうらやましい。


――― 模試会場から直接来たから、制服のままだけど……。


 よく考えたら、黒工くろこうの野球応援に、県立大付属の制服はまずかったかな……。

 周囲を見回すと、当然黒工の制服を着た生徒ばかりだ。


「県立、ってことは……」

「黙れ、井伊。前を向け」

 井伊さんの言葉を食い気味ににゃんが言う。だけど、井伊さんはにこにこ笑ったまま、何度もうなずいた。


「ああ、この方ですか」

「違う。お前の頭の中で考えていることは、何度も言うが、妄想だ」


「そんな、照れなくても……」

「前を向け」

 早口の応酬を、私はきょとんとしながら聞き、石田君は笑っている。


 その時。

 きん、と快音が響いた。


 途端に、地鳴りのような歓声が上がり、おなかに響く大太鼓の音が天まで上る。


 私はとっさにグランドを見た。

 二塁まで走ったらしい。胸まで土で汚した生徒が、三塁にいる生徒に軽く手を上げていた。周囲からは、彼の苗字が大声で飛び交う。


「すごいね。応援」

 私は素直に思ったことを口にする。それもかなり大きな声じゃないと、歓声に消されそうだ。


「応援団、いるからな」

 にゃんも私に顔を近づけて、大声で言った。同時に、観客席の最前列。フェンス間近にいた、冬服学ラン姿の男子が、画用紙を掲げて喚いた。


「次の打者は、彼です!!」

 画用紙には、苗字が書かれている。途端に、『ルパン三世のテーマ』をトランペットが奏で始め、区切りのいいところで、学ラン集団が、「かっとばせー」と怒鳴った。

 その後、周囲の生徒が画用紙に書かれた苗字を、メガホンで叫ぶ。


「……おお、高校野球……」

 その光景に、純粋に感動する。自分の高校の野球部が勝ち進んだら、こんな風になるのかな、とちらりと思ったけれど。


 内心で肩を竦める。

 ないな。団結力とかないもん。

 きっと、保護者だけが観覧席で必死に応援している気がする。


 ちなみに、うちの学校は、二回戦敗退。クラスの雰囲気は、「なーんだ」って感じだった。野球部の子は肩身が狭そうにしているから、「一回でも勝ったんだから、すごいじゃん」と私は声をかけたんだけど、慰めに聞こえたのかもしれない。「ありがとう」とはにかんで返された。


「さっき、二塁まで走ったのが、同じクラスメイトの奴」

 にゃんが私の耳元で大きめの声で言った。指さす方向を見ると、がっしりした肩幅の男子がガッツポーズをしていた。


「アラバスタだ」

 観客席で誰かが言い、噴き出すような笑いがいくつか上がる。にゃんも笑った一人だった。


「どうしたの?」

 尋ねたけれど、あいまいに首を横に振られる。ちらりとみやると、石田君も不思議そうだから、本当に仲間内だけの何かなのかもしれない。(※第66話参照)


「お前、水分持ってきたか?」

 不意に、にゃんにそんなことを言われた。


「持ってる。大丈夫」

 私は学校指定のカバンを膝に乗せ、ファスナーを開く。同時に、今日、にゃんに会いに来た理由を思い出した。


「はい」

 私はカバンの中から、ディズニーキャラクターがプリントされたラッピングバックを取り出し、にゃんの膝の上に置く。

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