第109話 緊急通報3

 私はちらり、と流花るかをみやった。


 流花は、手ぶらだ。

 流花の学生カバンは織田とかいうこの男が肩にかけている。

 流花はその鞄の持ち手部分を握り、ついて歩いてきたようだ。ぐずぐずと泣きながら。ハーネスを握る幼稚園児か。


「ごめんねー。うちの流花が迷惑かけたみたいで」

 私が門扉越しに、笑いながら言うと、流花が口を尖らせた。


「そうだよ。お姉ちゃんが電話に出ないから、こんなことになったんだよ」


「はいはい。全部お姉ちゃんが悪いんですよー」

 そう言って、門扉を開く。


「織田君も入ってよ。お茶でもどう」

 声をかけたが、慌てて首を横に振られた。


「ほんとだ。にゃん、走ってきてくれたんでしょ? お茶ぐらい、飲んで帰ってよ」

 流花が再度声をかけるが、織田君は「いや、いい」と首を縦に振らない。私の方に目線を向けるから、首をかしげて見せる。


「もう、遅いですし。ここで失礼します」

 殊勝にそんなことを言うから、にやりと笑ってやった。


「流花の部屋に君が入った、ってことは親には黙っててあげるから、どーぞ」

 言った途端、流花が怒鳴りだす。


「なんで、私の部屋なのよっ」


「お姉ちゃんの部屋にいれたら、変でしょうよ」


「リビングでいいじゃないっ」


「あんたの彼氏なんだから、あんたの部屋に入れときなさいな。ちゃんと、ドア、閉めときなさいよ」


「彼氏じゃないっ」

 むきー、と言いそうな勢いで流花が怒り狂うのをいなし、ちらりと織田君を見るけど。こちらは苦笑いで頭を下げてきた。


「また、日を改めて。失礼します」


 そういうと、「今川、ほら」と流花に学生鞄を手渡した。流花は私を睨みながらも、「ありがとう」と礼を言い、織田君に「ごめんね」と謝った。織田君が驚いたように目を少し見開いて、「別に問題ない」と返事をする。


 そんな様子を見ていたら、「なーんだ、まだ彼氏彼女じゃないのかな」と思わなくもないけど。


「またね」

 帰っていく織田君に手を振る流花は、見たこともないぐらい可愛い笑顔を作っている。


「ねぇ」

 織田君の姿が見えなくなってから、私は妹に声をかけた。


「あんた、警察に連絡する、とか。コンビニの店員さんに助けを求める、とか考えなかったの?」

 私の傍によって来る流花に言うと、流花は上目つかいに私を見る。


「だって、変質者じゃなかったら、って思ったらさ……。勘違いだったら、いろんな人に迷惑かけるもん」


「変質者か痴漢じゃない、その男。話を聞く限りさ。駅から、ずっとついてきて、コンビニでも見張られてたんでしょ?」

 私はあきれるが、流花はそれでも、もごもごと「だって、ただ私を見てただけかも」という。


「で、その男、どうしたの」

 並んで玄関ポーチまで歩きながら尋ねると、流花は私を見上げた。


「にゃんが来てくれて、『あの人なんだけど』って私が指さしたら、近づいて声かけてくれたみたい」

 流花がほっとしたように私に言う。


「織田君、その男になんて言ったの?」

 尋ねると、「さぁ」と流花は首を傾げた。


「お前はここにいろ、って言われて、お菓子売り場のところにいたから」

 流花は続ける。


「にゃんが普通な顔で声をかけたら、その男の人、ずっとオドオドしてて……。ちらちらこっち見てたけど、結局、なんか、私に頭下げて、コンビニを出て行って……。その後、にゃんが『家まで送ってやる』っていうから、一緒に帰ってきた」

 へぇ、と私は声を上げる。流花は不思議そうに私を見上げた。


「別に、怒鳴ったり、怒ったりしなかったんだよ、にゃん。ほんと、普通に話しかけてただけなんだけど、あの男の人、帰っていった」


「……あんた、まさか今度は自分もそうしてみよう、とか思ってないでしょうね」

 眉根を寄せてそう言うと、案の定、目線を反らす。


「やめときなさいよ。あんたがやっても、そのまま連れ去られるだけよ。今度変な男がついてきたら、警察呼ぶか、姉ちゃん呼ぶか、織田君を呼びなさい」

 断言すると、「じゃあ、にゃんを呼ぶ」と流花は笑った。玄関のドアノブを掴み、開いた妹に、私は尋ねる。


「あんたと同じ高校?」


「ううん。クロコウ」

 言われて、「あ」と思わず声を漏らした。


 あれだ。去年、文化祭に行くとか言ってたやつか。『天空の城』に出てくる女の子みたいな恰好で出かけたけど……。なんだ、うまくいってんじゃない。心配して損した。


――― だけど、あれよね


 思わず苦笑が漏れる。うちの親、絶対反対だな、これ。相手、クロコウでしょ? ないわー。絶対、怒るわ。親、絶対県立大付属のカレシ作る、って思い込んでるもんなー。


「いつから付き合ってんの?」

「だから、彼氏じゃないって」

 むっとしたように流花が振り返るから、私はにやにや笑う。


「隠さなくったっていいじゃん。親には内緒にしといてやるから」


「違うって!」


「お泊りするときは、お姉ちゃんに言いなさい。うまーく、ごまかしてやるから」


「お姉ちゃんと一緒にしないでっ」


「いやあ、あんたもなかなか楽しそうな学校生活を送ってるじゃないの」

 後ろから抱きつくと、ぎゃあ、と悲鳴を上げる。


「こんな、いたるところちっさい女の子を相手にしてくれるんだから、織田君に感謝しなさいよ」


「離れろ、馬鹿姉ぇっ!」


 私の腕から逃れ出た流花は、暴言を吐き散らしながら、洗面所に向かってしまった。

 私は笑いながら、玄関扉を閉める。もう、織田君の姿はないけれど。


「うちの妹を送ってくれてありがとうねー」

 夜闇に向かい、礼を伝えた。

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