流奈side
第107話 緊急通報1
「ただいまー」
リビングに向かって声をかけ、やれやれとばかりに私はバックを上がり框に放り投げる。買ったばかりのころは、
長時間運転したせいで、肩甲骨というか、背中が痛い。こわばった、というより、もう、痛みが出てきた。流花にシップ張ってもらおう。
そう思って、ふと、気づく。
流花の、学校指定の革靴がない。
おまけに。
なんだかやけに家の中が暗い。
「……流花―っ」
私はさらに声を張り上げる。ちらりと腕時計を見ながら、パンプスを脱ぎ、廊下を歩いた。相変わらず、返事はない。
お父さんやお母さんの靴もないけど、あの二人は仕事だろうし。
いつもならもう、流花は帰宅している時間なのに、とリビングを覗いたけれど、流花の姿どころか、電気もついていない。朝、私が家を出たまんまの状態で部屋が薄闇に沈んでいる。
部屋かな、と一瞬思ったけど、あの寂しがり屋が自室にいるはずがない。たいてい、家族の誰かが戻ってくるまで、リビングに居て、テレビをつけたまま勉強をしているのだから。
――― えー……。あいつ、塾だっけ、今日
よく勉強するやつだなぁ、と思っていたけど、高校に入ってまで塾だの家庭学習だのするから、もう理解ができない。お母さんもお父さんも、「良い大学に行って、良い就職ができる」って喜んでるけど、あいつ、学生時代に遊んでおかないと、いつ遊ぶつもりなんだろ。見てて、怖いわ。
私は一旦玄関まで戻り、バックを取り上げる。中身を引っ掻き回してスマホを取り出し、バックを放り捨てた。
「……あ」
思わずつぶやく。
着信が六件。
慌てて確認すると、すべて流花からだ。私はパネルに指を滑らせてスマホを耳に当てる。
コール一回目で流花が出た。
「お姉ちゃんの、馬鹿ああああっ」
初っ端から怒鳴られ、私はスマホを耳から離す。「ごめーん」。その状態で声を返すと、また「馬鹿お姉っ!」とやり返された。
「だって、運転してたんだもん。昨日、言ったじゃん。彼氏と日帰り温泉に行ってくる、って」
距離感を測りながらスマホを耳に近づけると、なんだか流花が鼻をすするような音が聞こえてきて、眉を寄せた。
「泣いてんの? どうしたの」
もっと情報を得ようと、ぎゅっと耳に当てると、鼻をすする音が大きくなっただけだ。うん、不快。
流花自体が少しスマホから離れたのだろう。ガサガサという擦過音のあと、鼻をかむ音がする。その後、なんだか涙声で流花が言った。
「駅から、変な男がずっとついてきてさぁ」
「はぁぁぁ!?」
思わず大声が出た。慌てて廊下に放り投げたバックを引き寄せ、上がり框に座る。耳と肩にスマホを挟んだまま、足を延ばしてパンプスをひっかけた。
「どこよ、今! あんた、どこにいるの!」
「最初、勘違いかな、帰る方向が一緒なだけなのかな、って思ったけど、ずっとついてくるし。振り返ったら、どんどん距離詰めてくるし……」
流花が、えぐえぐとまた泣きながら言うから、私は舌打ちする。
「で、どうしたのよっ」
くそ、運転で足がむくんでパンプスが入らないっ。イライラした末に、クロックスを見つけて、そっちを足にひっかける。
「遠回りしようと思って、中野の交差点を左に曲がって……」
「なんで、遠回りするのよっ」
愕然として怒鳴る。「だって!」とスマホの向こうで流花が怒鳴り返した。
「家まで付いてこられても、怖いじゃん! 家がばれるし、この時間には誰もいないしさっ!」
……おお、そうか……。それもそうかも。さすが、賢い子は違うわー……。
「で、郵便局の近くのコンビニに入ったの。その男があきらめてどっか行くまで、コンビニに居よう、って思って」
「でかした! 郵便局前のコンビニね!」
車の鍵! 私は玄関の違い棚に置かれた小物入れに手を伸ばす。さっきまで乗っていたお父さんの車。それで迎えに行こう。
「それなのに、その男、ずーっとコンビニの雑誌んところで立ち読みして、帰らなくて……。時々、こっち見るし。にやにや笑うし」
そこでまた泣きだすから、「もう大丈夫だからっ」と声をかける。
「それで、お姉ちゃんに迎えに来てもらおうとおもったら」
通じないしぃぃぃ、とまた、怒りだすから、「ごめんごめん」と謝る。まさか、そんな緊急事態だとは。
「お姉ちゃん、今からコンビニ行くから、あんた、じっとして……」
「ううん。もう大丈夫」
ぐすり、とまた鼻をすすって流花が言うから、私は目を瞬かせた。玄関のドアノブを握ったまま、「男が帰ったの?」と尋ねる。その後、慌てた。
「帰ったとみせかけて、まだいるんじゃないの!? コンビニに居なさいっ」
しかりつけると、「違うの」と流花が言う。
「にゃんが、来てくれた」
「それは、なに!? なにが来たのっ」
思わずスマホを両手で抱えて妹に尋ねる。
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