第105話 新入生歓迎会1

「……織田先輩、私もうダメかも知れません」


 体育館の床に踞る井伊いいの肩を軽く叩き、「ほれ、立て」と腕を取って引き上げる。細いからあっさり体は持ち上がった。


「一年生。同級生の面倒見ろ」

 野球部と話をしている一年男子に声をかけると、慌てて駆け寄り、「なんだよ、井伊」と呆れたように顔を下からのぞき込んでいる。


「どうしたんだ」

 茶道部が俺に尋ねる。俺は井伊を一年男子に預けて肩を竦めた。


「勢いに飲まれたらしい」

 言った側から歓声が上がり、一方では罵声というか怒号に似た声がぶつかってきて、俺の声なんてあっけなく消える。体育館だから余計に男の低音が反響する。


「ひぃ」

 井伊が背を丸めて悲鳴を上げ、慌ててまた俺のところに戻ってきた。


「怖い、怖い、怖い、怖い」

 中腰になり、耳塞ぎで俺にくっついてくるから、俺はため息着いて井伊が観ている方を眺めやる。


 準々決勝の綱引き勝負が終わったところだ。


 EチームがZチームに勝ったらしい。勝ったEチームが、これでもかと言うぐらい負けチームをディスっては煽り、いろんなパフォーマンスをするもんだから、周囲の生徒が騒ぐ騒ぐ。


「毎年、こんなことしてるんですか?」

 井伊にくっついて、一年男子もやってくる。俺と茶道部を交互に見て首を傾げた。


「そう。一年生歓迎会は、授業を一日潰して開催する」

 茶道部が別トーナメントの綱引きの様子を眺めながら返事をする。


 今日は、「新入生歓迎会」の日だ。


 これは各科によって行われ、一年生から三年生まですべて参加する。


 内容は様々で、電子機械科はボウリング、溶接科は海釣り、デザイン科は騎馬戦など、各科によって違う。ちなみに、工業化学科は「綱引き」だ。


 一年生から三年生がランダムにチームとして組まれ、トーナメントに入れられる。で、他学年の生徒同士力を合わせて優勝を目指す、というものだ。


「まさか、上級生と一緒にチームになると思いませんでした」

 井伊が相変わらずぴったりとくっついたまま俺に言う。「自分もっす」と、一年男子も頷いた。


「就職に有利になるように、らしいぞ」

 俺は、ちょっと井伊の肩を押して俺から離しながら言う。


「就職?」

 一年男子が首を傾げる。


「例えば、自分の行きたい企業に、ここで知り合った先輩が就職したとするだろ? そしたら、その先輩にいろいろ話がしやすいじゃないか」

 茶道部がにっこりと笑って言う。


「新入生歓迎会の時にお世話になりましたぁ。ほら、一緒にチームを組んだ〇〇ですぅ。あ。覚えておられませんか? あの時、いっぱい新入生いましたからね。でも、自分は覚えてるっす。でね、先輩。自分も先輩のいらっしゃる会社に入社できるように努力してるンっすけどぉ」

 茶道部が流れるようにそう言うと、「ははぁ」と一年生男子が感心した。


「だから、自分の部活の先輩以外にも顔つなぎしておけよ」


 俺が言うと、一年生男子は素直に「はい」と頷いた。素直な良い奴だ。

 井伊はというと、こっちは完全に進学するつもりだからか、いまいち反応が薄い。というより、さっきから体育館に響き渡る男どもの罵声に完全に怯えていた。


「剣道でも大声だすんじゃないのか?」

 茶道部が苦笑いしながら井伊に声をかける。


「怒鳴りあいや、悪口はいいません」

 井伊が泣きそうな顔で答えるから、思わず笑ってしまった。確かに、今も別コートで綱引きしているチームからは、「死ねやあああああっ」という声が響いてきている。


「工業化学なんてまだ女子がいるから大人しい方だぞ」

 野球部が戻ってきてそう言う。


 井伊は真っ青な顔をしたまま、

「じゃあ、ほぼ女子のデザイン科は穏やかですかね」

 と、俺に言う。


「そんなわけあるか。お前、アレは別種の怖さがあるぞ」

「騎馬戦で、頬をえぐられた女子がいたな。爪で」

 俺と茶道部の言葉に、井伊の顔が「青」というより「白」になった。


「おい、コート移動するぞ!」

 同じFチームの三年生が俺達に向かって手を上げる。「うっす」。俺達は口々に返事をし、コートに向かって駆け足をした。


「相手は、Lチームだ」


 三年生四人が腕組みをして、顎で相手チームをしゃくる。眺めやると、向こうも円陣を組んでこちらを見ていた。げ、と俺が呻いたのは、島津先輩がいたからだ。


「さっきの試合を見ていたが、口撃がひどいな」

 三年生の一人が苦笑する。


「デブがひとりいるから、アイツを重しに使って勝ち上がってきている」


 別の三年生が目だけ動かしてそう言った。なるほど、ひとり、関取か、というぐらいの体格の生徒がいる。多分、一年生だな、あれ。今からクロコウの体育を体験することにより、彼の体はどんどん絞られるだろう。


「だが、俺達だって負けられん」

 三年生の言葉に、俺達は重々しく頷く。


「優勝賞品を家に持ち帰らねばならんからな」

 三年生が断言した。


「……あれ、ですよね、賞品」

 俺の隣で井伊が小声で言う。井伊が見ているのは、体育館ステージに、積み上げられたいくつもの米袋だ。


「おう。毎年、優勝チームのチームメイト全員に、10キロの米、一袋が貰える」


 ちなみに、この経費を出しているのは、PTA会費だ。


 それぞれの科に同じぐらい経費が与えられていて、それをどう使うかはその科の自由だ。経費をまるまる全部使ってボーリングをするもよし、うちのように景品を購入しても良い。


 いつからなのかは知らないが、工業化学科の景品は、米10キロ。


 それを、入学前から親たちは知っているから、各生徒へ指示が飛ぶ。『なんとしても、米を持ち帰れ』と。


「……勝ったとしても、家まで私、持ち帰れるでしょうか……」


 不安げに井伊が言うから、「石田に頼め」と言ってやる。俺だって、自分の10キロを電車で持ち帰らねばならない。他人の10キロを更に持つ余裕はない。


「さぁ、行くぞっ」

 対戦が終了したらしい。三年生の声かけで、俺達は綱の元に走る。

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