第101話 新入部員1(化学同好会)
「……新入部員、来た?」
弁当の蓋を開けると同時に、
「おれのところは十人」
菓子パンを口にくわえたまま茶道部が、両掌を広げて答える。「すげぇな」。俺が目を丸くすると、左隣で箸を動かしていた軽音楽部が、ふふん、と鼻を鳴らす。
「うちは十二人」
へぇ、と声を上げたが、白米をかきこみながら、軽音楽部は苦笑した。
「まぁ。数か月でたいがい、半分になる。幽霊部員ばっかり多いんだ」
なるほど、沢山入っても、そんなんじゃなぁ、と俺はコロッケを口に放り込んだ。ちなみに、昨日の晩もコロッケだった。文句は言うまい。弁当を詰めてくれるだけ、感謝だ。
「剣道部は?」
茶道部が、そうそうに一つ目の菓子パンを完食し、ふたつめに手を伸ばしながら首をかしげる。
「女子がひとり」
「「「「女子だとっ!?」」」」
なぜだか、弁当を囲んでいない別のクラスメイトからも怒号を浴びた。
「許せんなっ」
「
「剣道着姿の女子など……。しかも、溶接科の美人先輩までいるのに……」
「白道着か!? おい、白道着なのか!」
様々な野次や罵声を投げつけられ、うんざりしながら俺は答える。
「その一年女子、二年溶接科の石田のことが好きなんだと」
言った瞬間、「また、あのチャラ男かっ」と矛先がそちらに向いた。
「あんな男がいるから、こっちにまで女子が回ってこないんだっ」
「『ひとり、ひとカノジョ』というルールを徹底すべきだ!」
「誰か学生手帳を出せ! それ、追加項目で校則にしよう!」
喧々諤々の論争が勃発したが、俺は無視をして蒲生を見やる。
「で? どうしたんだ」
水をむけると、奴は盛大なため息をつき、蒲生のお母さん特製大型おにぎりに、もそりと歯を立てた。
「うち、ひとり、入ったんだ……。新入部員」
「良かったじゃないか」
軽音楽部が卵焼きを箸で刺したまま言う。
「化学同好会は、工業化学科の生徒しか入れないからな。毎年廃部と戦ってるだろう?」
そのとばっちりを受け、俺は昨年、島津先輩から何度も「入部しろ」と迫られて往生した。今年、入部者がいるのなら、先輩の魔の手からは逃れられるだろう。
「それがねー…………」
蒲生は、ぱくりとおにぎりに食らいついたまま、器用に長い溜息を吐いた。
「男? 女?」
俺は胡麻和えにされたブロッコリーを食う。結構好きな味だ。
「男。
蒲生はおにぎりを食いちぎる。中身は刻んだ叉焼とウズラのゆで卵、何かわからない野菜らしきものがのぞいている。蒲生の食の細さを気にしているお母さんが、いつもおにぎりに工夫を凝らしているのだが、どうにもこれが旨そうに見えない。
『弁当より、おにぎりがいい。そんなに胃に入らない』
蒲生がそう言ったことにより、この謎中身のおにぎりが製造されているが、正直、食が細いのはこのおにぎりのせいではないだろうか。
「すげー、ポンコツなの」
蒲生がペットボトルのお茶で口の中の食べ物を押し流しながら、そう言った。
「ポンコツ? 役に立たない、ってことか?」
茶道部が尋ねる。
「空気読まないやつか?」
軽音楽部が首を傾げた。
「どっちも」
蒲生が深くうなずくから、俺たちは顔を見合わせて、「あー……」と声を漏らした。
なるほど。残念なポンコツ、か。
「やる気はあるんだよ、やる気は」
じっとりと俺たちを眺め、蒲生は言う。
「指示したら、なんでも「はいっ」「はいっ」って返事するんだ。で、やるんだけど、全然違うことしたり、大失敗したり……」
「例えば?」
茶道部が、くしゃくしゃに包装紙を丸めながら蒲生に訊いた。
「うち、蛍を飼ってるじゃないか。環境関連のデモンストレーションのために」
蒲生が言うから、「それは表向きだろ」と思わず突っ込んでしまった。
「他に何の理由があるんだよ」
きょとんと蒲生が尋ねるから、俺はマリネになった野菜とエビを咀嚼する。ちょっと酸っぱすぎだよ、お母さん、これ。顔を顰めながら、俺は蒲生を睨んだ。
「脅迫に使ったろ、幼虫を」
「たまにそう言うこともするけど、建前上は「環境関連」だ」
はっきりと「建前」といったうえで、蒲生は話を進めた。
「その蛍の幼虫の餌になるカワニナをさ。うち、育ててるんだ」
「あ。そうなんだ」
軽音楽部が驚く。茶道部も、「買うんじゃないんだ」と尋ねた。
「買ったら高いだろ? 普通に繁殖するんだよ、カワニナ。だから、蛍とは別の水槽で餌用のカワニナを育てるんだけど、すっごい、
蒲生はそこで、深い息を吐いた。
「だから、頻繁に水槽の水を変えたり、掃除したりするんだ。それを手伝ってもらったんだけど」
そう言って俯く。手の中には、半分残ったままのおにぎりがあった。
「カワニナ、繁殖用で飼ってるからさ。当然稚貝がいるんだよね、水槽の中に」
「そりゃ、そうだろうな」
俺は白米を口に放り込み、うなずく。カワニナを絶えず繁殖させて、蛍の餌として利用しているのだから、水槽の中には、そりゃあ稚貝がいる時もあるだろうし。
むしろ、稚貝がないと、困る。
「それをぼくも島津先輩も説明したんだよ。稚貝は、本当に小さいから、気をつけろ、って。それなのにさ」
がっくりと蒲生が肩を落とす。
「はいっ、って威勢よく返事をしてさ。水槽を抱えたと思ったら、ざーっと流しに全部ひっくり返したんだ」
俺の鼓膜に、島津先輩と蒲生の「ぎゃあああああっ」という幻聴が聞こえた。
「稚貝全滅。カワニナの一部も流れ出て……」
「あああああああ……」
さすがに茶道部も額を手で覆って呻いた。
「昨日のさ、
蒲生はもそもそとおにぎりをまた食べ始めた。カワニナよりも元気のない食事風景だ。
「……昨日、小学生、来てたな」
軽音楽部が気の毒そうに蒲生に声をかける。そうだ。昨日は近隣の小学生が、化学マジックを見に、放課後訪問していた。
「過冷却水を見せる予定だったのか?」
弁当を食い終わり、蓋をしめながら俺が尋ねる。蒲生は、うなだれたように頷いた。
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