第100話 新入部員2(剣道部)

◇◇◇◇


「なにやってんだ、織田っ!!」


 伊達とルキアに怒鳴られたが、俺は舌打ちしたい気持ちで井伊いいを見る。


 試合、一本勝負だ。


『今日は武田先輩も毛利先輩もいないから、適当にやろうぜ』

 石田がそう言って、始めた。


 なんでも、武田先輩は、ため、部活に参加できないらしい。


『なんじゃそりゃ』

 聞いた途端、俺と伊達は驚いたが、石田はきょとんと答える。


『先生ってさ。「知識」を教えるんだよ。だけど、「技術力」ってまた別でさ。武田先輩の方がめちゃくちゃ溶接技術が上手いから、今日は先生にデモンストレーションするんだってさ』


 ……なるほど。管理栄養士が、調理も抜群に上手いわけじゃない、ということだろうか。


 石田によると、武田先輩と井伊はすでに顔合わせを済ませているらしい。


 武田先輩は熱烈に彼女を歓迎し、『部活でセクハラや嫌がらせを受けたら、言って。殺すから』と真面目な顔で言ってくれたそうだ。


 『注意』や『警告』もなく、いきなり『殺害』するあたり、武田先輩の本気度が見えた。


 で。

 石田が、『井伊のすごさを思い知れ』と、俺達との一本勝負を提案したのだが……。


「当てろよっ」

 コート外からのルキアの叱責に、今度こそ俺は舌打ちする。


 目の前で、中段に構える井伊を見遣り、俺は首を傾げたいおもいだ。


 井伊は今も、足を動かすではなく、ただ静かに構えている。

 極端に動きが少ない。

 構えだけ見ていたら、まるで高段者のようだ。

 肩に力みはなく、構えは正確だ。目もしっかりと俺をとらえている。


「やああああっ」

 女子らしい甲高い声で気を発する。俺も応じ、気を合わせて踏み込んだ。同時に、彼女も動く。


 合い面だ。

 互いに面を打ち込み、相手の頭頂部打突位に竹刀を当てた方が一本取れる。


 俺は素早く面を打ち込む。

 視界の先で、彼女の拳はまだ上がらない。


 遅い。

 反応できてない。


 俺の竹刀の有効打突部位が、彼女の面に当たる方が早い。

 そう思う。


 正直。

 ゾーンに入ったスポーツ選手の視界って、こんなんじゃないのか、と思うほど。


 ゆーーっくりと、彼女の竹刀が上がる。

 のーーーんびり、と彼女が竹刀を振る。


 これが。

 なんというか。

 絶妙に、時機を外してくれる。


 俺が竹刀を彼女の頭頂部に当てる前に。

 のんびり上がった彼女の竹刀がそれを防ぎ、がちゃーん、と音を立てる。


 ちらりと観た審判の石田は、にやりと笑って首を横に振った。


「相手は遅いぞっ」

 伊達が外野からそんなことを言うが、「わかってるっ」と怒鳴りたい気分だ。


 遅いのだ。

 怖ろしく、振りが遅い。


 今まで、「打ちが早い」選手には何度も出会ってきたが。

 こんなに、「打ちが遅い」選手に出会ったことが無い。


 しかも、微妙にタイミングをずらされるのが、苛々する。


 くそ、と構え直した途端。

 ぱしり、と右手首に痛みを感じる。


「……は?」

 思わず呟いた時、井伊の「こてー」という間延びした声が聞こえ、ばさり、と旗が上がる音が続く。


「小手あり」

 石田が旗を揚げて笑っていた。


 俺は呆然とその旗を見、そして伊達とルキアの暴言に晒されたのだが……。


 結果的に。

 伊達とルキアも、暴言に晒された。


「なんだ、こいつ」

 誰もが共有した意見だった。


 遅いのだ。

 とにかく、遅い。


 竹刀の振りがこんなに、気味悪く遅い奴を初めて見た。

 なんなんだ、と戸惑った拍子に、小手を取られる。決まり手は全員「小手」。


「よくさ、一流のスポーツ選手が、『ソーン』について語るじゃん」

 一本勝負が終了した後、石田が人の悪い笑みを浮かべて俺達に言った。


「集中していたら、相手の動きが止まって見えた、とか。まるでコマ送りのように見える、とか」


 ……よく聞く話だ。本来であれば緊張する場面なのに、愉快な気持ちで楽しみ、かついつもよりも良い成績を出せる、というやつだ。


「井伊の対戦相手って、「まるでゾーン」みたいな体験をするんだよ。おっそいんだ、こいつの「打ち」。怖ろしいぐらい、おっそい。ゾーンに入ったのか、って勘違いするぐらい、遅い」


 石田は笑う。その隣で、井伊は体が斜めに傾いている。「私は必死なんですが」。そう呟くが、石田は聞いちゃいない。


「遅いくせに、振りも構えも正確なんだよな。だから、打ったとしても『打突部位』にあたらない」


 石田の言うことは一理ある。

 正しい構えは、それですでに、『打突部位』を守っているのだ。


「相手は、「勝てる」と思うのに、勝てない。それどころか、焦ってるうちに、一本とられる」

 俺達は顔を見合わせる。確かに。少々焦ったところで、小手を喰らった。


「こいつは、凄いへっぽこ選手なんだ」

 胸を張って後輩を自慢している石田だが。


 井伊は更に角度をつけて傾いていた。「石田先輩。私、これでも頑張っているんです」と。



 こうして。

 誰もが認めるへっぽこ剣士が、クロコウ剣道部に加入した。

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