第91話 推薦入学
「織田は推薦組か?」
あまりの寒さに、道場内でその場ダッシュを繰り返していた俺は、石田に声をかけられて足を止めた。
「なにが?」
若干息が上がった。じわり、と首の後ろから背中にかけて蒸気の熱が回る。ようやく体が温もって来た。
「受験だよ。クロコウの」
ベンチコートを着た伊達が、のんびりと木刀で素振りをしながら俺に視線を寄越す。
「推薦組? 一般組?」
「推薦」
短く答え、腿上げを素早く行う。ばっさばっさと袴の裾が鳴り、冴えた道場の空気が腰まで入って来て逆に凍えた。
「オレも推薦!」
石田がびしりと挙手をする。自慢げに胸を張っていた。まぁ。推薦枠は各中学校で人数に限りがあるから、それに選ばれたのが誇らしいのだろう。
「推薦は小論文と面接だけだから、絶対逃したくなかったんだ」
石田は自分の防具の前に座り、音を立てて面タオルを広げる。そうだな。石田のあの、壊滅的数学の点数では、いくら溶接科とはいえ、入学は危なかったかもしれない。
「今年の小論文のテーマはなんだろうなぁ」
石田がのんびりと呟き、俺は頷いて道場内をゆっくりと走る。
あと、半月程で現在中学三年生の推薦入試が始まる。
クロコウを希望する生徒は、各道場や中学からすでに情報を得ていた。合格が決まれば、すぐにOBが「うちの部に入るよな」と勧誘とも脅迫ともとれる電話をかけるのだ。
多分、そんな連絡が各々入っていて、この話題になっているのだろう。
「オレの時の小論文テーマは、『校則を守ることについて』だったぞ」
面タオルを防具にかけた石田は勢いよく立ち上がり、それから猛然と俺のあとに追いついた。一緒に道場内を走る石田を振り返ると、呼気が白く煙っている。
「『校則』?」
尋ね返すと、石田は大きく頷いた。
「『クロコウの校則は、近隣高校よりも大変厳しい校則となっています。その校則を守る必要性について答えなさい』だった」
「へぇ」
声を上げたのは伊達だ。切れ長の目を石田に向ける。
「各科で小論文のテーマが違うのか?」
「違うよ。なんだよ、伊達。知らなかったのか?」
石田が愉快そうに笑った。本当か、と言わんばかりに伊達が俺を見るから、苦笑いして頷いてやる。
「機械科のテーマはなんだったんだ?」
「時事ネタ。去年ノーベル賞を獲った科学者の名前が羅列してあって、誰でも良いから一人選んで、研究テーマと評価されたポイント、自分として思うところを述べよ、って感じかな」
「うへぇ、オレ、無理」
石田が顔を顰めるが、伊達は肩を竦めた。
「おれにしてみれば、『校則うんぬん』の方が、何を書いていいかわからん。石田はなんて書いたんだ」
「厳しかろうがなんだろうが、「決まった」ことは、守る。もし不都合や理不尽だと思ったら、決められた方法でもって校則改変を行う」
厳かに石田が言い、俺と伊達は目を見開いて奴を見た。石田にしてはやけに、理路整然としているじゃないか。
「溶接科の小論文テーマって、過去問見ても四つほどしかないんだ。それを、毎年ローテーションして出してるから、『正解っぽい小論文』を中学の国語の先生に教えてもらって、ひたすら丸暗記する。で、ヤマを張る。『校則』テーマはここ数年出されてなかったから、そろそろだな、って思ってた」
石田はちろりと俺と伊達に舌を出して見せる。なるほど。科によって本当に傾向が違うらしい。
「工業化学科は?」
伊達に尋ねられ「俺?」と答える。呼気は白くもやったが、背中から腕にかけての強張りは消えた。道着の冷たさも返って心地よいぐらいに思える。
「巨人」
とすとすと足音を道場に響かせながら俺は走る。「きょじん!?」。素っ頓狂な声が背後から聞こえた。
「野球の? それとも、『進撃』の?」
だだだだっ、と重い足音を響かせて石田が俺の隣に並んだ。小柄だからか、下から俺を覗き込むように見上げる。こいつの顔も大分紅潮してきた。
「どちらかというと、『進撃』」
俺は答える。意識してペースを保ちながら、道場内を周回した。
「A国とB国がありました。
それぞれに、ひとりずつ、巨人がいます。
あるとき、A国に大災害が起こりました。
A国の巨人は「とある方法」でA国を救いました。
そして、次の年。B国に災害が起こりました。
B国の巨人はA国の巨人に至急、「どのように国を救ったか」尋ねました。A国の巨人はその「とある方法」をB国の巨人に伝えました。B国の巨人は早速その方法を試しましたが、B国は滅びました」
一息に俺はそこまで言い、それから、すう、と息を吸い込む。胸がじわりと熱い。
「さて、どうしてでしょう。論じなさい」
「「知らねェよ!!」」
石田と伊達が同時に怒鳴る。そういえば、俺も去年、問題文を読んだ途端、心の中でそう叫んだな、と懐かしく思い出した。
「それでお前、なんて書いたんだ?」
石田が綺麗な弓なりの眉を寄せて尋ねる。むう、と口を尖らせているところをみると、自分でも考えてみたのだろう。
「俺は、A国の巨人にはその方法が出来たが、B国の巨人には、出来なかった。つまり、『方法』は、わかったが、『模倣』が出来なかった。再現できなかった、と論じた」
おお、と声を上げたのは伊達だ。
「織田が、その答えで合格してるってことは、それが正解か?」
「いや」
俺は伊達に首を振る。
「蒲生も推薦組だが、やつの答えは、『A国の巨人が嘘を教えた』だった」
「そこを疑うか!?」
石田が目を丸くする。俺もそう思った。
「茶道部も推薦合格だが、やつの答えは、『ふたりの巨人の間で伝達が上手く行かなかった』だった。つまり、A国の巨人はちゃんと『伝えたつもり』で、B国の巨人も、ちゃんと『聞いたつもり』だった、と」
「……それ、みんな合格?」
石田が納得いかない顔で尋ねる。俺は笑った。
「皆、推薦で合格しているな。ようするに、文として成り立っていて、論じている内容に問題がなければそれでいいんじゃないかな」
「工業化学科は変わってるなぁ」
石田が呟く。
「今年の小論文のテーマはなんだろうな」
俺も笑いながら応じた。
ちなみにその後。
推薦受験をした後輩に聞いたところによると。
「『ぐりとぐら』が、卵を効率的に運ぶ方法は何か。論じなさい」だったそうだ。
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