三学期

第90話 芸術科目

「おい、誰か忘れ物」

 全員が着替え終わり、学生鞄とスポーツバックを抱えたところで、伊達が声を上げた。


 更衣室にいた全員が振り返り、やつの手を見る。


 白い画用紙を筒状に丸めたものを、無造作に振っている伊達に、俺は顔をしかめて返事をした。


「悪い。俺のだ」

 言うと、伊達は無造作に投げてよこす。空中でキャッチし、ため息ついた。


 美術課題が返却されたのだ。


 美術のおじいちゃん先生は、「きちんと丸めて持って帰れ」、と口を酸っぱくして言っていたが……。


 もう、点数もついたことだし、別に綺麗に持ち帰る必要もないだろう。俺はどさりとスポーツバックを床におろし、中に突っ込むことにする。


「美術か?」

 石田がぐるぐると首にマフラーをまきつけながら尋ねるから、俺は頷いた。膝を着き、バックのファスナーを開いて、画用紙をしまおうとしたら、するりと俺の手からそれが奪われる。


「何、描いたんだ?」

 顎を上げると、毛利先輩だった。


「おれも『芸術』の選択は、美術なんだ。どれどれ。観てやろう」

 にやにや笑いながら毛利先輩は画用紙の輪ゴムを外す。伊達がうんざりした顔で、「早く帰りましょうよ」とこぼしていた。その隣ではルキアが、「毛利先輩にわかるんですか」と小馬鹿にしている。


「俺、今回は良い点数だったんっすよ」

 床に膝をついたまま、俺は毛利先輩に胸を張る。


 我ながら自信作だ。


 おじいちゃん先生も、『織田、今回はよくやったぞ』と褒めてくれた。やはり、恥を忍んで姉ちゃんに絵を描くコツを教えてもらった甲斐があったというものだ。


 なにしろ。

 二学期の美術の評価が悪かった。

 おじいちゃん先生も言っていたが「足を引っ張っているのは実技」だ……。


 授業態度はまじめ。

 テストの点数自体も悪くない。むしろトップクラスだ。絵画の名前、特徴、作者、時代背景。

 そんな暗記問題は得意なのだが。


……実技がそれを上回る悪さだった。


 今回は、前もって模写するものが決まっていたので、こっそり練習をしていた。ついでに実家に遊びに来ていた姉ちゃんにも頭を下げ、コツを教えてもらっていたから自信はあった。


「結構うまく模写できているでしょう?」

 巻物をほどくように、くるくると画用紙を広げた毛利先輩に、俺は言う。


 俺は「そうだな」とか「ふぅん」という返事を期待していたのだが。


 毛利先輩は。

 びしり、と。

 画用紙を両手で広げたまま固まっていた。

 なんか、口上でも述べそうな姿勢だ。


「……模写?」

 動かない毛利先輩を不審に思った石田が、マフラーの襟元を緩ませながら、画用紙を覗き込む。その後、訝しげに俺に言うから、「模写だよ」と口を尖らせた。


「なんの」

「なんの、って……」

 思いっきり不思議そうな顔で石田が俺に言うから、俺は目を瞬かせた。


「わかったっ!!」

 毛利先輩がいきなり怒鳴り、石田が慄いて背を反らせる。


「ジャー・ジャー・ビンクスだろっ」

「『『モナ・リザ』ですよ、それっ!」


 断言する毛利先輩に俺が怒鳴り返し、石田が激しく爆笑した。


「どうやったら、『モナ・リザ』描いて、ジャー・ジャー・ビンクスになるんだよっ」


 何故かルキアが怒鳴り、駆け寄って毛利先輩の手元を覗き込む。


「……織田、これ。『モナ・リザ』のどの部分?」


「どの部分もこの部分も、全部だよっ!」

 俺は立ち上がって困惑する。


「今回は三点取ったんだぜ、これ!」

「何点中のだよ!」

 毛利先輩が目を見開く。


「十点っす」

 答えた俺の足元では、石田が笑い転げて床をのたうっている。


「この、ワカメというか……。変に長い布、なに?」

「馬鹿。お前、これはジャー・ジャー・ビンクスの垂れた耳だ」

 ひそひそと言い合うルキアと毛利先輩に、俺は画用紙のその部分を指さして断言した。


「髪だよっ」

「ひぃぃぃ。笑い死ぬ……」


 涙とよだれを垂れ流しながら笑う石田を忌々しげに睨みつけ、俺は毛利先輩から画用紙を奪い取った。


「ほら、これが髪の毛で、これが顔で、ここが肩で……」

 指をさして解説をすると、感心したように二人は頷いた。


「言われてみれば、人の顔に見えるな」

 毛利先輩が呟き、ルキアが鼻を鳴らした。失礼なやつらだ。人の画をだまし絵みたいに。


「しかし、邪悪な笑みだな、こうやってみると」

「『モナ・リザ』って、神秘的な笑みのはずなんだけど」


 ひそひそとまだ言い合う毛利先輩とルキアを無視し、俺は手早く画用紙を丸めた。なにはともあれ、三点いただいた。おじいちゃん先生にも褒められたし、心証はいいだろう。これで三学期の美術の評価は安泰だ。


「なんで、こんなに絵が下手なのに美術を選択したんだよ」

 ぜぇぜぇと荒い息をしながら、石田が顔を起こした。


「『芸術』は美術と書道の選択だったろう? 書道にすればよかったのに」

 俺は画用紙をスポーツバックに突っ込み、部員を見渡す。


「美術か書道か、って言われたら、美術の方が得意だから」


 何故だか。

 部室内がしんと静まった。


「……お前、ちょっとノートを出せ。どの教科でも良いから」

 伊達が人の悪い笑みを浮かべる。俺は顔をしかめた。


「なんでだよ、めんどくせぇ」

 そう言う俺の肩をがっちりと掴んだのは、石田だ。


「ようし、確保。誰か、織田の鞄からノート出せ、ノート」

 そう言う石田の口唇がすでに笑いの為に震えている。俺は「離せ」と断言してその腕を振りほどいたが、今度は毛利先輩に抑え込まれた。


「石田、織田の鞄探れ、鞄っ!」

「任せて、ゆうくん!」

「ちょ、待て、って!!」


 結局奴らから無造作に引き出された俺のノートは部内で回覧された。

 毛利先輩が写メに撮ろうとしたからそれを必死で阻止したが。


「象形文字」とか「暗号」とか散々言われた結果、伊達と石田は過呼吸を起こすほど笑い、ルキアは失礼にも俺のノートを逆さにして、「……二酸化炭素、って書いてある……?」と謎の言葉を発していた。

 

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