第88話 初詣3

「……このハンカチ、綺麗なの?」

 だけど、口からはそんな憎まれ口が零れでた。にゃんは気を悪くした様子もない。少しだけ口の端を下げてみせる。


「さっき、手水場で手を洗ったとき、拭いただけかな」

「……ふぅん。ありがとう」

 あくまで「ついで」という感じでお礼を伝えてみせると、「どういたしまして」とさらっと流してくれた。


「立てるのか?」

 頭に濡れハンカチを載せて踞る私に、にゃんが尋ねる。私は濡れハンカチ越しにそっとたんこぶに触れてみた。


 痛いことは痛いけど。

 さっきみたいに顔をしかめるほどではない。


 濡れハンカチを押さえ、にゃんに頷いてみせると、にゃんは神社の一角を指さして見せた。


「あそこのベンチ座ってろよ」

 私は促されるまま、そろそろと立ち上がる。にゃんはさっさと私から離れ、またどっかに行ってしまった。


 ぶわり、と木枯らしが吹き、境内の楠を揺らす。

 私は目を細めて風をやり過ごし、それから頭の濡れハンカチが飛ばないように手で押さえて、ゆっくりとベンチに向かって歩いた。素早く動くと、まだずきずきたんこぶが痛む。


 ただ。

 冷やしている効果なのか。

 それほど気持ちはささくれ立たない。


――― 痛かったなぁ。帰ってお姉ちゃんに言ったら、また馬鹿にされそう


 そんなことを考えながらベンチに座る。

 紫外線にやられているのか、なんだかざらついた表面をしたベンチだったけれど、作りはしっかりしていようだ。私が座っても軋み音すらたてなかった。


 頭を冷やしながら、ぼんやりと境内を見回す。

 たき火を囲むおじさんたちと、しめ縄をくぐって老夫婦が入ってくるのが見えた。


 私は知らない顔だけど、おじさんたちが口々に「おめでとうさんです」「本年もよろしく」と言い合っているのを聞きながら。

 私は未練がましく、前髪を指先で引っ張った。


――― ちょっとでも、伸びろー


 そんなことを念じてみたけど、生え際がちくちく痛いだけで、指を離すと、やっぱり前髪がふわりと浮く。


 刺激を与えたら、早く伸びると聞いたけど、逆にストレスで抜けたらどうしよう。


 今度はそんな不安がじわりと心に沸き上がったとき。

 砂利を踏む音が聞こえ、にゃんの「おめでとうございます」という声が聞こえた。


 顔を向けると、さっきの老夫婦にしっかりと挨拶をしている。

 老夫婦も並んでぺこりと頭を下げておられ、「今年もよろしく」と答えておられた。


 二言三言かわしたにゃんが、軽く会釈をしてまたこちらに向かってくるものだから。


 思い出したかのように、私は俯いてみせる。

 拍子に、頭に載せたハンカチがずり落ちかけ、慌てて上げた視線の先に、紅茶のペットボトルが差し込まれた。


「ほれ」

 頭の濡れハンカチを片手で押さえ、そろりとさらに顔を上げる。にゃんがそんな私の膝の上にペットボトルを落とし、自分は隣にどかりと座った。ぎしり、と流石にベンチが揺れ、私は空いてる方の手で太股の上にあるペットボトルを掴む。


 ちょっと熱いぐらいのそれは、無糖の紅茶だった。

 ちらりとにゃんを見ると、自分も同じモノを手に持っている。


「自販機?」

 尋ねると、にゃんは無言で頷き、キャップを回した。ごくりと飲みながら、視線だけこっちに向ける。


「髪、切った?」

 にゃんが、そう言った。

 

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