第87話 初詣2

「どうしたんだ、おい」

 膝を抱えて蹲り、手で顔を覆った状態で小さくなっていたら、頭上からにゃんの声が降ってきた。


「なんでもない。ちょっと、こうしてるから、どっか行って」

「こうしてるから、って……。体調悪いのか?」


 心配げに声が低くなる。どうしよう、と思ったものの、この場をやり過ごしたいがために、「そうそう。ちょっと貧血で」と適当に答えた。


 途端に。

 ぐい、と両の二の腕を捕まれてぎょっとする。


 同時に。

 上へと強引にひっぱりあげられて、「ひぃ」と反射的に顔を起こした。


「元気そうじゃないか」

 胡散臭げに私を見るにゃんと間近に目が合い、私は「ぎゃあ」とまた悲鳴を上げて、にゃんの胸を突きとばす。あっさりにゃんが手を離したすきに、私は額を両手で覆って背を向けた。


「おい!」

 にゃんが大声を上げるが、私は俯き走り出す。

 右足。左足。右足、まで出した時、にゃんがもう一度「おい!」と怒鳴った。


 その怒鳴り声を聞いたすぐ後。

 殴られたような痛みが頭頂部を襲った。


 ごん、という重い音も聞いたと思う。

 一瞬ブラックアウトし、そのあと。


「いったあああああああああああっ」

 文字どおり、『頭を抱えて』蹲った。


「なにやってんだ、お前」

 呆れたにゃんの声に言い返す余裕もない。ごおうん、ごおうん、と痛みが波状的に襲い掛かってくる。


「すごい音したぞ」、「大丈夫か、お嬢ちゃん」、「動けるか?」


 蹲っていても、警護のおじさんたちが集まってくるのが判り、恥ずかしくってもう、顔が上げられない。


「大丈夫です。石柱に頭ぶつけただけですから」

 にゃんの声が聞こえてきて、自分に一体何が起ったのかようやく気づく。


 前をよく見ずに走ったから、なんかの柱に頭から突進した形になったらしい。


 相変わらず、ごおん、ごおん、と痛む頭を両手で押さえ、「うう」と呻いていると、おじさんたちが「前をよく見て歩けよ」とか、「元旦早々怪我したら、幸先悪いぞ」と笑いながら言った。にゃんだってきっと苦笑いだ。


 小さな声で、「ご心配をおかけしました」というと、おじさん達の足音がいくつか聞こえ、それは遠ざかっていく。多分また、焚き火の前に移動するのだろう。


「立てるか?」

 にゃんに尋ねられ、「無理」と答える。私は膝に額を押し付けたまま、そっとズキズキうずく頭頂部を指で撫でてみた。


「ひぃ。ぽこって、なってる!」

 思わず声を上げると、深いため息が聞こえた。


 直後。

 さわさわと頭を指で探られる感覚に、「うにゃあ!」と妙な声を上げて顔を起こした。


 一気に動いたから。

 ずきり、とまた頭頂部が鋭く痛み、呻いて私は俯く。


「じっとしてろ」

 にゃんがそう言うということは、私の髪をかきわけ、撫でるこの指はにゃんらしい。あい変わらず、さわさわと私の頭を探り、「はは」と笑う。


「久しぶりに、たんこぶ触ったな」

「笑い事じゃないっ」

 言った傍からまた疼き、もうこれは大人しくしていようと歯ぎしりをしたら、ふい、と私の頭から指の感触がなくなる。ついでに、にゃんの気配も消えた。


――― どっか、行った……?


 おそるおそる視線を上げる。

 頭の痛みが無い範囲で周囲を見回すが、にゃんの姿どころか誰の姿もない。


 警護のおじさんたちが、遠くの方でたき火を囲んでいて、木々を燻した匂いと笑い声が寒風に乗って届く。


 にゃんに、どっか行ってほしい。

 そう思ったのは確かなんだけど。


 いざ、放っておかれたら、なんとも言えない気持ちになった。


 その場にしゃがみ込んだまま、むすっと口を尖らせる。

 右手でコートの襟首を掴んで合わせ、左手でそっと頭を撫でてみた。やっぱり、ぽっこりと膨らんだたんこぶに、なんだか無性に腹が立つ。


――― こんな怪我人を放ってどっかに行くなんて


 石柱にぶつかったのも、前髪を短く切っちゃったのも、自分のせいなんだけど、今はただただ、にゃんに対して腹ただしい。


 そもそも、あいつが初詣に、ここに来なければ石柱にぶつからなかったし。

 にゃんじゃなければ、短い前髪を男子に見られてもなんとも思わないのに。


――― にゃんが悪い


 むぅ、っと唇を突出し、すりすりと自分でたんこぶを撫でる。気分は、河童だ。

 痛みが治まれば、ゆっくりと立ち上がって帰ろう。ここは寒い。

 そう思い、『治れ、治れ』と、頭を撫でていたら。

 境内を軽快に走る足音が近づいてきた。


――― お参りの人かな


 そう思って、私は音の方に顔を向ける。

 だったら、さっさと立たなければ、と思った。今いるところは脇とはいえ参道だ。邪魔になってはいけない。


 だけど。

 駆け寄ってきたのは、にゃんだった。


「ほれ」

 きょとんと見上げる私に、にゃんは握っていた掌を開いて見せた。


 固く絞られた、タオル地のハンカチだ。

 にゃんはそれを両手でつまみ、手慣れた感じで、ぱんっ、と広げた。手早く四角く折りたたむと、「手を退けろ」と私に言う。


 なんのことか、と相変わらずきょとんとしていたら、頭を撫でていた私の左手を掴み、代わりにその濡れハンカチを置いてくれた。


 ひやり、と。

 じくじくと痛んでいた頭に冷気がかぶさる。


 同時に。

 ぶすぶすとくすぶっていた怒りも徐々に鎮火していった。

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