冬休み ー今川sideー

第86話 初詣1

 私はため息をついた。


 視界に入るのは、お賽銭箱と、がらんがらんと鳴る鈴からぶら下がった紐の、ふさふさした部分。


 別に見たいわけじゃ無い。

 俯いた視界には、低い位置の物しか目に入らなかったのだ。


 背後からは、おじさんたちがどっと笑う声がし、何か言い合っている。焚き火の煙たい香りが鼻先を掠めた。


 多分。

 大晦日の夜中から今まで、『特別警戒』とかを兼ねて、神社にいた人たちなんだと思う。


 大晦日や元旦にお参りする人たちのために、本殿や拝殿の蝋燭を見守っていたり、境内の照明の調整をしたりするらしい。うちのお父さんも、自治会で当番が回ってきたとき、深夜に出かけていって、元旦のお昼頃に酔っ払って戻ってきた。『特別警戒』とか言いながら夜通し飲むみたいで、さっき通り過ぎたときには随分お酒臭かった。


 私の他に、お参りに来ている人がいないのを確認し、私はおそるおそる顔を上げる。


 格子戸の向こうには、蝋燭に照らされたお社が見えた。

 朝も十時ごろになると、特に蝋燭の明かりも必要ないように見えるけど、それでも橙色の光は、ぽやり、と温かそうだ。


 格子戸の中には。

 蝋燭の光に照らされ、昆布やお餅、果物などが供物台に載せられ、お社の前に飾られてあった。「神様、愛されてるなぁ」なんとなくそう思う。神社自体もぴかぴかだ。しめ縄だってきれいなやつに取り替えてもらっている。


 そんな、産土神社の神様に。

 私は二回、頭を下げた。

 それから丁寧に、ぱちぱち、と柏手を打つ。


――― 神様


 私は手を合わせたまま、ぎゅっと目を瞑った。


――― どうか、冬休みが明けるまでに……


 なむなむ、と言いかけて、神社だったと慌てて口を閉じる。


――― どうか、新学期になるまでに、私の前髪をあと三㎝伸ばして下さいっ


 私は必死に願う。


 正直、ちょっぴんぴんになった前髪を忘れたいのに、手を合わせて拝む私の指先に、前髪はかからない。そりゃそうだ。眉毛の上2㎝あたりに髪がある。


『ちょっと髪、伸びすぎたんじゃない?』

 事の発端は、お母さんのそんな言葉だった。


『髪の毛、切ってきなさいよ』

 そう言われたのが、もう十二月二九日で、美容室の予約なんて当然とれない。


『じゃあ、年明けに行きなさい』

 お母さんにそう言われたものの、なんだか一度髪の毛を切りたくなったら、今すぐにでも切りたい。


 前髪だけでも、自分で切ろう。

 そう思ったのが、間違いだった。

 切ったこともないのに、そんなことを思った私が馬鹿だった。


 結果。

 ざくざくのギザギザになり、呆然と洗面所の前に立ち尽くす私と、それをみつけて愕然とする、大掃除中のお母さん。


 ふたりで「どうしよう」と涙目になっていたら、呆れたお姉ちゃんが「友人」という美容師さんの卵を家に連れてきてくれた。まだ、専門学校に通っている人で、プロじゃないらしいんだけど、そんなことはどうでもいい。この前髪をどうにかして、と泣きついたら。


 前髪を短く、斜めに流して整えてくれた。

 ついでに、それにあわせて後ろ髪も切ってくれた。


 ワックスでの整え方とか、ピンでの留め方も教えてくれて、お姉ちゃんもお母さんも。それから仕事から帰宅したお父さんも。


『……正直、そっちの方がいつもより可愛いぞ』

 そう言ってくれたけど。


 そんなの、身内の言葉じゃない、と『ガキつか』を見ながら床を転がりまくった。


『似合ってるわよ、可愛いわよ』

 いつまでもうじうじ嘆く私に嫌気がさしたのか、お姉ちゃんがおざなりに言う。


 違う。私は知っている。

 その、「可愛い」、というのは『キュート』ってわけじゃなくって、幼い子を見て、「あら、可愛いわねぇ。おいくつ?」とか言う時の、「可愛い」だ。


 ただでさえ、『小さい子』に見られるのに、こんなに短く髪の毛切っちゃったら、小学生ぐらいに見られるんじゃないの、と、枕やクッションをグーで殴りまくった。


 で。

 元旦。


「あけましておめでとうございます」

 家族であいさつした後、本当はいつも初詣に行く大きな神社があるんだけど。


 そんなところに行ったら、同級生に会いそうだから、私は残って地元の神社に行くことにした。両親とお姉ちゃんは呆れた顔で、『全然問題ないのに』って言うけど。

 嫌なものはいや。


――― ああ、どうか、神様。

    日本人形だって、髪が一夜でどばーっと伸びるんですから、私の前髪も、どばーっと伸ばして!


 そんなことを願っていたら。

 がらんがらん、と鈴が鳴る。


 真剣に願いすぎてて、隣に誰か来たことに気づかなかった。

 合わせた手の指先を額に当てたまま、そろそろと目を開ける。

 自分の隣で手を合わせている人を覗き見た。

 ほっとしたのは、男物のダッフルコートが見えたからだ。


――― 女子じゃない。良かった……


 こんな、ちょっぴんぴんの前髪を、知り合いだけじゃなく『女の子』には見られたくない。

 そう思っていたから、詰めていた息を吐き、ゆっくりと視線を上げて。


「ぎゃああ!」

 思わず口から悲鳴がほとばしった。


「うおおお!」

 隣で拝んでいたそいつも、目をまんまるに見開いて肩を震わせる。


 慌てて。

 慌てて私は両手で顔を覆った。

 ついでに、その場にしゃがみ込む。


「なんで、いるのよぉぉぉぉぉ」

 怨嗟の声が漏れた。


「お前……。いきなり、大声あげんなよ」

 不機嫌そうな。だけど、驚いたことをごまかすようなその声は。

 見なくてもわかる。


 にゃんだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る