第79話 去年の年越し稽古2

「その大谷とか言うやつとなんかあったの?」

 石田が気安く毛利先輩に首を傾げて見せた。最早素振りをするつもりはないらしい。竹刀をだらりと下げている。


「あいつ、次会ったら、絶対ぶん投げてやる、とおれは心に誓ってんだ」

 毛利先輩の瞳には、剣呑を通り越して殺意が滲んでいる。


「なにしたんすか。その大谷」

 石田は苦笑して腕を組む。


「反則行為」

 ぶっきらぼうに毛利先輩は答え、対して石田は腹を抱えて笑い始めた。


「いつも反則行為するの毛利先輩なのに、そいつにされたの!?」

 石田はひぃひぃ笑い、毛利先輩はすごみのある目で睨み付ける。


「次は、こっちがやってやる」

「いや、そういう競技じゃないから」

 石田は目尻に涙をためながらそう言い、できるだけ口数を減らしている俺をちらりと見る。


「その大谷ってやつ、まだ剣道続けてんのか」

「さぁ、どうだろうな」

 曖昧に答え、俺は屈伸をする。二人からの視線を逸らすためだ。


 心の中では、大谷先輩に『絶対に「毛利」という剣士に会ってはいけません』と伝えなければ、と思っていた。


「実際にどんな感じのやつだったんですか?」

「ひょろっとした、身長だけ高いヤツだった」

 毛利先輩は吐き捨てるように言う。「顔はよく見てない」。そう聞いて、ほっとする。面越しだったから、気づいていないらしい。


「でも、毛利先輩が年越し稽古に参加するって珍しいっすね。いっつも『寒い』ってさぼるのに」

 今更ながらきょとんとした顔で石田が言う。だったらなんで、去年に限って参加したんだと俺は屈伸しながら心の中で罵った。


「一般団体チームの人数が足らないから、って親父に引っ張って行かれたんだ。地稽古や基本稽古には参加しなくて良いから、試合にだけ出ろ、って」


 明らかに不機嫌な声でそう言う毛利先輩の言葉に、俺は納得した。なるほど。どうりで、あんな荒っぽい選手、地稽古でも基本稽古でもみなかったのに、どっから現れたんだ、と思ったわけだ。


「おれは次鋒で出たんだけど。とにかく、寒くてさ」


 年越し稽古は、たいがい夜に開催される。

 気温が一気に下がりはじめるから、板場が痛い。大人数で稽古をすれば、それなりに床が暖まる場合もあるが、そんなものは稀だ。足の裏や指がもげるんじゃないか、と思うほど痛い。小さな子なんかは泣き出して保護者のいる観覧席に逃げ出す場合も多い。稽古がきつい、というより、気象が厳しい。


「もう、おれ、めちゃくちゃ不機嫌でさ」

 でしたよね。ええ。俺、鬼かヤクザが来たのかと思いましたよ。


「とにかく、目の前のこいつをたたきつぶしてさっさと試合を終わらせようと思ったのに」

 俺は脚を横に開き、筋を伸ばしながら俯いて苦笑する。


 次鋒としてコートに入り、主審の「はじめ」のかけ声を聞くやいなや、毛利先輩は俺を「突き倒し」に来た。


 面を打つ、というより、籠手を嵌めた拳で面金部分を殴りに来たのだ。


 実際は「面」を打ち込んだ後、下がらない相手に向かって「残心」をしようとすると、突き飛ばすような形になる。その時、右拳が相手の面金にあたることもあるのだが。


 毛利先輩は、確実に殴りに来た。

 体の構造上、頭の上の方を殴られたり押されたりすれば、結構簡単に仰向けに転倒する。転倒した際、竹刀を手放し、床に落とせば「反則」をひとつ取られるし、倒れても、相手は打ち込んでくる。そこで打ち込まれて一本取られる場合もあるので……。


 倒れたらまず、「竹刀を落とさない」。そして、「頭を守る」。それが大切なのだが。


 ただ。

 倒されたら心のダメージの方がデカい。

 思わず呆然とするし、そのすきに打ち込まれたりなんかしたら、相手に対して恐怖で身が竦んだりする。


 だから。

 荒っぽい剣士なんかはすぐに倒しに来るし、コートから押し出して相手に「反則」を取らせたりするのだが……。


「そいつ、倒れねぇんだよっ!」

 苛立ったように毛利先輩は怒鳴り、俺は俯いてストレッチに専念する振りをした。


「毛利先輩の体当たりで倒れないって珍しいっすね」

 石田も感心しているが。


 俺の所属教室は、少人数だが、ラフプレーに強い。

 もう、潰れかけだし、試合に出たらすぐ負けるから、閉会式までどうやって過ごそう、とそればっかりをぼんやり考える教室だが。


 ラフプレーに強い。

 なぜなら。

 大先生が、ラフプレーをしかけてくるからだ。


 小学生だろうが幼稚園児だろうが関係ないし、容赦が無い。

 剣道は基本、『生涯現役』なので、八〇代だろうが九〇代だろうが、本人が「やれる」と思えば「やれる」。


 ただ、相手は「若い」。

 スピードや体力ではどう考えても勝てない、と考えた大先生は。


 卑怯な手を使う。


 とにかく、「勝つ」ために、なんでもする。

 小学低学年にそれはないだろう、と思うような力技をしかけたりする。「勝ち」に執着するあまり、「卑怯」になっていることに気づいていない。


 なので。

 俺達の教室は、妙にラフプレーの躱し方が上手い。

 そして。

 ラフプレーをする剣士が大っ嫌いだ。


 仕掛けられたら、全力で潰す。

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