第80話 去年の年越し稽古3
「見た目は、細くて……。体なんて全然出来てねぇんだけどな」
ちらりと毛利先輩を見ると、腕を組んで首を傾げていた。
あの時。
「……こいつ……っ」、と瞬間的に腹が立って、『真面目に剣道』することをやめたのは確かだ。
ちらりと垂れネームを見たことは覚えている。
しかし、非常にクセの強い字体で名前と所属教室名が書かれているから、読めなかったのだ。
ただ、俺のように「中学生なのに高校生のふり」をして出たわけじゃないことは分かった。当時から、毛利先輩はプロレスラーのような体格をしていたからだ。
「だから、引き倒してやろうと思って」
「いや、『だから』の意味が分からない。それも反則だから」
石田のツッコミを聞きながら、俺は彼らに背を向けてアキレス腱を伸ばし始めた。
あの後。
強烈な体当たり面をなんとかさばいて、間合いを取り直した気がする。
すぐさま打ってくるのかと思ったら、こちらの出方をうかがうように、途端に動かなくなった。
その時、ふと、「……ひょっとして、ラフプレーじゃなくて偶然だったのか」と俺は思ったのだ。まぐれ、だったのかも、と。
だったら、『真面目な剣道』をしなければ、と思い直して……。
「で。相手が小手を打ってきたからさ、それを抜いて面を打った後、頭を抱えてやったんだ」
そうだそうだ、と俺は顔をしかめた。
「小手抜き面」を打たれた後、毛利先輩の胸元にもぐりこんだ形になった俺の頭を、先輩は両肘の間で抱え込み、上からぐい、と押さえ込んできたのだ。
「流石に相手は、膝から落ちたでしょう」
石田の笑い声に、むっつりと毛利先輩が「いいや」と答える。
「おれが倒れた」
もう、これ。百%俺だ。
俺は脚を交替し、無心でアキレス腱を伸ばす。
「はぁ!? 頭抱え込んで上から押しつけたんでしょ!? なんでユウ君が倒れんの!?」
思わず石田が昔呼びで毛利先輩に尋ねている。
「俺が上から押さえつけたとき、一瞬大谷の力が抜けたんだ。『よし、床に押し潰してやる』と思った瞬間」
苦々しげに毛利先輩が言う。
「あいつ、一歩踏み込んできたんだ。中腰の体型で」
竹刀を両手で持つと、『輪』のような形になる。
実際に『輪』なんか作ったら、小手を打ち込まれるが。
その『輪』部分に、お相手の頭を抱え込み、上から押さえ込んでくる剣士がいる。
頭を捕まえられて、上からのしかかってくるから、一気に膝を崩される場合もあるが、そこを堪えて踏ん張ると、抱え込んだ頭を左右に振って横転させようとしてくる。
俺はいつも、抱え込まれた瞬間、力を抜き、相手がそれにつられて押さえ込もうとする隙に、一歩相手に踏み出す。
中腰のまま、膝を曲げてラグビーのタックルのように相手を「押す」のだ。その時、できれば下から突き上げるように押すのがベストなのだが、流石に毛利先輩の力が強すぎて、「突き上げ」はできなかった覚えがある。
ただ、ぐい、と肩からタックルをかますと、簡単に毛利先輩は体勢を崩したから、ついでに足もひっかけて、しりもちを突かせたのだ。
そこを。
「あいつ、面を打ち込んできやがって」
忌々しげに毛利先輩が言うのを背後で聴きながら、俺は苦笑いだ。
倒れた相手に、面を打ち込むのは当然と言えば当然だ。
主審が「やめ」と言わない限りは、試合は続いている。
すぐさま立ち上がり、反撃してくるかもしれないので、倒れた相手には、一応「面」を打つ。普段の俺なら、軽く打突部位に、面をぽんとあてる程度だ。
ただ、この打ち方にもいろいろあり。
荒っぽい選手など、主審の「やめ」が入るまで、がんがん打ち込んでくる。
「あいつ、『そんなに打つか!?』ってぐらい、面や胴を打ち込んできやがって」
だって、毛利先輩が先に反則したからな、と俺はしれっと思った。
「で、主審が止めに入って、開始線に再び立ったわけだ」
見なくてもわかる。多分、毛利先輩はぶすっとした顔なのだろう。俺は、普段以上に念入りにストレッチをする。
「そしたら今度、突きを打って来るんだ」
「突き?」
石田が素っ頓狂な声を上げた。
突き、は高校生から認められている。
面の下の部分に髭のように垂れ下がっている「突き垂れ」という部分をねらって打つのだが。
「あいつ、外しやがって」
そうだ。狙って、外してやった。
突き垂れと、胴の隙間。ちょうど鎖骨のあたりだ。
あの辺りを突き、さも「わざとじゃないんですよ。外れたんですよ。しかも、竹刀の先端が抜けません」という顔でぐいぐい押しこんでやった。
「しかも、二回も! 二回とも、主審が「やめ」って言うまで剣先を押し込んできやがって」
「二回も!?」
言った後、石田が「へたくそかよ」と小さく噴き出しているが。
鎖骨部分にあたると、痛い。
痛いうえに。
少しの間、腕が上がりにくい。
そしてなにより、怖くて痛くて、身を縮める。
「おれも、『こいつ、下手なのかよ』、ってこう……。身構えたんだ」
たいていの選手はそうだ。
『下手だから外している』、『下手だから予想外の動きをする』。
そう思う『隙』を、俺達の教室は攻撃する。
自分たちでも分かっている。
これは、『剣道』ではない。
だから、相手を選んで、やる。
ラフプレーが好きな選手には、こちらの流儀で返させてもらう。
「身構えた隙に、あっさり面を打ち込まれた」
悔しそうに毛利先輩が言う。そうだ。で。時間いっぱいになり、俺が勝ったと思う。
「へぇ。去年は受験で年越し稽古に参加してなかったからなぁ」
石田が「観たかったなぁ」と呑気に言った。
「お前の剣道スタイル見てたら、そんな荒っぽい選手が同じ教室にいるとは思えないけどなぁ」
石田に言われ、俺はちらりと振り返る。大きな石田の瞳が不思議そうに俺を見ていた。
「……大谷先輩だけが特別かな」
うそぶく俺に構わず、毛利先輩だけが、「みておれ、大谷」と呪詛のような言葉を漏らしていた。
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