第78話 去年の年越し稽古1

 毛利先輩が、『年越し稽古』を口にしたのは、明日から冬休みに入る、終業式の日だった。


「え。年越し稽古っすか?」

 俺は垂れを締めながら、上座に座る毛利先輩を見やる。


 デザイン科、機械科はまだホームルームが終わらないのか、この場にいるのは溶接科の毛利先輩、石田、そして工業化学科の俺だけだ。武田先輩は更衣室が別にあるため、まだ剣道場にはいない。


「おう。参加しろよ」

 毛利先輩は後ろ手に回して胴紐を締めながら、俺を一瞥した。年越し稽古か。「はぁ」。頷きながら、俺は正座したまま、垂れネームを下に引っ張り、自分的にしっくりくる位置に移動させる。


黒工クロコウは、毎年おれ達の出身道場で年越し稽古に参加するんだ。っていっても、保護者の手伝いだけどね」

 石田が毛利先輩に代わって俺に説明をした。「へぇ」。合いの手程度に俺は返事をする。


「在籍道場でも年越し稽古があるのか?」

 曖昧な返事をしたからだろう。すでに、胴垂れを着用し、竹刀を素振りしていた石田が手を止めて俺を見た。


「いや。うちの教室はもう、そんな稽古できないから」

 俺は苦笑して答え、自分の前に置いた胴を手に取る。


 俺が幼稚園の頃から所属しているスポーツ少年団を母体にした剣道教室は、在籍児童数名、という最早風前の灯火だ。


 年越し稽古だの、新年稽古だのといった行事を自主的に開催することもできないようで、辛うじて年明けに保護者達が『ぜんざい会』を開催する程度だ。小学校を卒業して以降、そんなに教室には稽古に行かないのだが、毎年俺が呼ばれ、鏡餅に包丁を入れる。他に誰か居ないのか、と言いたいのだが、時期になると親に連絡が行くようで、「今年は〇日だから」と『行くことが前提』で親に日程を告げられる。鏡餅、硬いんだよな。


 俺の所属する剣道教室は。

 俺が中学校に上がった頃には、大きな道場の行事ごとに一緒に参加させてもらう、ということでなんとか体面を保っていた感じだった。教室の先生が地域ではかなりの古株で、高段位でもあることから、「よかったらご一緒にどうですか」とお誘いを受けている形になっている。


「生徒が少ないのか?」

 毛利先輩は立ち上がり、「ふぅ」とおっさん臭い呼吸を吐いて、袴の背板を拳で叩く。


「そうっすね。OB以外だと、去年は低学年2名と、高学年3人しかいないみたいでしたし」

 俺は手早く胴を付け、肩を竦めて見せる。


「団体がぎりぎり組める感じだな」

 気の毒そうに石田はそう言うが、俺の地元の剣道教室はみんなそんなもんだ。

 サッカーに野球。スケートボードにテニスや水泳など、もっと目立ってもっとメジャーなスポーツをどの子どもも選ぶ。親だってそうだ。どうせなら、『オリンピックにつながる競技を』。

 そんな意見の元、競技を選ぶから、剣道はどうしたって、選択肢に入らない。


「なんて名前の剣道教室だ」

 毛利先輩は大きく伸びをし、視線を向ける。胴を付けて立ち上がりながら、俺は所属教室の名前を告げた。正直、知らないだろうな、と思っていた。今年から俺の学区はこの黒工を受験出来るようになったし、そもそもが、毛利先輩の生活圏と被らない。ぐい、と両手を天井に突き出し、伸びをしていた時だ。


「その教室に、大谷、という男はいるか」

 やけに低い声で毛利先輩に問われ、俺は驚いた。動きを止め、瞳だけ毛利先輩に向ける。


「……いますが……」

 剣呑な毛利先輩の視線に、俺は慎重に答えた。

 大谷先輩は、俺とは一つ違いの、今高二になる剣士だ。俺の剣道教室の先輩であり、今でも地元で顔を合わせれば近況報告をし合う仲だった。


――― ……毛利先輩と接点があったのか?


 訝しく思っていると、毛利先輩は相変わらず不機嫌そうな瞳で俺を見る。


「去年、そいつ、年越し稽古に参加しただろ」

「……ですか、ね」

 毛利先輩に低音で言われ、俺はようやく思い出す。


『大谷が欠席なんだよ。お前、身長高いし。大谷の垂れネームで参加してくれ』

 去年、年越し稽古に参加した俺は、森先輩にそう言われた。


 本当は。

 高校受験生である俺は、年越し稽古は免除されているはずなのだが、教室の大先生が、『参加人数が少ないと、見栄えが悪い』と仰せになり、親の命令のもと、仕方なく動員させられた。正直、推薦入学を目指していた俺としては、稽古に参加するより、過去問をひとつでも解いておきたかった。確か、移動中の車の中でも小論文の下書きをしていたような気がする。


 その俺に。

 森先輩が『一般人チームに入れ』と訳のわからないことを言いだしたから、正直もう、うんざりした覚えしかない。


『なんすか、それ』

『ここの年越し稽古。最後に参加教室や道場で団体試合するらしい。人数足んねぇんだわ。お前、その垂れネーム外して大谷のつけろ』

 森先輩は言うなり、俺の中学校名が書かれた垂れネームを素早く外し、うちの教室名と『大谷』と書かれた垂れネームを押しつけてきた。


 試合規定にもよるが。

 俺の所属する地元では、だいたい、『小学生低学年』『小学生高学年』、『中学生』、『高校生・一般』で分けて個人や団体を行う。


 本来俺はまだ、『中学生の部』なのだが、森先輩が『身長高いからバレねぇ』とアホなことを言いだしたせいで、高校生の大谷先輩の垂れネームを付けて年越し稽古に参加することになった。


 という経緯を。

 なんとなーく、思いだし、俺は嫌な予感に押されるまま、毛利先輩に尋ねる。


「えっと。毛利先輩と石田が所属する道場の名前はなんて言うんですか?」

 ぼそり、と毛利先輩が返した道場名に俺は心の中で、『まじか』と頭を抱えた。


 やばい。

 去年年越し稽古にお邪魔させてもらった道場だ。

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