二学期(こぼれ話)ー今川sideー

第73話 花火1

 私はため息をついて、レジ袋を眺めた。


「さいあく……」

 思わず呟いた。


 薄ぼんやりした暗がりの中、両手で持ったレジ袋をがさがさ揺する。乱雑に入った手持ち花火が幾度も跳ねるけれど、お姉ちゃんが「入ってる」と言ったライターはどこにもない。マッチもない。あるのは、半分溶けたロウソクが1本だけ。


「お姉ちゃんの勘違いじゃない……」

 確認しなかった自分が悪いとはいえ、そんなぼやきが口から漏れた。「ライター、ある」って言ったのに。


 ちらり、と足元に視線を落とす。

 バケツだ。

 さっき、公園の手洗い場で水を汲んできたところだった。


 ガラスの表面のような水面には、今日の満月がくっきり映っている。ついでに、覗き込んだ自分の顔も映りこんだ。あからさまに落胆した顔に、おもわず噴き出す。


「……仕方ない」

 私はレジ袋の持ち手を結び、地面に置いた。


 火がなければ、花火はできない。

 せっかく汲んだ水だけど、そのへんの植木にでもかけて帰ろう。


 腰をかがめ、バケツの取っ手をつかむ。「よいしょ」。握って上半身を起こした。

 頭を巡らせ、どの植木に水をやろうかな、と薄闇に目を凝らしたとき。


 自転車が止まる音がした。


 きっ、と小さく甲高い音が耳に届き、反射的に顔を音の方に向ける。公園の入り口だ。自転車や車両が入れないように、ポールが数本立ち、チェーンがかけられている。


 その、入り口に。

 自転車を止め、こちらを伺う長身の影が見えた。


「今川……?」

 低音の聞き覚えがある声に、私は思わず「にゃん?」と問い返す。


「なにやってんだ、お前」

 慌ただしく自転車のスタンドを立てる音が響く。がちゃがちゃ鳴っているのは、鍵をかけてるんだろうか。


「ひとりか?」

 駆け寄ってきたにゃんは、制服姿だ。部活の帰りだったんだろうか。髪の毛も、若干しっとりしている。そのにゃんは、公園をぐるりと見回すと、私に尋ねた。


「うん……。まぁ」

 曖昧に呟くと、大ため息を吐かれた。


「この公園、照明とか少ないんだから、危ないぞ。早く帰れ」

 そう言ったにゃんは、だけど私の手に水が入ったバケツが握られているのを見て、訝しげに首を傾げた。


「バケツ持って、何してたんだ?」

「……花火」

 私は言い、バケツを地面に降ろした。代わりに、放っていたレジ袋を拾い上げる。


「お姉ちゃんが、友達と海で花火したんだって」


『余ったから、あんたにあげるわ』

 お姉ちゃんがレジ袋を私に押し付けたのは、昨日の晩だ。

 リビングのローテーブルで塾の課題を解いていたら、目の前に突き出された。


『友達と海に行って、花火したの』

『泳いだの?』


『まさか。日焼けするじゃない。夜に行ったのよ』

 呆れたように言われ、『ふぅん』と私は返す。あれだ。最近お姉ちゃんが大学で入った、サークルとかいうやつだ。


『あんた、今年の夏休み、ずーっと学校と塾だったでしょ。それで遊んで夏気分でも味わいなさいよ』

 良い事言った、みたいな顔してるけど、余りを押し付けただけですからね、お姉ちゃん。


『どうせなら、新品がいいな』

『贅沢ね』


『一緒にしようよ、公園で』

『いやよ。蚊が来るでしょ』


『虫よけ振ったらいいじゃん。明日の夜、公園行こうよ』

『公園なんてひとりで行ったら危ないから、庭でしなさい、庭で』

 お姉ちゃんはそう言うと、お風呂に行ってしまった。


――― ひとりでしても、つまらないな……


 塾のワークの上に置かれたレジ袋を眺めてそう思った。だから、誰か友達を誘おうと思ったのだけど。


 高校に入学すると同時に勉強が忙しすぎて、中学時代の友人とは連絡をとっていない。


 高校の同級生も、学校では普通に話したりするけど、休日に会って花火をする仲でもない。


 新しく始めた『化学同好会』にも同級生はいるけど、男の子ばっかりだ。女子は、先輩が多くて、入会理由も『AO入試とか、面接に有利そう』っていう理由で、なんか仲良くなれそうにない。


 結局。

 私は誘う相手が思いつかず、バケツと余った花火を持って、公園にぶらぶらとやって来たというわけだ。

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