第67話 過去の体育大会前日
「もうすぐ体育大会だな」
科長がおもむろにそんなことを切りだす。
それは、ちょうど、科長が提示した文章問題を解いている時だ。
教室では、自分の解答を見直したり、隣の席のヤツの解答を盗み見ては、自分の計算式を手直ししたりしている生徒がほとんどだった。
「お前たちも知っての通り、この高校は、工大付属校時代がある」
誰に言うでもなく、科長は続け、背中に腕を回した姿勢で、ぼんやりと窓を見ている。俺はその視線を追った。窓からは、この市が誇る世界遺産の城と、それからグランドが見えた。
「わしがこの高校に来た時は、もう今のように『付属高』ではなかったな」
黒工は、県立工業大学付属高校だった時期があり、その時は、大学生もこちらに実習に来たりしていたのだそうだ。そのおかげで立派なボイラー実習施設や、ビオトープ、それから今川が監禁されかかったクラブハウスなどが建てられ、今でも残っている。
「忘れもしない、先生が初めて黒工に赴任した年の、体育大会前日のことだった」
科長はグランドを眩しげに眺めると、呟くように言う。気づけば皆、シャーペンを動かす手を止めて、科長を見ている。
「当時はクラス担任を持っていてな。『明日の体育大会で、C科は優勝を目指すぞ!』と、わしは皆に言った訳だ。クラスの生徒たちも、『おお!』と応じた。その次の瞬間」
科長は、グランドに向けていた瞳を俺たちに向ける。ちょっと白目が濁った瞳だ。
「校舎中に爆音が響き渡り、工業化学科棟屋上の天井が吹っ飛んで行った」
ちょっと、科長が何言ってるのかよくわからなかった。
「………戦時中の話ですか?」
蒲生が俺の背後で尋ねる。「違うわ、ばかもん」。科長がむっとして答える。
「じゃあ、比喩表現ですか?」
思わず俺も尋ねてしまった。「違うわ、ばかもん」。科長が呆れたように答える。
「本当に、工科棟の天井が吹っ飛んだんだ」
「……何故?」
俺も含めてクラス中の奴らの声がそろった。
「大学付属時代に、大学生の奴らが高等部の方で実験することが結構あったことは、お前たちも知ってるだろう?」
科長がクラスを見回してたずねる。俺たちは、おずおずと頷いた。
「その時の薬品が、回収されずにまだ、工科棟最上階薬品保管庫に残ってたんだな、これが」
科長は後ろ手に回した手をほどき、首の後ろを掻く。
「カリウムが、残ってたんだなぁ」
俺たちは唖然とした。
結構な劇物ではないか。
「保管の仕方も雑だったのかもしれん。空気中の水分と反応したんだろう」
誰もが言葉もなく科長の言葉に聞き入っていた、その途端。
「ドカー――ン!」
急に科長が大声でそんなことを言うものだから、教室後方で女子が「ひゃあ」と悲鳴を上げた。俺の周囲の男たちも驚いて息をのむ。
「体育大会前日に、爆発したんだな」
科長は澄ました顔でそう続けた。
「天井は吹っ飛び、破片がグランド一面に飛び散った。だがな」
科長は目力強く俺たちを睥睨する。
「この建物は素晴らしい。爆発物を扱う建物に必要な要素。それは、頑丈さではない。天井が吹っ飛ぶことだ。そうすることにより、爆発の勢いを逃し、建物を維持させることができる。つまり、だ」
早口でそこまでまくし立てた後、科長は言う。
「薬品の保管についてはちょっと問題があったが、この建物は素晴らしかった」
「……そんな結論で良いんですか、これ」
野球部が呆気に取られた顔で科長に言う。
「そんなことがあったら、体育大会、中止でしょう?」
蒲生が尋ねると、科長が真面目な顔で、「違うわ、ばかもん」と言った。
「生徒総出でグランドに行き、飛び散った屋根の破片やコンクリを集め、翌日何事もなかったように体育大会を実施した」
「はぁ!?」
クラス中が驚く中、科長はけろりとした顔で言った。
「そんな、時代があったんだよなぁ」
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