第56話 店番1

        ◇◇◇◇


「俺、抹茶飲んで満足したの初めて」

 にゃんがぼそりと言うから、私は噴き出す。


 ちらり、と隣に座るにゃんを見ると、豚汁を入れる発泡スチロールのお椀を持っていた。


 中身は、グリーンティー。

 さっき、着物男子が『余ったからやるわ』と、持ってきたのだ。


 中ぐらいの発泡スチロールの椀に、なみなみと注がれたお抹茶の中に、いくつもの氷がぷかぷかと浮かんでいる。砂糖も入っているらしく、さっきいただいたお抹茶とはまた一風味わいが変わったらしい。

 ……まぁ、見た目も大分変わったのだが……。


「ステージ、行かなくてよかったか? 悪いな、店番させて」

 にゃんに尋ねられ、私は首を横に振った。


 私たちは今、陽がさんさんと射す中、パイプ椅子に座って石鹸を売っていた。


 ただ、客はいない。


 何もこの物販の前だけ、客がよりつかないんじゃない。

 来場者も在校生も、体育館に行ってしまっただけだ。


 なんでも、生徒会執行部が極秘で呼んだ芸能人が今、体育館ステージに来ているらしい。


 それで、客や生徒が一斉に体育館に押しかけ、こんな状態だ。

知らずに、にゃんのクラスがしている物販に戻ったら、店番を頼まれてしまった。


 ちなみに、他の模擬店は、あっさり店じまいを決めた。着物男子が「余った」とグリーンティーを持ってきたのも、そのせいだ。


 私自身は、体育館に向かう途中の伊達だて君が差し入れてくれた、綿菓子をつまんで口に入れている。莉子りこちゃん先輩もスポーツ飲料を差し入れてくれて、体育館に行くより、ここに居る方が得したような気がする。


「申し訳ないな。変な目に遭わせて」

 ふわりと蕩ける綿菓子の甘みにうっとりとしていたら、にゃんがそんなことを言いだした。横目に、にゃんを見ると、口をへの字に曲げて、片手持ちのまま、がぶりとグリーンティーを飲んでいる。


「頭のオカシナ部に誘拐されたこと?」

 私は笑う。にゃんは苦笑した。


「にゃんは、将来なんになりたいの?」

 私は綿菓子をにゃんに差し出しながら尋ねる。「俺?」。にゃんは綿菓子を受け取り、目を瞬かせた。にゃんが綿菓子を持ってくれている間に、私はペットボトルの蓋を開けた。ごくり、とスポーツ飲料を喉に流し込み、頷く。


「高校卒業後、って考えてる?」

 ペットボトルを机に戻し、もはや空になった商品入れの籠を眺める。買おうと思っていた宝石石鹸はやっぱり売り切れたらしい。


「公務員試験をとりあえず受けようかな、とは思ってる」

 にゃんはあっさり答えた。


「公務員?」

 私は再びにゃんを見る。にゃんは発泡スチロールの椀を机に置くと、「食べていいか?」と綿菓子を指さした。


「全部どうぞ」

 そう答えると、大きくむしり取って口に放る。「食べ応えが無い」。にゃんが悲しそうに言うからまた、噴き出してしまった。


「市役所の公務員?」

 私が尋ねると、にゃんは頷いた。


「水道局。この学校で取った資格を活かせて、休みがしっかりしてて、給料が安定しているところに入りたい」


 すらすらと答えるにゃんに、私は驚く。

 視線を感じたんだろう。にゃんはふと私を見、それからくすりと笑った。


「花火師になりたかったんだ、俺」

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