第55話 部活棟9
「あのねぇ」
にゃんは呆れたように島津先輩を見ると、また肩口でこめかみを流れる汗をぬぐう。反対の腕では私の肘を掴んだままだ。
「連れを誘拐した相手と何かしようとは思わんですよ。頼み方ってあるでしょう」
にゃんは言うと、顔をしかめた。
「それに、俺は剣道部だ」
「なら仕方ない。交渉決裂だ」
島津先輩がため息つき、にゃんが「いつ交渉したんだ」と呟いた。
「さっき、彼女に聞いたんだよ、織田」
島津先輩は眼鏡を擦り上げながら、顎を上げる。見下すようににゃんを見て、にやりと笑った。
「君の隠したいほど恥ずかしい過去の話をね」
ぎょっとしたのは、にゃんだけじゃない。私もだ。
「何言ってんのっ!」
心から言葉が吹き出した。
「そんな話、してないでしょっ!」
怒鳴りつけると、島津先輩と蒲生君が目を見合わせて苦笑する。
「まぁ、君としてはそう言うしかないよね」
「ですよねぇ」
「な……っ」
声は漏れたけど、言葉が続かない。
嘘つき、嘘つき、嘘つきぃぃぃぃ。
わなわなと表現できない怒りに肩を震わせていると、島津先輩がにゃんを眼鏡越しに見た。
「いやぁ、彼女を責めるのはやめてくれ。おれたちが、蛍の幼虫で脅した結果、仕方なく暴露したんだ」
「蛍の幼虫!? 脅す!?」
にゃんが素っ頓狂な声を上げて私を見下ろす。
「蛍の幼虫を背中に流し込む、って言ったのっ、この人っ」
私は島津先輩を指さして叫ぶ。
「あんた、変態かっ」
にゃんが島津先輩を見て、ドン引きしている。
「我々とて、最終手段だったんだよ」
首を横に振って言う島津先輩の隣で、蒲生君が「さりげなく、我々って言ってますね」とジト目で見つめて呟いている。
「最低だな、おい」
「……織田。最低なのは島津先輩だけだ。僕をそんな目で見るな」
蒲生君とにゃんが言い合っていたけれど、島津先輩が、「さて」と言葉を切る。
「そんな、人に聞かせたくない過去の話をバラされたくなかったら、化学同好会に入り給えよ」
ふと、にゃんが私を見る。びくりと背中が震え、私は必死で首を横に振る。
「言ってないっ! 私、なんにも言ってないっ」
信じて、と涙目になりそうだ。
私は何も言ってないのに、島津先輩の嘘を信じて、こんな頭のオカシイ部に、にゃんが入部させられたらどうしよう。
いや、それ以上に。
私が「にゃんの秘密を誰かに喋った」。
そんな風に思われるのはいやだ。
にゃんは泣きそうな私を一瞥し、それから息を吐いて島津先輩を見た。
「今川がこう言ってるんだから、なにも言ってないんだろ。帰らせてもらう」
にゃんの言葉に私は、腰が抜けるほど安堵した。思わずよろめくと、ぐいと肘を引っ張られ、「しっかり歩け」と叱られた。
まるで、引っ立てられる容疑者のように、にゃんに引っ張られて歩いたのだけど、部屋を出る直前でにゃんは振り返る。
「言っておくけど、ステージ発表の片付けは手伝わないからな」
途端に、蒲生君と島津先輩が、「えー!!」と非難の声を上げた。
「手伝えよ、織田っ! 約束しただろっ」
「そうだよ! いつも手伝ってくれるじゃないかっ」
「やかましいっ」
にゃんが大声で怒鳴りつけた。
「こんなことしといて、よく手伝ってもらえると思うな! その神経を疑うわっ」
にゃんは私をぐいと廊下に引き出すと、扉のドアノブに手を掛ける。
「俺は真剣に怒ってるからなっ! しばらく反省しろっ」
言うなり、勢いよくドアを閉めた。
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