第53話 部活棟7

「そもそも、始まってもいませんけどね。島津先輩」

 にゃんは屈めていた腰を伸ばし、くるりと島津先輩に向き合う。瞳を向けられた島津先輩は、邪気の無い顔で笑った。


「織田。化学同好会に入らないか?」

「こんな仕打ちを受けて入る馬鹿がどこに居るっ」

 にゃんが怒鳴り、蒲生がもう君が「正論だわなぁ」と深く頷いた。


「気に入って下さるのは嬉しいんですが、今後しばらく、あんたと関わりたくないっ」

 にゃんはばっさりと言い切り、半身になって振り返ると、ぐいと私の肘を掴んで引っ張る。私は慌ててイスから立ち上がり、にゃんの隣に並んだ。


「だいたい、なんで俺につきまとうんですか、島津先輩」

 にゃんは島津先輩に言いながらも、視線は私の頭のてっぺんからつま先まで移動する。どうやら点検されたようで、にゃんにとって問題なかったのか、「よし」と呟かれた。


「工業化学科で、織田ほど『話せる』生徒がいないからだよ」


 島津先輩は口を尖らせるようにしてそう言う。「は?」。思わずにゃんが聞き返し、私も目を瞬かせる。


「溶接技術部が溶接科生徒しか入部できないように、化学同好会は、工業化学科生徒しか入部できない。それは知っているだろう?」


 島津先輩が尋ね、にゃんが頷く。へぇ、そうなんだと聞いていた私をちらりと見やり、島津先輩は苦笑いする。


「一C(一年工業化学科)の物販をのぞいたなら、分かるだろう? 溶接科と違って、工業化学科の生徒は……。なんというか、恥ずかしがり屋が多いんだよ」


 そう言われて私は思い出す。

 ぼそぼそと話したり、皆で固まっておどおどしていたり……。にゃんに対しては対等にやり合っていたけれど、私が話しかけたら戸惑って返事どころじゃなかった。


化学同好会うちはね、『ものづくりコンテスト』なんかにも出るけど、一番多い活動は小学生対象の科学教室や、今日みたいなイベントでの販売、サイエンスマジックショーなんだ」

 ふぅ、と島津先輩はため息をついた。


「実験や作業は出来ても、大勢の前で『話せる』生徒は稀少なんだよね。一年だけじゃない。全学年にわたって」


「蒲生がいるじゃないですか」

 にゃんが顎で蒲生君をしゃくる。


「こいつは物怖じしませんよ」

「ただ、まだ発展途上なんだ」

 島津先輩が言い、蒲生君がしゅん、と下を向く。


「なんというか。説明が雑、というか……。下手なんだよね」

「誰だって、最初はそうでしょ」

 呆れたようににゃんが言うと、島津先輩が笑う。


「織田は上手い」

 にゃんは顔をしかめる。


「そんなことないですよ」

「君、中学三年生のとき、オープンハイスクールで来ただろう。あの時の説明を聞いて、『こいつはいける』とおれは思ったね」

 島津先輩はにゃんに向かってそう言うが、にゃんはぴんと来ていないようだ。


「……蒲生だって、あの時、いただろ? そんな場面、あったか?」

 にゃんが蒲生君を見る。蒲生君は頷き、口を開いた。


「あの時、実験を見学していた生徒がさ、質問したのを覚えているか?」

「質問?」 

 にゃんが顔をしかめる。どうやらそれも覚えていないらしい。


「『硫酸って、なんでも溶かすのに、それを入れているそのビーカーはどうして溶けないんですか?』」


 島津先輩が机の上のガラスポットを指さし、声音を真似て尋ねた。

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