第48話 部活棟2

「よく見ててね」

 島津先輩はお盆からステンレス水筒を持ち上げた。どうやらお湯が入っているらしく、ガラスのティーポットに注ぐと、水の色が綺麗な青色に変化した。


「綺麗な青」

 ドライフラワーの色とはまた違った『青』にお湯が染めらていく。しかも、上部と底部ではまた色が少し違うのだ。グラデーションのように濃さが変わる。


「別にこの状態で飲んでもいいんだけど、見た目と違って、結構味が淡白なんだよね」


 島津先輩は微かに笑い、隣では盆を持った蒲生君が大きく頷いている。島津先輩は盆から今度は小瓶を持ち上げ、ピンセットでレモンの薄切りをつまみあげる。


「砂糖漬けのレモンをカップに入れて」

 島津先輩は私の前に置いたガラスのカップにレモンスライスを入れると、ティーポットを持ちあげる。


「ゆっくり変化するから」

「変化……?」

 首を傾げる私の前で、島津先輩がティーポットを持ち上げる。ゆっくりと、ガラスのカップに青いハーブティーを注いだ。


 最初は、変化はない。

 濃い青の液体は、たぷり、とカップの中で揺蕩うのだけど。


 次第に。

 底の部分から、『紫』に変化していく。


「あれ……」

 呟いたころには、紫は『ピンク』へと色を変え、気付けば淡い桃色の液体がカップの中にあった。


「……なにこれ。なんか、変な薬とか入れたんですか?」

 唖然と私が島津先輩に尋ねると、蒲生君が笑いだす。


「普通にPHで変化したんだ」

 そう言われて、きょとんと彼を見返した。ふぅ、と小さなため息が聞こえ、私は島津先輩を見る。先輩はティーポットを持ったまま、後輩を斜交いに見やった。


「蒲生。そういうところを、ちょっと注意しよう。説明はもっと丁寧に」

 島津先輩に促され、蒲生君は少ししょんぼりした。


「ウスベニアオイの花の色には、アントシアニンという成分が含まれている」

 島津先輩が私に顔を向けた。


「そのアントシアニンは、酸性で赤、中性で紫、アルカリで緑色に変化をするため、指示薬としても使用される。このお茶は、それを活かして色を変えたんだ」


 穏やかに説明した島津先輩は、カップの底のレモンの輪切りを指さす。なるほど。私は呟く。「レモンの酸性で桃色に変化したんだ……」。島津先輩は頷く。


「そう。マロウ茶というのは、昔から愛飲されたハーブティーでね。深い青から淡い桃色に変化することから、『夜明けのハーブ』と呼ばれている」


「夜明け……」

 なるほど。

 私は、綺麗な桃色の液体を眺め、呟く。


 昔の人は、このお茶の水色が暗から明に変わるさまを、夜明けになぞらえたのだ。


「……いただきます」

 私はカップを持ち上げ、そっと口元に近づける。淡い蒸気と共に頬や鼻先をかすめるのは、微かな花の香と柑橘系の匂い。口に含むと、甘酸っぱいレモンの味が広がった。


「ハーブティだけど、ハーバルという感じではないけどね」

 島津先輩の言葉に、私は素直に頷く。だけど、自然に穏やかな気持ちになるのは、この水色のせいだ。落ち着いた青から華やかな桃色に変わるこの液体が、不思議な力を持っているようにさえ思う。


「ごめんね。誘拐するみたいな真似してさ」

 蒲生君が眉をハノ字に下げて私に言う。

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