第44話 茶道部

      ◇◇◇◇


「いっつも思うんだけどさぁ」

 にゃんは両掌に包んだ茶碗を覗き込み、口をへの字に曲げた。


「この器に対して、この抹茶の量は少なくね?」

「それ以上飲んでも、美味くないぞ」

 着物姿の男子生徒が呆れたように、にゃんを見下ろしている。


「いや、それでも量がおかしい。俺、初めて抹茶飲んだとき、『……え? こんだけ?』って思った」

 にゃんは言いながらも、鶯色の液体を覗き込んでいる。着物男子はその様子を眺めて苦笑した。


『なにが喰いたい?』

 中庭に移動しながら、にゃんが言うから私はむっつりと睨み上げる。


『がっつり食べたいわけじゃないの。座って、お茶とかしたいだけ』

 そう言うと、『クラスメイトが茶道部なんだ。野点に行くか?』と言い出した。

 私は不機嫌など吹っ飛んで頷く。


『お茶席、あるんだ! 行きたいっ』


 そして、連れられて来たのは、中庭の丁度真ん中あたりだ。

 着物男子がお盆を持って接待してくれる野点で、にゃんはそのクラスメイトらしき男子に声をかけ、私達は長椅子に並んで座った。ひとり二百円らしい。にゃんと一緒に、百円硬貨を二枚ずつ払う。すぐに、お盆に載せた抹茶と和菓子を、着物男子は運んでくれた。


『かしこまらなくていいから。お好きにどうぞ』

 柔らかい笑みを浮かべた着物男子がそう言ってくれたから、私も肩の力を抜いて『ありがとう』と応じる。手渡してくれたのは、あじさいという主菓子だった。黒文字で切り分け、一口含むと甘さが口に蕩けて瞬時に幸せになる。余韻に浸っていたら、にゃんは一口で食べ切って、『少な……』と呟いていた。


「君の前でもこんな感じ? なんかこう、理屈っぽいというか、無粋だよな、この男」

 着物男子がそう言って笑うから、私は曖昧に微笑む。まぁ、にゃんは思ったことはいつもはっきり言うヤツなのは確かだ。


 私はにゃんと並んで坐ったまま、顔を上げた。


 日傘の日陰が、心地いい。

 緋色の日傘が何本も立ててある長椅子のひとつに、私は座っている。


 正直座れてちょっとほっとした。昨日あんまり眠ってないからかもしれない。バスに揺られ、にゃんに連れられて何箇所か校内を回っただけで酷く疲れていた。


 にゃんと同じように器を両手に包むと、お湯の温かさがほんのり伝わってくる。小さく泡だった鶯色の表面を眺め、にゃんと着物男子の会話を聞いていた。


「いつから付き合ってんの? お前だけ、近隣校区から来てないから知らなかった」

「いや、こいつは従姉妹だから」


「そんなのはいいから。中学校から?」

「つきあってない」


「へぇ。付き合ってないのに、文化祭呼んだんだ。わざわざ、許可証とってまで。ふーん。まぁ、いいけどな。へー。従姉妹ね。ほー。あんまり似てないけど。はっはっは」

「うるさいな、お前。他にも客がいるだろ。接待しろよ」


「一段落してるから、全然平気。暇」

「だったら、クラスの物販にもどれ。あいつら、女子に売らないんだ。恥ずかしい、とかいいやがって」


「そのうち、野球部が戻るだろ。放っとけよ、俺らどんだけ準備に手を煩わされたか……。それに、宝石石鹸は売れる。あいつらでも売れる」

「あんなの売れるのかと思ったら、結構いくな」


「そりゃ、きらきらしたものはいける。逆に廃油石鹸は、最近一般化してるからな」

 そんな会話を聞き流しながら、お抹茶を飲んだ。美味しい。温度といい、舌に残るほのかな苦味といい、ひとごこち着いた気分だ。


「あ。蒲生がもうから伝言頼まれてたんだ」

 私が抹茶を飲みきり、器の口の部分をちょっと指でこすった時、着物男子がにゃんにそう言った。


「蒲生が? 何を」

 ちらりとにゃんの手元を見ると、いつの間にか飲みきったらしい。器の中にお抹茶は残っていなかった。


「手伝ってほしい事があるから、化学実習室に来てほしい、って」

「文化祭中、校舎は立ち入り禁止だろ?」


「化学同好会は実習室を使うから特別に立ち入りが許可されてるらしい。この前のイベントみたいに人が足らないんだろ。とにかくおれは伝えたぞ」


「だから、俺は化学同好会じゃない、っつうの」

 忌々しげににゃんが言った後、私を見た。


「俺、ちょっと行って来るから、ここにいるか?」

 そう言われ、どうしようかと少し迷う。疲れていることは確かだし、実はにゃんが『作ってやる』と言っていたけど、あの宝石石鹸が欲しい。買いに行きたい。別行動をしてもいんだけど……。


「今川」

「ん?」

 考えていたら名前を呼ばれ、首を傾げる。


「抹茶、ついてる。口のところ」

 にゃんに言われて慌てて指を口元に当てるけれど、にゃんは「違う」と言いたげに眉根を寄せた。ハンカチで拭こう。そう思った矢先。


「ほれ」

 言うと同時に、にゃんの腕が伸びてきて、親指の腹でぐいと口の端を擦られた。「ちょ……」。乱暴だな、と文句を言ってやろうと思ったのに、今度は引っ張った白衣の袖口で拭われる。小さい子か、私はっ。


「言ってくれたら、自分でするっ」

「出来ないからしたんだろうが」

 むっとした顔のにゃんが言い返してくるから、更に反論してやろうとしたら、「あのさぁ」と着物男子が言葉を差し込んできた。


「いちゃいちゃするなら、ちょうどいいじゃん。二人一緒に人気のない校舎に行ってこいよ」


「「いちゃいちゃなんてしてない」」

 二人同時に言い放ち、そのあと呼吸を合わせたように、また同じ台詞を吐く。


「「従姉妹だし」」

 着物男子は肩をすくめて、「はいはい」と応じて私たちに背中を向けた。


「器はそのままにしといてくれ。また片づけるから」

 そう言って、立ち去る。背中を追うと、どうやら新しいお客さんが来たようだ。にこやかに笑顔で応対し、席に案内していた。


「行くか、実習室」

 にゃんは立ち上がり、私を見降ろす。私は周囲を見回した。野点に人が集まり始めている。バスの中で見たような人もいて、多分、今から休憩がてら更に人が来ることが予想されそうだ。


「うん」

 私は頷いて立ち上がった。

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