第40話 毛利・武田3

「溶接、見たことあるか?」

 毛利先輩がぷらぷらと歩きながら尋ねるから、首を横に振った。「かっこいいぞ」。毛利先輩は笑う。


「火花が、がーって散って、熱がぐわわわー、ってきて」

「危険なんですね」

 さっきの旋盤といい……。普段見ないだけになんか腰が引ける。


「いやぁ、耐熱のエプロンつけてるし、顔には溶接用のマスクつけてるからなぁ」

 毛利先輩はそう言ってから、にゃんを立てた親指で示す。


「俺らから言わせれば、工業化学科が一番危険だぞ。あいつら、硫酸だの塩酸だの平気で使うからな」


「うちは安全ですよ」

 にゃんが顔をしかめる。


「俺の同級生、薬作ってたぞ、薬。毒薬作るんじゃ無いのか?」

 毛利先輩がからかうけれど、私はびっくりしてにゃんを見た。


「薬なんて作るの?!」

「合成技術の実験でな。解熱鎮痛剤」

 にゃんが口にしたのは、私も知っている商品名だ。「頭痛に〇〇〇リン」というやつ。


――― あんなの作るの……


 呆気にとられる私を余所に、毛利先輩とにゃんは何か専門的なことを話し始める。私はそんな二人の会話を聞き流しながら、目の前の四角いスペースを眺めた。


 三方を黒いビニール袋で覆われているけれど、一面だけ何も張られていない。


 見物客達はそこから中をのぞき込み、口々に何か言い合っている。私も背伸びをし、なんとかのぞき込もうと顎まで上げたけれど、よく見えない。ちょこちょこと動き回り、なんとか空いているスペースに首を突っ込むと、莉子りこちゃん先輩が私達に背を向けて座っている姿が見えた。


――― ここにいれば、溶接が見えるかな


 そう思っていたのに、にゃんに呼び戻される。

「あそこから見えるよ」

 私がにゃんに伝えると、「肉眼で見るな」とお面を突き出される。


 なんていうんだろう。

 鉄仮面のお面の部分だけ切り取ったようなもので、目の部分には真っ黒なガラスみたいなものが嵌められている。顎の下部分には棒が付けられていて、にゃんはその棒を持って私に「ほれ」という。


「どっから持ってきたの?」

 尋ねると、にゃんが指を指す。『溶接見学者は、必ず使用して下さい』。校舎の壁にはそんな張り紙があり、段ボール箱にいっぱい、同じようなお面が入っていた。


「これ、どうするの?」

「コレ越しに見るんだよ」

 そう言うにゃんは、自分用のお面も持っている。


「溶接用手持ち面、って言って、この黒いところからのぞくんだ。じゃないと火花に目をやられるぞ」

 毛利先輩は笑ってそう言うと、自分もさっさと手持ち面を持って四角いスペースに歩いて行った。


「なるほど、なるほど」

 私はにゃんから手持ち面を受け取ったのだけど……。


「重いっ。なにこれっ」

 にゃんも毛利先輩も軽々と持ってたから、分からなかった。「そうか?」。にゃんはきょとんとした顔で手持ち面を片手で持ち、毛利先輩の後に続く。


 私は手持ち面を両手で持ち、にゃんの後ろに続いた。なんか、溶接を見る、というより聖徳太子になって笏を持った気分だ。


 にゃんが足を止めるから、私も足を止めた。人混みの隙間を縫い、なんとか莉子ちゃん先輩の背中が見える位置で体を止めた。


――― 始まる前に、一度のぞいてみよう……。


 よっこいしょ、と手持ち面を顔まで持ち上げて黒いのぞき窓から見てみるけど……。


「にゃん」

「にゃん、って言うな」


「真っ暗で何も見えない」

 本当に真っ暗で何も見えない。人も物も全くだ。磨りガラス越しに見えるような感じを想像していたが、全く見えない。そして重い。


「今は見えないけど、火花は見えるから」

 毛利先輩の声が聞こえる。近くに居るらしい。


 同時に、ばちばちと礫が当たるような大音量が聞こえた。「始まった」。誰かが言い、私は、単純によく見たくて、咄嗟に手持ち面を下げた。肉眼で莉子ちゃん先輩の背中を見る。


 瞬間。


「ひゃあ! 目がっ。目がぁっ」

 思わず呻く。目がちかちかするっ! すごい火花っ! 火花って言うか、真っ白! いや、真っ青!? なんかよくわかんないけど、眩しさが目を刺す。


「なにやってんだ。だから、肉眼で見るな、って言ったろう」

 呆れたような声が上から振ってきて、急に手持ち面を持っていた腕が軽くなる。目を何度も瞬かせながら、そっと開いてみた。


 真っ黒い。

 夜空に花火が散るような。


 一斉に流星が流れたような「白」が広がり、そしてそれが再生され続ける。


「見えたか?」

 にゃんの声が聞こえて視線を移動させると、私が両手で持っている手持ち面を、誰かががっしり掴んでくれている。白衣の腕だ。にゃんが支えてくれているらしい。


「ありがとう。すごいね。きれい」

「目を焼くけどな」

 毛利先輩が笑う。顔を上げると、すぐ左隣に居た。どうやら私はにゃんと毛利先輩に挟まれているらしい。最前列で座り込んで見学している中学生からも、「すげー」と声が上がっていた。



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