第38話 毛利・武田1

        ◇◇◇◇


「織田じゃねぇか」

 野太い声ににゃんと同時に振り返ると、濃灰色の作業着を身につけたプロレスラーみたいな人が居た。


「あ。毛利先輩。こんちはっす」

 にゃんが会釈をすると、プロレスラーみたいな人が軽く片手を上げて応じる。ちなみに、反対の方の手には、女の人がぶら下がっていた。多分、腕を組んでいるんだろうけど、ぶら下がっているようにしか見えない。


「毛利先輩。剣道部の」

 にゃんが私に簡潔に教えてくれる。私は毛利先輩に向かって、ぺこりとお辞儀をした。


「えっらい、小さくって可愛らしいカノジョだな」

 顔を上げると、毛利先輩がにやりと笑う。なんだか怖じけて、にゃんにすり寄ると、小さなため息を漏らしてにゃんが答えた。


「従姉妹っす」

「私も、雄大ゆうだいの従姉妹~」

 にゃんに答えたのは、毛利先輩の腕にぶら下がる女の子だ。


 私より年上だということはわかったけれど。

 高校生のようにも見えるし、大学生のようにも見える。というのも、化粧をしているからだ。服装も随分大人っぽいし、持っているバックや靴もなんだか高そう。


 私が彼女に視線を走らせているように、彼女もどうも私に視線を走らせていたようで。


 ふと目が合うと。

 斜交いに顎を上げて笑われた。


『あんた、その恰好で行くの?』

 咄嗟にお姉ちゃんの声がよみがえり、頬が熱くなって俯いた。

 だめだったかな、この服装。私は別に問題ないと思ったんだけど。


「今からどこ行くんだ?」

「いや、中庭に行こうかな、って。従姉妹がなんか喰いたいって」


 にゃんが毛利先輩にそう言った時、女の人が小さく笑うからまたいたたまれない。いや、確かに言ったよ。さっき。


『次、どこ行きたい?』

 そう聞かれたから、ずっと立ちっぱなしだし、座りたいな、と思って確かに言ったよ、私。


『中庭で休憩したい。座って、なんか食べる?』

 って。


 だけど、それを『喰いたい』って表現されたら、なんか違うのよ、もうっ。


 苛立ち紛れににゃんの背中を殴ると、「いてっ」と声を上げて、不可解そうに睨まれる。いや、あんたが悪いから、今のは。


「中庭行く前に、ちょっと寄れよ。今から、莉子りこが実演するんだ。溶接の」

 毛利先輩は全然私達を気にせず、そんなことをにゃんに言う。


「まじすか」

 にゃんが少し目を見開く。おお。莉子という人は、にゃんにとって特別な人らしい。


「剣道部の先輩なんだ」

 にゃんが私を見下ろして言った。

「見に行かないか? その後、中庭でもいいか?」

 私は頷く。全然問題ない。ってか。にゃんが気になるその『莉子』という人を見てみたい。


「えー。雄大。中庭行こうよぉ」

 途端に不満声を上げたのは、毛利先輩にぶら下がる女の子だ。グロスのついた口唇をとがらせ、毛利先輩の腕を左右に振る。

「つまんなぁい」

 そういう女の子に、毛利先輩はにっこり笑った。


「俺は別行動でも構わないけど」

 途端に女の子はむっつりとした顔で押し黙り、ぎゅっと毛利先輩の腕に抱きつく。


「溶接実習棟っすか?」

 右腕に女の子をぶら下げたまま、さっさと歩き出す毛利先輩の後をついて歩きながら、にゃんが尋ねる。


「いや、ビオトープ付近」

「屋外っすか」

 にゃんが驚いた声を上げた。いまいち位置感覚がつかめないが、私はにゃんに並んで歩く。


 また正門前に戻り、ムキムキあひるを横目に、今度は西側の校舎付近に向かう。にゃんが『体育館と武道館がある』といっていた場所だ。トタン屋根が張られた駐輪場が並ぶアスファルトを抜け、目の前にどうやら体育館らしい建物が見えてきた時だ。


 塀の側に作られたビオトープが確かに見えた。


 しかも。

 通っていた小学校にあったようなビオトープじゃ無かった。

 かなり本格的だ。


 大きな岩が積まれ、流水の池があり、湿地に生えるような植物が群生している。小さな羽虫なんかも飛んでいて、池をのぞき込んでいた小さい子が「めだかがいる」と喜んでいた。


「……高校だと思えないね……」

 思わず私は呟く。

 敷地面積といい、設備面といい。まるで私立のようだ。これが県立の設備だとは信じられない。


「一時期県立工業大付属だった時期があるんだ」

 にゃんが私に言うから驚いて顔を上げる。


「大学構内の一部になっていた経緯があるから、設備や敷地面積が広い。県内でも基幹校のひとつだしな」

 なるほど。それならば納得だ。


「ボイラー実習設備なんかすごいぞ。後で、織田にみせてもらえよ」

 くるりと毛利先輩が首をねじって私に言う。すかさず「あたしもみたーい」とぶらさがり女子が口を尖らせた。毛利先輩はにっこり笑って、「あとでね」と答えている。


「カノジョなのかな」

 私は小声でにゃんに尋ねた。にゃんは小さく肩を竦めて、「従姉妹だろ」と言う。


「ほら、アレだ」

 毛利先輩が不意に振り返り、ビオトープと反対を指さす。


 一番西側の校舎壁面側だ。

 黒いビニール袋で三方に覆いを作った四角いスペースが見える。確かに人だかりが出来ていて、保護者らしい大人や、中学生が群れて四角いスペースの中をのぞき込んでいる。


「毛利! 織田君!」

 凜とした声が聞こえてきて、私は顔を向ける。


 声は、四角いスペースから聞こえた。

 黒いビニール袋で覆われたそこから現れたのは、毛利先輩と同じ作業着の上から大きなエプロンをつけた女の子だ。

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