第35話 伊達4
ごごん、と音を立てて伊達君は机の上にプラステンを置いた。「ふう」と息を吐いている。どうやら、相当重いらしい。
「なにこれ」
にゃんが指をさし、私を見た。
「プラステン、って言うのは作業療法でも使われるおもちゃでね。あの棒に挿さっているリングを抜いたり、また元通りに挿したりするの。そうして、目と手の協応動作を促すんだけど……」
「……さっぱり意味が分からん」
にゃんがあっさりそう言うから私は戸惑う。「えーっと」。私は机の上のプラステンを指さした。
「鉄の棒にリングがはまってるでしょ?」
私の知っているプラステンは、木製の土台に、4本の棒が打ち付けてある。その棒には、四色に色分けされた木製のリングが十個ずつはまっていた。
ただ、伊達君の取り出したプラステンは、鉄板に棒が四本突き出ていて、武骨なナット状のリングが嵌っているのだけど……。
「このリングを一度全部外すの。つまんで」
「ふーん」
「で。もう一度、同じように戻す」
「……なんで?」
「いや、そういう遊びだったり、訓練なの」
心底理解できない、というような顔のにゃんに、私は「うう」と唸る。
「つまむ、って実はすごいことでね、小さい頃にこれが出来ないと、ボタンが嵌められなかったり、モノが握れても細かい作業ができなかったり……。難しい事なの。で。そのつまむ、とか細かい作業をするためには、目で見て、それを脳が指示して指を動かさないといけないのよね。目と手が連動しないとできないの。その訓練の為に、こういったおもちゃが使われたりする」
「なるほど。わかった」
ようやく納得してくれたらしい。ほっとして私が息を吐くと、にゃんは伊達君に向き合う。
「やってみていいか?」
「いいぞ」
言うと同時に、伊達君は作業服のお尻のポケットから軍手を取りだし、にゃんに突き出す。
「……どういう意味だ」
「軍手をはめてやれ」
「どうして」
「リングの研磨が上手くいかなかった。ところどころ鋭利で、触ると怪我をする恐れがある」
「………」
「あと、織田。お前安全靴か?」
「いや、違うが……」
「じゃあ、十分気を付けろ。このプラステンが倒れてきた場合、足を潰すぞ。総重量が……」
「危険すぎるだろ!」
「だが、お前のカノジョが説明した通り、これは作業療法でも使用される立派な……」
「つまむための訓練なのに、軍手が必要って、おかしいぞ。そして、こいつは従姉妹だ」
「難易度を上げるために必要だろう。軍手。なぁ、織田のカノジョ」
「嘘つけ。さっき、危険だから軍手はめろ、って言ったろう。そしてこいつは従姉妹だ」
「やるのか、やらんのか」
「やらん。危ない。だいたい、なんでこんなもん作ったんだ」
「今、俺たちが出来うる技術の
「技術の粋の中に、『安全性』はなかったのか」
呆れてにゃんは言うと、商品の端っこについていたらしい値段を見て「高いっ」と顔を顰めた。
「伊達が一人で留守番なのか?」
にゃんが尋ねた後、ふと、後ろを振り返った。
なんと、見学者だ。夫婦づれと、中学生三人組が棟内に入ってきた。きょろきょろしながらも、物珍しげに旋盤に近づき、何事か話をしている。
多分、私たちが騒いでいたから、「ここも見学できるのか」と覗きに来たようだ。
「交代制なんだ。ここが終わると、中庭に移動して今度は綿菓子を売る」
「綿菓子機なんて持ってたのか?」
にゃんが鋭く聞く。なんか対抗意識の炎がその背から立ち上るのが見えた。
「スクラップ工場に捨てられてたのを、クラスメイトが拾ってきた。科長と一緒に修理したら何とか使えるようになってな」
ふふん、と伊達君は笑う。「くっ。本命はそっちか」。にゃんが悔しげに呟いた。なんだろう。売上対決でもしてるんだろうか。
「将来は、そんな機械を触る仕事につくの?」
なんとなく私は伊達君に尋ねる。背が高いから、顔を上げる、というより顎が上がった。
「自動車に携わる仕事がしたいんだけど。設計とかね」
伊達君はあっさり答えたものの、肩を竦めて笑った。
「実際は、ライン作業だな。でも、自動車に携われるんならなんでもいい」
私は、ぽかん、と伊達君を見上げる。
私の返答に、すぐに答えを返してきたことが物凄く意外だった。
私の周囲には。
『何を目指しているの?』
そう尋ねると、難関大学をすらすら答える生徒は山のようにいるけど。
『将来、何になりたいの?』
質問を変えると、途端に無言になる。その後、『国家公務員かな』とか、『有名企業に入社』とぼそりと言うが……。
その答えに、実感がないことが多かった。
「すいません。この機械なんだけどね」
不意に背後から声がかかり、伊達君が「はいっ」と大きな声を上げる。振り返ると、さっき入ってきた夫婦の旦那さんが、伊達君を手招いている。
「すぐ行きますっ」
伊達君は言うと、素早く夫婦づれに駆け寄る。
「次、行こうぜ」
その背中を眺めていたら、にゃんに声をかけられた。「うん」。私は頷き、にゃんと共に、機械科実習棟を出る。
「どこ行きたい?」
外に出ると、陽が眩しい。私は目を細めてにゃんを見上げると、「にゃんのクラス」と答えた。
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