第26話 同級生1

「にゃん!」

 駅のホームで石田と並んで電車を待っていると、聞き覚えのある声が響いてきた。


「……猫?」

 石田が不思議そうに顔を上げ、周囲を見回すが、俺は絶対に振り返らなかった。声のする方に背を向け、できるだけ顔を伏せる。


「ねぇ、でしょ?」

 だが、最悪な事にそいつは俺のところまで歩み寄り、どん、と背中まで叩く。


「……にゃん……?」

 石田が俺を見上げたようだが、視界に奴の顔は入ってこない。なにしろ、そいつが俺の前に回り込み、うつむく俺の顔を下から覗き込んだからだ。


「やっぱり、にゃんじゃん」

 にこりと笑う今川を俺は睨みつけて唸る。


「その名で呼ぶなっ」

「にゃんはにゃんじゃない」

 けろりとした顔で言う今川を俺は見下ろす。


「じゃあ、お前のことは『ノーカン』か、『鼻血ぶー』って呼ぶからな」

 途端に真っ赤になり、「それは酷い」だの、「それが女子に対する言葉か」と指をさして糾弾する。その間、俺の隣では石田が腹を抱えて笑い、「にゃん、にゃん」と意味不明の言葉を呟いて息切れを起こしていた。


「同級生?」

 今川は、「ひぃぃ。呼吸困難で死ぬ」と涙を流しながら悶えている石田を指さして尋ねた。

「そう。おんなじ部活の石田」

 俺は答え、「しつけぇよ」と体をくの字に曲げてまで笑う石田の肩をぐーで殴る。


「また剣道部なんだ」

 今川が俺の背負う竹刀袋を見て笑った。

「そっちは? バスケ部か?」

 俺はざっと今川の姿に目を走らせる。このあたりでは進学校で有名な県立の制服を着ていた彼女は、中学時代よりなんとなく痩せて見えた。


「ううん。部活は入ってない」

 そう言って微かに笑う感じに、おやと首を傾げたくなる。こんな風に笑う奴だったか、と。中学を卒業して以来3か月ぶりに会うが、なんとなく雰囲気が変わった気がした。


「ねぇ、なんで『にゃん』なの?」

 石田が目に浮かんだ涙を乱雑に擦り取りながら、今川に尋ねる。「おい」。俺が目で制すが、今川はきゅっと目を細めて笑った。前言撤回。昔と一緒だよ、こいつ。


「小学校の時に、学校に迷い込んだ猫をクラスの皆で飼ってたの。貰い手がみつかるまで、って期限付きで」

「……おい」


「クラスの皆が抱っこしたりして可愛がってるのに、織田だけ近づかなくてね。嫌いなのかな、って女子同士で言ってたんだけど」

「おい……っ」


「放課後、忘れ物して教室に戻ったら、こいつが仔猫をだっこして、『にゃん、にゃあ』って猫語で会話してたの」

 途端に、石田は俺を見上げ、それから再度大爆笑をする。俺は顔を顰め、石田に言った。


「その日、俺がエサ当番だったんだ。餌をやって帰ろうとしたら、追いかけてくるし、巣に戻したら、にゃあにゃあ鳴くし……」

「巣ってなんだよ。ゲージがなんかだろ」

 また石田が腹を抱えて笑う。


「知らん。当時猫を入れてた段ボールだ。巣だよ、巣。一匹にした途端鳴くから、途方に暮れて……」

「それで、一緒ににゃあにゃあ鳴いてたのよね」

 今川が得意そうに言い、石田は「だから、にゃあ、か」とぜぇぜぇ呼吸しながら言う。俺は今川をじろりと睨みつけ、石田に言う。


「こいつさ。六年生の時に」

「ちょっと、にゃん!」


「ドッチボールで顔面にボールを喰らったんだよ。それで鼻血出してさ」

 今川は俺の肩をぼこぼこ叩きながら、「やめろ、にゃん!」と怒鳴っているが、語尾に「にゃん」を付けているイタいアイドルみたいになっている。


「女子だし、皆の前で顔面に食らったし、鼻血出すしで、心配したのに、第一声が、『顔面はノーカンだよね!』って鼻にティッシュ詰めてまたコートに戻って……。痛ぇな、おい」

 とうとうローキックまで脛に食らった。カチン、と来たが、このエピソードにけらけら笑う石田を見て、溜飲を下げることにする。


「……にゃんは、黒工クロコウに進学したの?」

 ぶすっとして今川は俺に尋ねる。俺は頷き、顎で今川をしゃくった。

「お前は、県立に行ったんだな」

 俺の言葉に今川は曖昧に頷き、一瞬伏し目がちになったが、すぐにまたあの、悪戯っぽい瞳を向けてきた。


「黒工って、『前ならえ』で、すっごい肘ぴーん、ってするって本当?」

 言われて俺と石田は顔を見合わせる。


「……普通高校の『前ならえ』はどうなんだ」

 逆に俺が尋ね返すと、今川は驚いたように首を横に振る。


「前ならえ、なんてしないよ」

 その返答に俺と石田は驚愕した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る