1-11

 それから一時間くらいして、ようやく扉は開いた。

「ご、ごめんねトオル、待ったよね」

「まあな」

 オレが頷くとシェーレがすかさず蹴りを入れてくる。

「そこは「大丈夫、今来たところだ」でしょうが」

「無理があるだろうそれは」

 一時間前に挨拶しちゃったんだから。

「ト、トオル!」

「ん? どした」

 妙に気合いの入ったユイの声に、オレは反射的に背筋を伸ばす。

「そ、その……」

「ん?」

「う、ううん、なんでもない」

「そうか」

 ユイはそのまま俯いてしまった。どうしたんだか。

「体調悪いのか? 無理することないぞ」

「だ、大丈夫! 大丈夫だから!」

「?」

 今日は謎が多いな。オレは探偵じゃないから解決できそうにないんだが。

「せめてスカートを選ぶべきだったのよユイ。でもトオルもトオルよね全く……」

 シェーレはシェーレでボソボソ何事かつぶやいていた。

「あー、トオルだ。おはよー」

「おはようさん」

 扉の奥から出てきたタツキだけが平常運転だった。

「で、シェーレたちもくんの?」

「ええ、こうなったからには付き合うわ」

 どうなったんだよ。

「……よし、じゃあ行こう! まずは親方のところだ!」

「でもよユイ」

 オレはユイの腰のあたりに目を落とす。

「なに?」

「工具、いるのか?」

 そこには基本的な工具が鈴なりになっていた。

「? 当たり前でしょ」

 当たり前なのか。

 まあいいや、とりあえず行くか。


 徒歩と電車で三十分ほど移動した先は、古びた工場の並ぶ区画だった、

 ユイはその一つの中へとずんずん入っていく、

 建物の中には旋盤やボール盤など、古くからの工作機械がいたるところに鎮座していた。見たところどれもかなり使い込まれている。

 鉄と油の匂いの充満する薄暗い建物の中からは、オレたちを弾きだそうとする圧力のようなものを感じずにはいられななかったが、ユイは全く気にならないようでスイスイ奥に進んでいく。

「親方ーきたよーどこー?」

「そんなに大声出さなくても聞こえてるよ、ユイ」

 工作機械の間から、女の声が返ってきた。

「あ、いた」

 使い古された作業服といい、全身から立ち上る気配といい、新聞から目を上げた親方と呼ばれた女は女であることなど気にならないくらいにこの工場に馴染んでいた。

 背、高いな。オレよりも大きっ⁈

「あっぶね⁈」

 オレは眉間めがけて飛んできた銀色の塊をつかむ。 

 つかんだのは24ミリの片口スパナだった。

「いきなり何しやがる!」

 初対面だがオレは叫んでしまっていた。

「ふん、なんだか失礼な目だったからね。これでも女でね」

「普通の女はスパナ投げねえって」

「今日は随分大勢連れてきたんだね、ユイ」

「うん、クラスメイト」

「どうもね」

 ブスッとしながらオレは言った。

「はいこれ」とユイが紙の束を親方に渡した。紙面には幾つもの線が錯綜し、ところどころに寸法やらなんやらを指示する数字やら記号やらがかわいい字で書き込まれている。ありゃ図面か。

 しばらく受け取った図面に目を落としていた親方は図面の一つを指差す。

「ここはC面取っときな。軽いほうがいいだろ」

「あっ」

「ここにこんなシビアな公差いらなくないかい?」

「うっ」

「ここ、寸歩が違う」

「あああああっ!」

「減点百」

 そのあとも幾つかの指摘でボコボコにされたユイは肩を落として図面を受け取る。

「直してきます……」

「おう、奥で直してきな」

 ユイがしょんぼりしながら奥に消えていくと、親方の鋭い目がオレたちの方を向く。

「不思議そうな顔だね」

「まあ」

 オレは慎重に口を開いた。

「オレはパイロットだから整備のことは詳しくはわからねえ。けど、オレの知る限りユイは優秀だ。それが、」

「それがああもコテンパンなのは変だ、だろう?」

 オレは頷いた。

「確かにあの子の整備にはセンスがある。あたしからしたらまだまだだけどね。でも、それは整備でしかない」

 オレは首をひねった。何を言ってるか全然わかんねえ。

「吸血鬼の娘はわかってるようね」

 シェーレは「ええ、まあ」と頷いた。

 電気と機械という違いこそあれ、やはり整備に携わる人間同士通じあう部分があるってか。

「整備というのは元ある状態に戻すことです。ですがあれは私の知らない図面でした。改造のためのものでしょうか」

 シェーレの確認に親方は頷く。

「すでにあるものをよりよく改造する、というのは整備よりもはるかに難しいことです。目的を定めて機器を選定し、場合によっては図面を引いて」

「確かに、整備するだけじゃ図面は引かねえか」

 単純に直すというが、それだって簡単なことじゃない。

 何処が壊れているのか、どう壊れているのか、何が壊れているのか、それらを見抜いて適切な修理を施さないといけない。

 そしてユイはさらにその先に行こうとしている、整備を超えた改造は、ブシンでもさらに高度な行為だ。

 だがそうなると、別の疑問が出てくるわけだが。

「んー、それ、学校じゃできないのか?」

 ま、何か理由があるんだろうが。

「で、あんたさっきパイロットって言ったね。ユイのクラスメイトとも」

「ああ」

「乗ってる機体は?」

「《ツワモノ》だけ、どっ⁈」

 言い終わる前にスパナが飛んできた。今度は両口。

「だから何しやがる!」

「ふん、あの子の分だよ」

 親方が手元でスパナをくるくる回す。

「おいシェーレお前なんでうんうん頷いてるんだ」

「さあ。自分の胸に聞いてみれば?」

 オレは自分の胸に聞いてみたが、胸はキミは悪くないよとテノールで返してきただけだった。だよなあ。

 そこでユイが奥から戻り、もう一度図面を見せ、今度こそOKをもらったらしく、胸をなでおろしていた。

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