第295話 四面

 呆然と様子を伺っていたバートン達だが、クリスとアイオーンが一歩を踏み出すと同時に、警戒態勢を取った。


 それでもお構いなく動く自身の脚に戸惑いながらも、クリスは体の様子を観察する。


 体中に刻まれていた大量の傷は、いつの間にか閉じてしまったらしく、出血も止まっている。


 傷が塞がったのと一緒に、欠けていた鱗も治っていることから、自然治癒力が向上しているように思えた。


 不思議な点はそれだけではない、一つの身体に二人の意識が混在しているにも関わらず、身体を動かすことに一切の支障が無いのだ。


 どういう理屈なのか、良く分からなかったクリスは、すぐにそんな疑問を放り捨てると、眼前に構えている敵に意識を集中することにした。


『クリス! 気を付けて! 足元に何かが近付いてるよ!』


「マジか!?」


 頭の中に響き渡ったアイオーンの声を聞き、思わず声を上げたクリスは、勢いのまま大きく跳躍してしまった。


 結果的に言えば、その跳躍は功を奏したと言えるだろう。


 クリスの走っていた進路を妨げるように、数本の太い枝が隆起したのだ。


 跳躍することなく駆け続けていれば、鋭い枝の先端が彼の胴体を貫いていただろう。


 成す術なく命を落としてしまう自身の姿を想像しながら、クリスは溜息を吐き、眼下を見下ろす。


 この攻撃が誰によるものなのか、考えるまでも無い。


 クリス達のことを見あげているドグルが、両腕を足元の床へと潜り込ませていた。


「ドグルは仲間じゃなかったんか? まぁ良いや、悩んでも仕方ねぇし」


『クリス、気を付けて、多分ドグル以外にも居るよ。木のある場所は全部、敵だと思った方が良いね』


「アイオーン、それってニオイが分かるってこと? いつの間に、またニオイが分かるようになったん? それと、どうやって頭の中で話しよるん?」


『うーん、ついさっきかな。多分、クリス君が体を動かし始めたくらいから。どうやってって言われても、なんとなくかなぁ……同時に口を使ったら面倒でしょ? だから……って、今はそんな事言ってる場合じゃないよ! ニオイが分かるようになったから、僕ならミノーラ達を助けられるかもしれないし! 急いで全員倒しちゃおう!』


 徐々に落下を始めている最中、頭の中で会話を交わしたクリスは、視界の端で動くものを捉えた。


 クリスの真下を駆けて、背後を取ろうとしているレイガス。


 クリスの着地地点付近で待ち構えているサチ。


 躊躇することなくクリスの元へと跳躍をしてきたバートン。


 三者三様の動きを目で確認したクリスは、すぐに左腕の拳を握り込んだ。


 例の如く、拳の先から飛び出した粘性のある鞭を、ブンブンと振り回し始める。


 そうして、程よく勢いの乗った鞭を、クリスは迫りくるバートンに向けて投げ落とした。


 斜め前に向けて放たれた鞭は、急な楕円弧を描きながら、落下する。


 普通であれば、目の前に迫ったその鞭を空中で避けることなどできるわけが無い。


 しかし、バートンはそれをやってのけるのである。


 上半身と下半身を逆に捻り、勢いよく元に戻す反動で、わずかに体の軸を鞭の軌道上から逸らす。


 紙一重で鞭を避けつつ、勢いを落とすことなく迫るバートンの姿を、対するクリスも予想していた。


 クリスは思わず零れた笑みを見せつけながら、握り締めていた左の拳を緩めると、左腕を一気に振り上げる。


 当然、放り投げられていた無理の先端は、激しく空気を打ち付け、クリスの左腕へと引き戻される。


 その反動で鞭がバートンの左腕に引っかかった瞬間、クリスは右手で鞭を掴み上げると、全身を勢いよく左に回転させた。


 そうすることでさらに加速した鞭の先端は、引っ掛かったバートンの左腕に巻き付いて行く。


 しまったとばかりに歯を喰いしばるバートンの顔を見たクリスは、すぐに右腕を鞭から離すと、力一杯に左の拳を握り込む。


 途端、鞭の触れていたバートンの左腕が、一気に凍結する。


「ぐあっ!?」


「よっしゃあ!」


 声を上げた瞬間、鞭に若干引っ張り上げられたバートンと、依然として落下を続けるクリスの位置関係が入れ替わる。


 鞭と左腕が凍り付いてしまった事で、クリスに引っ張られることになったバートンは、何とか逃げ出そうと藻掻いていた。


 そんな彼の姿を頭上に見たクリスは、容赦することなく、左腕を大きく前に振り下ろす。


 それと同時に、床に着地したクリスは、一瞬、両足で踏ん張ると、すかさず右の方へと飛び退いた。


 上から見ていた感覚で、背後からレイガスが迫って来る危険性があったからだ。


 案の定、クリスが着地した一拍後、彼の背後を狙うようにレイガスが殴り込んでくる。


 対して、前方に位置取っていたサチは、振り下ろされた鞭と一緒に落ちてきたバートンを避けるため、少し距離を取ったようだ。


 不意打ちを狙ったはずのレイガスは、空振りに気が付くと、すぐさまクリスの方へと突進を繰り出してくる。


 そんなレイガスの頭上を飛び越えたクリスは、床に打ち付けたはずのバートンが姿を消していることに気が付いた。


『木の中に潜り込んでいったよ! 多分、ドグル以外の誰かが、助けに入ったんだ!』


「氷から抜け出したん!? どうやって?」


 驚きを口にしながら、クリスは次々に襲い掛かって来るレイガスの攻撃を避け続ける。


 振り下ろされる剛腕や薙ぎ払われる脚を、まるで舞い落ちる木の葉のように、躱し続ける。


 そのような事を続けながら、レイガスの隙を見つけたクリスは、左の拳を緩め、伸びていた鞭を手元へと戻してしまう。


 もちろん、強化された跳躍力や柔軟な身体があるからこそ、そのような事が出来るのであり、今までのクリスでは考えられない事だろう。


 事実、彼は自身の身体がこれほど軽い事に驚きを隠せていない。


「くそ面倒くせぇ! おいガキ! ちょこまかと逃げてんじゃねぇ!」


『僕ってそんなに子供っぽいかなぁ……実は少し悩んでるんだ……』


「いや、絶対にアイオーンの事じゃないばい! ……自分で言ったら悲しくなるやん!」


『クリス! 集中して! 背後に何か近づいて来てるよ! それと、サチも動き出したみたい!』


「うお!? マジか!」


「何一人でごちゃごちゃ言ってんだ!?」


「お前のせいたい!」


 目の前と頭の中と背後と、視界の端。


 次々と迫りくる危険を前に、クリスは必死に頭を巡らせていたのだった。

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