第294話 孤独

 助けに行くべきか、先に敵を片付けるべきか。


 目まぐるしく変わりゆく状況を前にして、アイオーンは対応が遅れてしまっていることを自覚していた。


 オルタやタシェルが追い詰められている。


 つい先ほどまで様子のおかしかったオルタが元に戻ったかと思うと、次はタシェルの様子がおかしくなっている。


 何者かに操られているようなその様子を見て、助けに行くべきだと考えるアイオーンだったが、そう簡単に行くわけでもない。


「オルタさん! タシェル! いまそっちに行きます!」


 追い詰められている二人に向けて言い放つミノーラは、迫りくる敵に目を向けていない。


 その事に気が付いたアイオーンは、躊躇うことなく叫んでいた。


「ミノーラ! 危ない!」


 告げたと同時に、アイオーンは踏み出そうとした足を咄嗟に引き戻すと、左後方へと大きく飛び退く。


 身体を丸めて床を転がり、なるべく距離を取った彼は、すかさず元居た場所へと目を向ける。


 彼が元居た場所に突き立てられているのは、細身の剣。


 その剣の柄をしなやかな手つきで握ったバートンが、一つ溜息を吐きながら立っていた。


 吐き出された溜息が何を意味しているのか、アイオーンには理解できない。


 ただ一つ言えることは、全てこの男のせいだと言うこと。


 バートンの背後でミノーラがレイガスに襲われているのも、オルタやタシェルを助けに行けないのも。


 全ては、目の前にいるこの男が、邪魔をしているからに他ならない。


「……邪魔をしないでおくれよ……僕もさすがに怒っちゃうよ?」


 沸々と湧き上がってくる怒りを堪えながら、アイオーンは目の前に立っているバートンを睨みつける。


 しかし、バートンには全く効かないようで、薄ら笑いを浮かべている。


「怒ったとして、君に何か出来るのかね? 俺にはそうは見えないが。まぁ良い。どちらにせよ、また失敗だったみたいだ。惜しいところまで行ったと思ったんだがね」


「……何を言ってるの?」


 問い掛けながらも、バートンの背後で繰り広げられているミノーラとレイガスの攻防に、目を向けてしまう。


 誰も死なせない。


 心の片隅でそのような事を考えた瞬間、アイオーンは目の前にいたはずのバートンが視界から消え去ったことに気づき、咄嗟に防御の態勢を取った。


 全身を覆っている鱗に力を籠めるように、身体を縮める。


 そうすることで防御力を上げたアイオーンだったが、叩き込まれた衝撃に、思わず声を漏らしてしまった。


 自身の足元から突然現れたバートンに蹴り上げられ、宙を舞ったアイオーンは、転がりながら着地を決める。


 しかし、彼がそこで警戒を解くことは無かった。


 未だにバートンの姿を捉えることが出来ていないのだ。


 視線を張り巡らし、何とか姿を捉えようと、周囲を観察する。


 そうして、つい先ほどまで見ていた辺りの状況が、大きく一変していることに気づき、絶句する。


 頭を圧砕されているオルタは、ピクリとも動かない。


 胸を貫かれているタシェルは、ピクリとも動かない。


 腹を裂かれているミノーラは、ピクリとも動かない。


 バートンとの攻防によって、ほんの少し目を離してしまった隙に、事態が取り返しのつかない方向へと傾いてしまった。


 その事実を目の当たりにした瞬間、アイオーンは言葉を失った。


 正確には、何もかもを失ったような感覚に陥っていた。


 呆然としている彼に向けて投げ掛けられるレイガスの言葉も。


 一切の容赦なく叩きこまれるバートンからの攻撃も。


 ただ粛々と見つめて来るサチの冷たい視線も。


 それら全てを受けたアイオーンは、何も感じることは無かった。


 また、失ってしまった。


 そんな虚しい感覚だけが、彼の心を満たしてゆき、せき止められていた何かが、ゆっくりとあふれ出そうとしている。


 かつて、その感覚に覚えがある。


 ぼんやりとした感覚を思い出そうとしたアイオーンだったが、瞬く間に考えることを止めてしまう。


 それはきっと、かつてと同じ判断だったのだろう。


 薄まってゆく意識が、膨大な量の“それ”に飲み込まれそうになった時、アイオーンはそんなことを思っていた。


 しかし、この時のアイオーンは気付いていなかった。


 遥か昔、アイオーンが同じ状況に陥った時。


 彼は確かに一人ぼっちだったのだ。


『目を醒ませ! アイオーン! ふざけんな! 俺は許さんぞ! 絶対にあいつらを許さんぞ! じゃけん、一緒に戦うんや! 絶対に負けちゃいけん!』


 心のどこかから、変な話声が聞こえてくる。


 先程までアイオーンを飲み込もうとしていた“それ”に混ざるようにして、届いて来た声。


 怒りに任せたように、どこか震えているその声は、まぎれもなく、クリスのものだった。


『許さないって……もう、皆死んじゃったんだよ?』


『だったらどうしたん! みんなが死んだから諦めろって言うん!? そんなん、皆が浮かばれんやろ! 俺達が諦めて死んだら、それこそ皆に悪いやん! 俺はそういう風に言って死んでいく大人を何人も見て来たばい! それじゃダメなんちゃ! 死んだ人も残った人も傍観しとった人も、全員辛くなる。そんなん、もう見とうない!』


『全員……辛くなる?』


『そうたい! ミノーラ達は、そう思うはずばい! だって、俺達を助けてくれたのはミノーラ達なんやけん!』


 心の中に響き渡るクリスの声が、ジワジワとアイオーンの心に染み込んでゆく。


 クリスの事情やミノーラ達との関係など、詳細なことはあまり詳しくは知らない。


 それでも、その言葉に込められている思いは、アイオーンを鼓舞するのに十分な熱量を持っているのは間違いないだろう。


 薄れかけていた意識をゆっくりと取り戻していくアイオーンは、一つずつ、感覚が戻って行くことを自覚した。


 力なく仰向けに転がった状態で、薄っすらと目を開ける。


 身体の至る所に痛みを感じ、同時に熱を感じたアイオーンは、ゆっくりと上半身を起こしてみた。


 バートンにやられたのだろう、四肢や腹に大量の切り傷が刻まれており、脈々と血液が漏れている。


「おい、あいつ目を醒ましたみたいだぜ! あれだけ切られて、まだ生きてんのかよ」


 レイガスのものと思われる声が、鼓膜を振動させる。


 そんな声の聞こえた方へと顔を向けたアイオーンは、視界に、三人の姿を捉えた。


「なんだこりゃ……」


 自分の口から不意に発せられた声に驚いたアイオーンは、思わず左手で口を覆ってしまう。


 全く意識していないにも関わらず、言葉を発してしまったのだ。


 それが何を意味しているのか、どうしてそのような状況になったのか、理解の追い付かないまま、アイオーンは立ち上がった。


 正確には、クリスが立ち上がった。


「何でもいいけど、動けるってことやな。よし、反撃するばい、アイオーン! ……え? ちょっと待って!」


 相変わらず勝手に動く口に慣れないアイオーンは、同じ口で動揺を呟きながら眼前の三人を見つめた。


 もっとも、アイオーンやクリスよりも状況を理解できないのは、傍から見ているバートン達なのは言うまでもない事だろう。

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