第292話 神様

 カリオス達に見下ろされていることに気が付いたミノーラは、すぐに立ち上がった。


 受けたはずの傷も、痛みごと消え去っている。


 あれほど酷いダメージを受けていたオルタやタシェルも、無傷で立っているあたり、この異変はミノーラだけに起きたわけでは無いようだ。


 そんな認識を抱いた彼女は、改めてカリオスに向き直ると、彼を見あげながら問いかけた。


「これはカリオスさんがしたんですか? 何をしたんですか?」


 ミノーラが鼻先で周囲を指し示すと、それに合わせるように、カリオスも周囲を見渡す。


 そして、数秒の間考え込んだカリオスは、お手上げとでも言うように両手を広げながら告げた。


「さぁな、俺にも分からん。誰かの思惑が働いたのか、それとも偶然なのか、正直知らないし、恐らく知る方法も無いと思う。だけど、俺たちにとってこの状況は幸運だと思うぞ」


「幸運ですか?」


 思わず問い返したミノーラの言葉に、真っ先に反応したのはカリオスではなく、オルタだった。


「そうだぜミノーラ! きっと、神様が俺たちにチャンスをくれたんだ! 今までのことは全部忘れて、ここで暮らしなさいってよ!」


 興奮気味に告げたオルタは、同意を得ようとするように、ミノーラやタシェル、そして、カリオスの顔を見渡す。


 どこか必死になっているように見える彼の姿に、若干の違和感を覚えたミノーラだったが、それに言及はしない。


 代わりに言葉を発したのは、タシェルだった。


「それも……良いかもね」


 少し寂し気な表情で目を閉じたタシェルは、オルタの言葉に賛同するように、小さく頷く。


「だろ!? なぁ、ミノーラも、カリオスも、賛成だろ?」


 タシェルの賛同を得られたオルタが、まるで圧力を掛けるように、語りかけてくる。


 そんな彼に対して、返事をすることが出来ずにいたミノーラを横目に見たカリオスが、深いため息を吐いた。


 そして、深く頷きながらオルタに語り始める。


「俺も、お前の提案は最高だと思うよ。オルタ。正直、俺達は充分頑張ったと思う。けど、今回に関しては敵の方が一枚上手だった、俺達じゃあどうしようもなかった。そうだろ? なにせ、アイオーンを作り出すような天才が相手なんだ。到底敵うわけが無い。お前の言う通り、神様が俺たちへの情けを掛けてくれたんだとするなら、ここで、一緒に暮らすのは最高だよな……それに」


 そこで一度、言葉を切ったカリオスは、皆の顔を見回しながら告げた。


「思い出してみろ、俺達は完全に巻き込まれただけなんだぞ? 誰がこんなことになると思った? 世界中がおかしくなるような原因を作ったのは、俺たちじゃない。どうやったのかは知らないが、サーナの企みが関わっているのは確かなはずだ。そうだろ?」


 カリオスの言葉を聞きながら、ミノーラは今までに見て来た様々な物事を思い出していた。


 まるで、時間を遡るように流れて行く記憶をたどり、仕舞いには、王都で見聞きしたものが脳裏をかすめて行く。


 そして、彼女は思い出す。


 サーナに吹っ掛けられた理不尽とも言える取引を。


 全ての責任は、ミノーラにはない。


 ここでミノーラ達が脱落したとして、誰に責められるだろうか。


 寧ろ、充分健闘した方では無いだろうか。


 そんな考えに至ったミノーラは、心の片隅に残ったわだかまりを吐き捨てるように溜息を吐くと、オルタに向かって告げる。


「良いですね。私も、オルタさんの意見に賛成です!」


「よし! これで全員賛成だな! それじゃあどうする? まずは住むところを決めようと思うんだけどよ!」


「私、お洒落な家に住むのが夢だったんだ! ねぇ、オルタさん、二階建てで、ベランダ付きの家とか建てれるかな? ベランダでお茶を飲んだりして、友達と話したりしたい!」


「すごく楽しそうですね! 私も混ぜてくださいよ!」


 オルタやタシェルの会話を聞いているうちにワクワクとしてきたミノーラは、尻尾を全力で振りながら二人の会話に割って入った。


 それからしばらく、あれやこれやと希望を並べ立てた三人は、ふと、黙り込んだまま立ち尽くしているカリオスへと目を向ける。


 何もする素振りを見せないカリオスに憤りを抱いたのか、オルタが不満げな声で告げた。


「カリオス、どうしたんだよ! なぁ、早く家を建てようぜ! その内、クリスとアイオーンも来るんだろ? 立派な家を建てて、驚かせてやろうぜ!」


 オルタの意見に賛同するように、ミノーラとタシェルが頷いた時、カリオスが小さく呟いた。


「クリスも、アイオーンも。ここには来ないぞ」


「来ない? なんでだよ!? 俺達は来れたのに、なんであいつらは来ないんだ?」


 驚きを隠せないオルタは問い詰めるようにカリオスに歩み寄っている。


 それでも沈黙を保つ彼に対して、違和感を覚えたミノーラは、タシェルと共にオルタの傍に立つと、問いかける。


「カリオスさん、教えてください。どうして、クリス君とアイオーンはここに来れないんですか?」


 ミノーラの問いを聞いたカリオスは、ゆっくりと三人の顔を見ると、静かに答えた。


「クリスとアイオーンは、倒れたお前たちを見ても諦めずに、未だに全力で抗っているからだ」


「なっ……」


 小さな声と共に絶句したオルタ。


 ミノーラやタシェルも同じように絶句してしまう。


 クリスやアイオーン以外の全員が敗北してしまったあの状況で、諦めずに戦いを続けている。


 それがどれほど厳しい状況なのか、考えるまでも無く、ミノーラは理解できた。


 同じく理解したのだろう、絶句していたオルタは勢いよくカリオスにつかみかかると、声を張り上げる。


「カリオス! 何してんだ! すぐに二人をここに呼べよ! もう、頑張る必要なんかないんだろ!? だったら……!」


 訴えかけるように叫んでいたオルタは、しかし、最後まで言い切ることは出来なかった。


 彼の言葉を止めたのは、恐らく、カリオスの冷め切った瞳なのだろう。


 物言わぬ彼の瞳は、ただ冷静にオルタを見つめている。


 そんな視線を受け、押し黙ってしまったオルタと取って代わるように、カリオスが話しを始める。


「たった一人で、全てに抗おうとしてるあいつに、死ねって言うのか? 死ねば楽になれるって? この場所を見せるのか? そんなことは、俺には出来ない。そんな選択を、俺はしたくない」


 一度口を閉じたカリオスは、押し黙るミノーラ達を見回す。


 そうして、再び口を開いた。


「理不尽だよな。俺もそう思う。なぜ俺達がって、そう思うよな。たぶん、それは仕方がない事なんだ。ある意味、この世界に生まれたこと自体、理不尽に巻き込まれてるんだと、俺は思う。そんな世界で生きていたからこそ、頑張ってるあいつを、否定したくない」


「……そんなことって……」


 カリオスの言葉に、タシェルが泣き崩れ、オルタが空を見上げた。


 止むことの無い波の音が、何度も、何度も、何度も、繰り返される。


 そんな音を耳にしながら、ミノーラはやるせなさで気分が沈んでゆくのを感じた。


 どうすれば良いのか分からない。


 恐らく、既に何もできないのだと分かっているが故に、ミノーラは心の内から溢れてくる衝動を抑えるのに必死になっていた。


 長く続く沈黙の中で、唯一動きを見せるカリオスが、一人、波打ち際まで歩いて行く。


 くるぶしの辺りまで海水に浸かったところで立ち止まった彼は、ゆっくりとミノーラ達の方を振り返ると、深い息を吐いた。


「さっきも言ったけど、俺達は幸運だ。最期にこうして、皆と話が出来たし、悔いはないよ。だから、そろそろ行こう。いつまでも待たせるのは得策じゃない」


 彼の言葉を聞いたミノーラ達は、互いの顔を見合わせると、改めてカリオスを見る。


 それに合わせるように、カリオスは両手を広げて告げた。


「俺は死んだ。けど、お前たちはまだ、生きる希望を持ってるだろ? オルタは何をしたい? タシェルは何をしたい? ミノーラは何をしたい?」


「俺は……俺は! タシェルや皆を守れるくらい強くなるぜ!」


「私は、沢山の人を助けられるような、精霊術師になりたい!」


 口々に告げるオルタとタシェルを横目に、ミノーラは様々な事を思い出した。


 ミスルトゥだけでなく、世界中で苦しんでいる人が、沢山いる。


 そんな人々を守りたい、それは、二人と同じだ。


 しかし、それで本当に良いのだろうか。


 打ち寄せる波のように、何度も何度も、繰り返されてしまうのではないだろうか。


 どうすれば、こんな悲劇を、繰り返さずに済むだろうか。


 そこまで考えたミノーラは、ふと、頭の中に一つの単語が思い浮かんだ。


 そして、問いかけるように口にする。


「私、狼だけど神様を目指しても良いでしょうか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る