第289話 砂浜
苦痛に悶えながらも、ハッキリとオルタのことを見つめていた筈のタシェルが、まるで意識を失ったかのように項垂れる。
背中から首筋にかけて、何者かによって引っ張り上げられているような、そんな体勢のまま、彼女は立ち尽くしていた。
その様子は、明らかに普通ではない。
少なくともオルタには、彼女の身体に彼女自身の意志が介在しているようには見えなかった。
だからこそ、怒りと困惑を込めた言葉を吐き捨てる。
「何をした!」
もちろん、彼の投げた言葉の先に居るのは、余裕の表情を浮かべているサチ。
サチの言葉に呼応するように様子のおかしくなったタシェルを見たオルタが、そう判断するのは当然と言えるだろう。
しかし、例によって当のサチは、無表情のまま言ってのけるのである。
「はて、私はまだ、何もしていないのですが……」
淡々と告げる彼女の様子に、怒りを隠せないオルタは、大きく一歩を踏み出すと、タシェルに駆け寄った。
駆け寄る途中でサチのすぐ傍を通る時、何らかの妨害を受けると警戒していたオルタだったが、存外、サチは何もしなかった。
おかげで何事もなくタシェルの元に辿り着いたオルタは、彼女を抱きかかえるように支える。
フラフラとバランスを崩しそうになりながらも、不思議と倒れ込むことの無いタシェル。
そんな彼女の顔を覗き込み、声を掛けようとオルタが口を開いた瞬間、タシェルが右腕を振り上げた。
まるで、飛び回る虫でも払うように振り上げられた彼女の腕は、本来であればオルタにとって脅威とはなり得ない。
だからこそ、彼は自身の身体が強烈な風に乗って吹き飛ばされていることに気が付くまで、何一つ対処することが出来なかった。
「がはっ!」
綺麗な放物線を描き、床に叩き付けられたオルタは、背中の衝撃と共に肺の空気を吐き出してしまう。
打ち所が悪かったのか若干ふらつく頭を左手で抑えながら、彼は上半身を起こす。
そうして、つい先ほどまで自分が立っていた筈の場所に目をやる。
それと同時に、相変わらず不安定な様子で立ち尽くしているタシェルが、ゆっくりと右腕を横に薙いだ。
途端、どこからともなく轟音が響き渡り、オルタの左側面に迫ってくる。
咄嗟に立ち上がって逃げ出そうとしたオルタだったが、身体が思うように動かず、結局は再び宙に放り投げられた。
猛烈な風と浮遊感を浴びたオルタは、視界の端で床が近づいて来るのを捉える。
とは言え、事前に何が起きるのか分かっていたオルタは、両腕で頭をガードしつつ、着地と同時に受け身を取ることに成功した。
ゴロゴロと転がることで衝撃を逃がし、何とかダメージを抑えたオルタは、今度こそ立ち上がり、タシェルの方に向けて叫ぶ。
「タシェル! シルフィ! やめてくれ! 俺だ! オルタだ!」
そんな彼の叫びも虚しく、タシェルは再び右腕を大きく振り上げる。
腕を動かす素振りを見た瞬間、その場から大きく飛び退こうとしたオルタだったが、大きな効果は得られない。
大きく飛び退いた先の空気が、一気に膨張をはじめ、彼の身体を軽々と打ち上げてしまう。
やむを得ず、再び受け身の態勢を取ろうとしたオルタだったが、しかし、そう簡単な話では無かった。
放物線の頂点を超え、まさに落下を始めようとするその時、タシェルが振り上げていた腕を勢いよく振り下ろしたのだ。
「なっ!?」
確実にダメージを与えるためだろうか、頭部から真っ逆さまに加速する中で、オルタは頭部を庇う事しかできない。
腕や肩に力を籠め、衝撃に備えた次の瞬間、彼は体内を鈍く重たい音が駆け巡るのを感じた。
手足の先端がびりびりとしびれ、首や肩、そして頭部に痛みが走る。
そのままうつ伏せに倒れ込んだオルタは、甲高い音とチカチカと光る視界以外の物を認識できずにいた。
時間の流れも、全身の触感も、何もかもが失われてしまったように感じる。
そんな中で彼が唯一感じることが出来たのは、何かの声だった。
しきりにオルタのことを呼んでいるような声。
その声が、激励の声なのか、叱責の声なのか、罵倒の声なのか、判断することは叶わない。
ただ一つ言えることは、そのどれもが、彼が聞きたいと願う声では無いと言う事。
このまま、息絶えてしまうのかもしれない。
そう感じているがゆえに、オルタは今一度願っていた。
結局のところ、オルタは未だに、彼女に対して想いを告げることは出来ずにいる。
それは同時に、彼女の想いを聞くことが出来ていない事を意味していた。
「……タシェル……」
小さく溢した自らの呟きだけは、聞こえてしまう不条理。
そのまま、薄れていく意識に身を任せようとしたオルタは、ハッと目を見開く。
心地よく繰り返される波音とキラキラと光る水面、柔らかく頬を撫でて行く潮風が、彼の身体を包みこんでゆく。
いつしか、皆で語り合った海岸に、オルタは立っていた。
なぜ、このような場所に立っているのだろう。
単純な疑問を抱いた時、彼は聞き覚えのない声に呼び掛けられる。
「こうして話をするのは初めてだな」
咄嗟に後ろを振り返ったオルタは、同じく砂浜に立ち尽くしているカリオスを見て、声を張り上げる。
「カリオス!? お前、無事だったのか!? っていうか、喋れるのか!?」
外せないはずの首輪を装着していないカリオスに驚きを隠せないオルタに対し、カリオスはどこか達観した表情のまま微笑んでみせる。
そんな彼の表情を見て、オルタは深い安心を抱いたのだった。
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