第288話 入替

 オルタは、胸の内から湧き上がってくる怒りに、身を委ねていた。


 なぜ、それほどまでに怒りを抱いているのか、こうなってしまったオルタには知る由もない。


 どこからともなく聞こえてきた小さな声が、彼に何かを囁きかけたような気がするが、関係ないのだろう。


 頭の片隅でそのような事を考えたオルタは、引き留めようとする何者かを引きずりながら、眼前のサチに向けて歩いた。


 幼い頃の記憶を呼び起こし、目の前に立っている女の顔に、かつての面影を見出すと、吐き捨てるように告げる。


「見た目をどんだけ近づけたってよ、おめぇはサチ本人じゃねぇんだよ!」


「あなたの感想なんて、私には関係のない事です。誰が何と言おうと、私はサチであり、サチ以外の何者でもありません」


 淡々と告げるサチは、オルタの様子に怯むことなく、むしろ挑発しているようにも見えてしまう。


「………………………………!」


 彼の右腕を全力で引っ張る何者かが、何かを叫んでいる。


 しかし、オルタの耳には、その言葉は入って来なかった。


 煩い。邪魔。鬱陶しい。どこかに行ってしまえ。なぜ叫んでいる?


 ごちゃ混ぜになった思考が、彼の頭の中を駆け巡る。


 まるで、頭の中をごちゃ混ぜにすることで、正常な思考を妨げているようだ。


「今からお前をズタズタに引き裂いてやるからな!」


「今のあなたにそのような事が出来るのですか? まぁ、頑張ってみてください」


 啖呵を切るオルタを、更に煽るサチ。


 既に怒りで爆発しそうなオルタは、右の拳を握り込むと、手の甲から巨大な刃を作り出す。


 そうして、右腕を前に突き出したオルタは躊躇することなくサチに向けて切りかかった。


 ゴウッという重たい音が風を切り、サチの首元を横に薙ぐ。


 サチは彼の攻撃に合わせて体勢を落とすと、横薙ぎに振り切ったオルタの右腕に飛び掛かり、顔面に拳を突き入れて来る。


 咄嗟の攻撃に反応できなかったオルタは、油断していたこともあり、サチの拳を無防備な状態で受けてしまう。


 正確に言えば、オルタはサチの事を侮っていた。


 そんなか細い腕から繰り出される攻撃に、左程の威力は無いだろう。


 あまりにも頓珍漢な考えを持っていたオルタは、激しく打ち付けられたの一撃に、思わず気を失いそうになる。


 一瞬、目の前に大きな光が見えたかと思うと、視界が揺らぎ、正常な姿勢を保てなくなる。


 その場で片膝を付いたオルタは、左手の甲で鼻から零れ落ちた液体を拭った。


 赤くドロッとしたその液体を視界の端で捉え、オルタは悪態を吐く。


「クソッ……痛てぇな……何しやがんだ」


 ふらつく頭で精いっぱいに悪態を吐いたオルタは、再び立ち上がり、サチに攻撃をしようと身構える。


 その時、再び何者かが彼の右腕にしがみついて何かを叫び始めた。


 右腕を大きく振ろうにも、誰かがしがみ付いている状態では自由に動かすこともできない。


 そんな状態に苛立ちを覚えた彼は、当然のごとく、右腕にしがみついている何者かを、勢いよく払い除けたのだった。


 途端、しがみついていた何者かが勢いよく吹き飛ばされ、勢いのままに床を転がってゆく。


 視界の端でその様子を確認し、再び目の前に立つサチに向き合ったオルタが、口を開こうとした時。


 彼は背中に強烈な一撃を喰らい、数メートル程吹き飛ばされたのである。


 肩や腰や頭を何度もぶつけながらも、何とか両足で地面に踏ん張ったオルタは、攻撃の方へ目を向ける。


 相変わらず立ち尽くしたままオルタの方を見つめているサチと、その奥で這いつくばっている女。


 位置的にオルタへと攻撃を仕掛けたのはその女だろう。


 状況を確認して、そう判断したオルタは、這いつくばっている女の姿を見て息を呑んだ。


 怪我をしたのだろうか、額から血を流しているその女は、大粒の涙を流しながらも、何かを叫び続けていた。


「……………! ………………!」


 煩い。邪魔。鬱陶しい。どこかに行ってしまえ。なぜ叫んでいる?


 先程と同じ思考が、頭を巡る。


 しかし、一つだけ、先ほどと違う思考が、彼の頭の中を埋め尽くし始めて居た。


 なぜ、叫んでいると分かる?


 口元を見れば、確かに叫んでいるように見えるが、声は全く聞こえない。


 だとするのなら、先ほどまでのオルタは、何を根拠に叫んでいると思い込んでいたのだろう。


 微かに抱いたそんな疑問が、彼の中で膨らみ始め、気が付けば不安へと変貌を遂げていた。


 ハッキリと分からないが、とんでもないことをしてしまったのではないか。


 ふらつきながらも歯を喰いしばり、立ち上がって見せる女の姿を見て、オルタはそんなことを思ってしまう。


 ポツポツと、自身の手の甲に何かが当たる感触を覚えたオルタは、ゆっくりと視線を落とした。


 先程、鼻血を拭った左手の甲に、何やら水滴が付着している。


 なぜ?


 と一瞬疑問を抱いたオルタは、次の瞬間には、全てを理解した。


「オルタさん! 目を醒まして!」


 相変わらず涙を溢すタシェルの、悲痛な叫びが彼の鼓膜を刺激する。


 すぐにでもタシェルに駆け寄り、謝らなければならない。


 強烈に湧き上がる後悔と罪悪感に、オルタが苛まれそうになった時、目の前に立っていたサチが話しだした。


「素敵な関係ですね。私とサーナみたいです。だけど、気を付けてくださいね。立場が入れ替わる事なんて、良くあることですから。ほら」


「何を……!?」


 良く分からないことを話し始めたサチに対して、問い返そうとしたオルタは、彼女の言葉に合わせるように様子のおかしくなったタシェルを見て、絶句したのだった。

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