第287話 微塵

 ドグルの後に着いて走っていたミノーラ達は、目的地付近に居る人影が二人であることに気が付いた。


 一人は自分の身を守りながら立ち尽くし、もう一人は、立ち尽くす人物に向けて四方八方から攻撃を繰り出している。


 見るからに一方的なその光景を見て、ミノーラは大きな違和感を抱く。


 なぜなら、攻撃を受けている人物が何もするつもりが無いように見えたからだ。


 反撃も逃走も、まるで初めから選択肢に入っていないかのように、ただ、攻撃を受け続けている。


 それは、もはや戦闘とは言えない。


 ミノーラがそう思った時、少し前を走っていたオルタが、驚きと怒りを綯い交ぜにした表情で声を張り上げた。


「クロムか!」


 彼の視線が指しているのは、攻撃を受け続けている人物。


 走っているドグルの脚の隙間からチラチラと見えるその人影を、改めて見たミノーラは、オルタの言葉が正しい事を確認した。


 両腕で頭部をガードしているクロムは、休むことなく繰り出される攻撃によって、前後左右にバランスを崩しながらも、倒れることは無い。


 そんなクロムに対して攻撃を繰り出している人物を、ミノーラは知っていた。


 厳密にいえば、未だに姿を確認することは出来ていない。


 しかし、彼女のニオイを、ミノーラは覚えている。


「サチさんが? どうしてクロムを攻撃してるんですか……?」


 姿を視認できないほどの速度でクロムの周りを走り回っている女性。


 少し前のミノーラであれば、そんな事実を目の前に、戸惑いと困惑を抱いたであろう。


 だが、ニオイと言う確固たる証拠を前に、ミノーラはその事実を認識せざるを得なかった。


 そして、ミノーラがそれを認識したことに気が付いたかのように、一つ、轟音が鳴り響く。


 重く鳴り響いたその音は、ミノーラ達の足元に広がっている枝葉を激しく振動させ、波のように広がって行った。


 四肢から登って来るその振動に、強烈なプレッシャーを感じたミノーラ達は、思わずその場で立ち止まってしまう。


 当然、全員の視線は眼前に立ち尽くしているサチに集まり、かと思うと、流れるように、彼女の足元に落ちていった。


 サチの右脚の下には、クロムがうつ伏せに倒れている。


「ガハッ……」


 力なく倒れているクロムは、身動きすることなく吐血している。


 そんな彼の様子を見るだけで、凄まじいダメージを負っていることは、簡単に想像できた。


 だからこそ、そんな状態のクロムを踏みつけにしている無表情なサチの様子は、あまりにもおぞましく見えたのかもしれない。


 何が起きているのか、理解が出来ない。


 何を考えているのか、理解が出来ない。


 自然と漂い始めた沈黙が、更に深みを増そうとした時、無表情を貫いていたサチが薄っすらと笑みを浮かべ、優しく語り出した。


「ミノーラ、久しぶりですね。元気にしていましたか?」


「……サチさん。何をしているんですか?」


 問いかけられたことに戸惑いを感じたミノーラは、思わず問い返してしまっていた。


 問いに問いで返されたサチは、しかし、気分を害したりすることなく、自身の足元を数秒だけ見つめると、やはり薄っすらと笑みを浮かべる。


「何をしているのか、ですか? そうですね、私は命令されたとおりに、彼にとっての希望に、そして、絶望になろうとしていたところです」


「? どういう……」


 サチの言っている意味を理解できなかったミノーラが、続けて問いかけようとしたその時、隣に立っていたオルタが静かな声音で声を上げた。


「サチって言ったか?」


 突然話に割って入ったオルタを訝しむように見上げたミノーラは、彼の表情に、声音には含まれていなかった怒りを見て、思わず黙り込む。


 なぜ、オルタがそれほどまでに怒りを抱いているのか、ミノーラには見当もつかない。


 オルタの隣にいるタシェルも、彼の様子に驚いているようで、口を堅く結びながら状況を見守っている。


「はい、私はサチですよ。あなたはどちら様でしょうか?」


 対するサチはと言うと、オルタの怒りを軽く受け流すように問い返してしまう。


「お前、何者だ? サチじゃねぇだろ? なんでそんな嘘を吐くんだ?」


 あくまでも冷静に告げたオルタは、サチの返事を待つことなく、ゆっくりと首を横に振ると、一歩前に踏み出した。


 そうして、状況を見守っていたドグルに告げる。


「悪いが、この辺り一帯に床を作ってくれねぇか? ちょっと暴れて来るからよ」


「あ? 別にいいけどよ……」


「ちょっと、オルタさん!? 何をするつもり?」


 オルタに言われるがままに、床を広げていくドグル。


 そうして作られた床をゆっくりと歩くオルタは、着々とサチのいる方へと歩み寄って行った。


 そんな彼を引き留めようと、タシェルがオルタの右腕を引っ張っているが、とても止めることは出来そうにない。


 その様子を見て、お互いの顔を見合ったミノーラとアイオーンがタシェルの手伝いに向かおうとした時、風を切るような音が足元で弾けた。


 四肢と耳で振動を聞き分けたミノーラは、咄嗟にその場から飛び退く。


 滑りながらも着地を決めたミノーラが、元居た場所を見やると、なにやら床に亀裂が入り、次の瞬間、粉微塵に切り裂かれてしまう。


 ミノーラより一瞬反応の遅れたらしいアイオーンが、その攻撃に巻き込まれたらしい。


 身を庇った右腕の鱗が、微かに欠けてしまっている。


 突然現れた敵に警戒するミノーラとアイオーン。


 そんな二人に追い打ちを掛けるように、何者かの腕が、崩れた床から這い出てくる。


「面倒くせぇなぁ……クソが。俺は隠れるのが一番嫌いだぜ! もっと暴れてぇんだよ」


「君が全力で暴れたところで、全く戦力にはなり得ないんだけれどね。そろそろ身の程をわきまえた方が良いだろう。なんだ? 私に凄んでも何の意味も無いぞ」


 ぶつくさと文句を言いながら現れたのは、ウルハ族の男レイガスと、人間の男バートン。


 細身の剣を手にしたバートンは、鋭い眼光を飛ばしているレイガスを無視すると、ミノーラへと向き直った。


「久しぶりじゃないか。元気にしていたかね?」


 飄々と投げ掛けられた彼の問いに、ミノーラは応えることが出来ないのだった。

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