第273話 杞憂

 ドクターファーナスが落ち着きを取り戻すまでの間、オルタとタシェルは紅茶を入れるために、台所に来ていた。


 紅茶を入れて行く彼女の様子を見ながら待機していたオルタは、出来上がった紅茶をお盆に乗せ、廊下へと歩き始める。


 なんとなく沈黙が続いたことに違和感を覚えたオルタは、少し前を歩くタシェルに声を掛けた。


「ドクターファーナスが泣くなんてな……少し意外だった。それだけ、ハリス会長の事が心配だったってことだよな」


「うん……。まえに、徹夜でドクターファーナスと話をした時、決まってハリス会長の話が出てきたんだ。その時の彼女は、すごく楽しそうだった……。二人がどんな関係だったのか、私には分からないけど、間違いなく心配はしてると思う。……それに、後悔、みたいなものも、あるんじゃないかな……」


「後悔?」


 タシェルの言葉は、非常に歯切れが悪かった。


 どことなく寂しさを感じさせる彼女の後ろ姿に、オルタが問いかけると、タシェルはゆっくりと立ち止まる。


 そうして、何かを訴えかけるような目で、彼の瞳を見つめたのだった。


「ど、どうした?」


 思わず動揺してしまうオルタに対し、タシェルはやれやれとばかりに首を振ると、小さく微笑みを浮かべる。


「ううん、何でもない。それより、早く持って行こう」


 明確な答えを示されなかったことに釈然としないながらも、オルタは止めていた足を動かす。


 部屋に入り、全員に紅茶を配りながらも、彼は先程のタシェルの様子を思いだしていた。


「二人とも、ありがとうね。本当なら、私がもてなすべきなのに……それに、恥ずかしいところまで見られちゃったわ」


「これくらい、私達で出来ますから。大丈夫ですよ」


「これって、タシェルが淹れたんですか? 美味しいです!」


「本当だ! 僕、こんなにおいしいものを飲んだことないや。……っていうか、いっつも氷ばっかりだったもんなぁ。なんか、不思議な感覚だよ……」


 お礼を述べるドクターファーナスと、返事をするタシェル、紅茶の感想を述べるミノーラと、自身の思わぬ変化に耽るアイオーン。


 カリオスやクラリスも、言葉を発しはしないものの、どこか落ち着いた様子が伺える。


 そんな様子を見渡したオルタは、久しぶりに日常が帰って来たような感覚に陥った。


 しかし、窓の外に目を向ければ、それが錯覚であると思い知らされてしまう。


 だからこそ、オルタは一息に紅茶を飲み干すと、皆に向けて提案した。


「なぁ、行くと決まったなら、早く行った方が良いんじゃねぇのか? これから何が起こるか分からねぇしよ」


「気持ちは嬉しいけど、まだお話は終わっていないのよ。まだ伝えておかなくちゃいけないことがあるから。まず、ミスルトゥに向かうなら、クロムに注意してちょうだい」


「クロム!? どうしてですか!?」


 ドクターファーナスの言葉にいち早く反応したのは、ミノーラだった。


 少し興奮気味に立ち上がったかと思うと、ドクターファーナスのことを見つめている。


 その視線を受け止めながら、ドクターファーナスが言葉を続ける。


「もう、こんな状態になってしまったから、全て話しておくわね。まず、ボルン・テールがここまで酷い状態になってしまったのは、例の根とクロムのせいなの」


 そこで一度言葉を切った彼女は、紅茶を一口啜り、話を再開した。


「以前、この街からクロムが逃げた時のこと覚えてる? あの時、クロムの持って行った小瓶の中身は、云わば精霊を暴走させる薬ね。マーカス曰く、見慣れない飛び道具を使って、精霊術師に撃ち込んだそうよ」


「それって……!」


 小さく呟いたタシェルの様子を見て、オルタはエーシュタルでのことを思い出した。


 イルミナの契約していた氷の精霊が暴走したこと。


 それはつまり、精霊を暴走させる薬を打ち込まれたという事なのだろう。


 しかし、だとするならば、マーカスも危険だったのではないだろうか。


「マーカスは無事だったのか? 精霊術師にとっては天敵みたいなものじゃねぇか」


「彼に遠距離攻撃を当てると言うのは、至難の技だと思うわよ? それに、あなた達がボルン・テールを出た後、クロムへの対策を話し合ったのだけれど、彼は既に今回の事を想定していたわ。『わざわざ精霊術師を一人ずつ捕まえて薬を飲ませるようなことはしないだろう』って。予想通りだったわね」


 オルタの杞憂を一周したドクターファーナスは、もう一度紅茶を口に含むと、小さく息を吐いた。


「話が逸れてしまったわね。精霊の暴走で街が混乱して、それでもマーカスがクロムを追い詰めた時、例の根っこが急に現れて、街中で被害が出始めたの。その隙を突いて、クロムは西に、ミスルトゥの方へと飛んで行ったわ」


「あの、ドクターファーナス。その根っこが現れたのって、いつのことですか?」


「昨日の、日が落ちた後だったと思うわ。まぁ、日が落ちたと言っても、ミスルトゥのせいで明るいんだけどね……あら? 大丈夫?」


 タシェルの質問に応えたドクターファーナスが、ソファに腰かけているアイオーンの方を見ながら心配を口にした。


 その言葉に釣られて視線を動かしたオルタは、バッタリと横になってしまったアイオーンの姿を目にする。


「おい、大丈夫か?」


 話しを聞いていて眠くなってしまったのかと思ったオルタは、軽く声を掛けながら彼の身体を揺すってみた。


 しかし、完全に脱力しているアイオーンは、じっと目を閉じたまま、反応しない。


「兄ちゃん? 兄ちゃん!?」


 クラリスが慌てた様子で駆け寄ってくる。


 そんな彼女と同じように、焦りを感じていたオルタは、ふと、アイオーンの左腕に目をやると、赤い光が消えていることに気が付いた。


 タシェルやカリオス、ミノーラが心配そうに集まり出したその時、オルタは目の前の異変に息を呑んだ。


 翼や尻尾、全身を覆っていた鱗など、元々のクリスの身体には無かったものが、ゆっくりと体の中に溶け込んで行ったのだ。


 みるみるうちに元の姿に戻った少年、クリスが、ゆっくりと目を開けると、寝ぼけたような表情でオルタ達を見渡す。


 そして、しゃがれた声で、語りかけて来る。


「……皆、なんか久しぶりやね。クラリス、俺、生きとったよ。じゃけん、泣かんで良いとばい」


「兄ちゃぁぁぁん!」


 泣きわめくクラリスの姿を見て、思わず目頭が熱くなったオルタは、泣くのを堪えながらクリスの頭を強く撫でまわしたのだった。


「うわっ! オルタ! やめろ!」

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