第272話 膝元
ほぼ全ての変異種を捕らえることに成功したオルタ達は、一度、精霊協会に向かうことにした。
現場で指揮を執るノルディスと別れ、三人は小走りで街へと戻る。
焦げ臭い街中を進み、難なく協会に辿り着いたオルタは、躊躇うことなく扉をあけ放つと、中へと踏み込んでゆく。
後ろからミノーラとアイオーンが着いて来ているのを確認しながら、協会の中を見渡した。
「オルタさん! 無事でよかった! もう終わったの?」
部屋から部屋へと忙しなく駆け回るタシェルを彼が見つけた時、同じように彼女もオルタに気づいたらしく、小走りで駆け寄ってくる。
エプロンを付け、紐で服の袖を縛り上げている彼女の姿に、思わず動揺しかけたオルタだったが、すぐに気を取り直した。
見慣れないポニーテール姿を褒めたい衝動に駆られるが、今はそれどころでは無いだろう。
「終わったぜ、今はノルディス長官が後片付けをしてるところだ。それより、俺達にも何かできることは無いのか?」
見るからに手が足りていない周囲の状況を見渡し、オルタは提案する。
それに賛同するように一歩を踏み出したミノーラとアイオーンが、2人して頷いている。
しかし、タシェルから帰って来た返事は、オルタの想像していたものでは無かった。
「実はね、全員揃ったら話したいことがあるって、ドクターファーナスが言ってるの。着いて来て、カリオスさんとドクターファーナスが奥にいるから」
そう言ったタシェルは、ツカツカと廊下の奥に向かって歩き始めた。
そんな彼女の後姿を見たオルタは、同じく隣でキョトンとしているミノーラやアイオーンと目を合わせる。
仕方なしとばかりにタシェルの後を追った三人は、廊下に横たわっている患者を踏まないように気を付けながら、先へ進んだ。
そうして、導かれるままに一つの部屋へと入ると、そこには施術中のドクターファーナスと、雑用をこなしているカリオスとクラリスが居た。
流石にその状況で話しかけることは出来ないらしく、タシェルは少し離れた位置で待機している。
自然とタシェルの近くに向かったオルタ達は、静かに施術が終わるのを待った。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
何もせず、突っ立っていることにオルタが罪悪感を覚え始めた頃、ドクターファーナスが深く息を吐きながら、ゆっくりと顔を上げた。
患者の傷口を見るために、中腰を続けていたのが堪えたのだろう、腰を摩りながらオルタ達の方へと目を向ける。
「全員揃ってるみたいね。私も少し休みたいから、奥の部屋で話しをしましょう」
それだけを告げた彼女は、ソロソロと廊下に向かって歩き出した。
そんな彼女を気遣ってか、カリオスがそっと寄り添ったかと思うと、身体を支えるように歩き始める。
二人の後について歩いたオルタ達は、一つ隣の部屋に入ると、椅子に座るように促された。
そうして、全員が一息吐いた時、ドクターファーナスがゆっくりとしたテンポで話し始める。
「皆が元気そうで良かったわ。それに、無事に助け出すことが出来たみたいで、本当に良かった」
言いながら安心したのか、彼女の表情がゆっくりと柔らかく解けて行く。
それと同時に、積もりに積もった疲労が、一気に滲み出てきたようにオルタは見て取った。
沢山の人々を治療してきたのだろう、その間ずっと気を張り続けていたのならば、並大抵の疲労ではないはずだ。
オルタがそのような事を考え、こうして話をすることすら申し訳ないと思い始めた時、同じことを思ったのか、ミノーラが口を開いた。
「ドクターファーナス。凄く疲れてるみたいですけど、大丈夫ですか?」
「ミノーラちゃんは優しいのねぇ。私なら大丈夫よ。それに、あなた達にこの話をしないと、休むにも休めないわ」
「……それはどういう意味ですか?」
ドクターファーナスの含みを持たせた言い方に疑問を投げ掛けたのは、タシェルだった。
全く同じ疑問を抱いたオルタは、すかさずドクターファーナスに視線を向ける。
対するドクターファーナスはと言うと、複雑そうな表情を浮かべたまま、目を閉じ、静かに呟いた。
「ハリスと、連絡が取れなくなってしまったの」
その言葉の意味を測りかねたオルタは、少しの間考え込む。
そして、ようやく違和感を抱いたのだった。
精霊協会であるこの場所で、一度もハリスの姿を見ていないこと。
恐らく、例の根っこによる襲撃がボルン・テールでも発生したのだろう。
だからこそ、大勢の怪我人が出ており、ドクターファーナスが治療に当たっている。
だとするならば、精霊協会の会長であるハリスが、全く姿を見せないのは明らかにおかしい話ではないか。
オルタですら気づいたその事実に、タシェルやカリオスが気付かない訳もなく、2人は眉をひそめながら何やら考え込んでいる。
あるいは、二人は早い内からそのことに気づいていて、既に何かしらの推測をしていたのかもしれない。
「ハリス会長と連絡が取れないんですか? どこに行ったんでしょうか?」
首をひねりながらそう告げるミノーラは、オルタと同じく、今そのことに気づいたのだろう、答えを求めるようにドクターファーナスに視線を投げている。
そして、部屋に沈黙が訪れる。
自然と全員の視線がドクターファーナスに注がれると、それらの視線に耐えかねたのか、再び彼女が口を開いた。
「あなた達がここを出て少し経った頃、ハリスはミスルトゥへの救援と同時に、調査を行うって言っていたわ。そして、彼を含む調査隊がここを立って数日後、ミスルトゥが急激に成長を始めたの」
ミスルトゥが成長を始めたタイミングと、ハリス会長が調査に出たタイミングが、ほぼ一致する。
オルタは今しがた聞いた話を聞いて、そのように理解した。
「ってことは、ハリス会長の調査が原因で、ミスルトゥがこんなことになってんのか!?」
驚きのあまり声を上げたオルタは、皆から注がれる視線を受け、今の発言が失敗だったことを悟る。
「すまない。そんなつもりじゃなかったんだ」
「良いのよ。正確なところは私にも分かっていないのだから。それに、あながち間違いでもない気がしているの」
頭を下げながら謝罪の言葉を口にしたオルタは、ドクターファーナスから帰って来た言葉を聞き、思わず顔を上げた。
彼女は苦い物でも食べたような表情を浮かべながら、深いため息を吐くと、オルタ達を見渡しながら告げる。
「できれば……こんなことは頼みたくないのよ。私がもっと若ければ、自分で行って確かめに行くわ。だけど、今の私じゃあ、ミスルトゥに向かっても、足手まといになってしまう。それに、今この場を離れるわけにはいかない。それはマーカスも同じ。だから、あなた達にお願いしたいことがあるの」
言葉に詰まりながら、ゆっくりと告げたドクターファーナスは、今一度深呼吸をすると、オルタ達をじっくりと見回した。
椅子の肘掛けを、強く握り締めている彼女の様子を見たオルタは、込み上げて来るものを感じながら、待つ。
「どうか、ハリスを助けに行ってくれないかしら。きっと、ミスルトゥはとても危険な状態になっているはず。だから、断っても良いわ。だけど、あなた達なら……」
「行きます!」
ドクターファーナスの言葉を遮るように声を張り上げたのは、尻尾をブンブンと振りまくっているミノーラだった。
自信満々に言ってのけるミノーラの姿を見たオルタは、思わず笑みを溢しながら、タシェルと視線を交わす。
カリオスもアイオーンも、タシェルも、そして、オルタも。
その部屋には、誰一人として反対する者は居なかった。
何度も頭を下げながら礼を告げるドクターファーナスの膝元に、黒くて小さな染みが出来ていたのだった。
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