第249話 凍結

 影の中をミノーラは駆ける。


 そんな彼女に向かって、大勢のジェリックが突撃を仕掛けて来るが、ミノーラはそれら全てを無視した。


 様々な角度から振り下ろされる短刀の攻撃は、ミノーラに触れた瞬間、影の霧となって散らばってゆく。


 それらの霧は空間に溶け込んでゆくまでの数秒間、その場に漂っているようだ。


 しかし、それが原因でニオイが薄れることは無かった。


『隠れても無駄です!』


 届かない言葉を心の中で叫びながら、霧で視界の悪くなった中を直進しているミノーラは、不意にジェリックのニオイが高く跳躍したことに気づいた。


 咄嗟にその場から飛び退いたミノーラは、体の向きを変えながら着地を決める。


 そうして、彼女自身が元居た場所に強いニオイが着地したことを確認しながら、思い切り飛び掛かった。


 跳躍の後、ミノーラを狙ったであろうジェリックの短刀は空を切り、着地で霧が舞い上がる。


 そうして舞い上がった霧の中からジェリックに向けて飛び掛かったミノーラは、彼のしなやかな左腕に喰らいついたのだった。


 ミノーラに飛び掛かられた反動で、ジェリックは体ごと右側にバランスを崩し、屋根の上を転がる。


 そんな彼に喰らいついて話さないように、ミノーラも屋根を転がった。


 しかし、ジェリックがただ食らいつかれているわけが無い。


 転がりながら右腕で短刀を握り締めた彼は、自身の左腕ごと、ミノーラの頭を串刺しにしようと腕を振り上げる。


 そんなジェリックの右腕を確認したミノーラも、傍観するつもりは無い。


 転がりながらもなんとか後ろ足で踏ん張った彼女は、回転を止めようとする反動を利用して、勢いよく影の中から飛び出る。


 もちろん、ジェリックの右腕に喰らいついたままだ。


 突然、影の中から飛び出した二人は、ほんの数秒、宙に浮いた。


 それほどまでの勢いがあるとは思っていなかったミノーラは、一瞬驚きを抱いたが、すぐに頭を切り替える。


 同じく驚いた状態のジェリックの目を盗み、彼の右腕に自身の尻尾を伸ばした。


 思い切り体をねじり、何とか尻尾の先端がジェリックの手首に触れた瞬間、強い衝撃が二人を襲う。


 着地による衝撃で、一瞬顎を緩めそうになってしまうが、何とか堪える。


 彼女が堪えたせいでジェリックは左腕に痛みを覚えたのだろう、我に返ったのか、勢いよく右腕を振り下ろした。


 瞬く間も無いほどの勢いで振り下ろされた短刀の切っ先が、彼女の頭を貫かんとするその瞬間、ミノーラは思い切り尻尾を動かした。


 当然、彼女の尻尾に吸着しているジェリックの右腕は、半ば強引に明後日の方向へと伸ばされる。


 急激に変な方向に腕を動かされたせいか、ジェリックは顔をしかめて痛みに悶えだした。


 しかし、ミノーラもまた無傷では無かった。


 振り下ろされた短刀の切っ先は、彼女の頭を貫くことは無かったものの、右目の上部を浅く切り裂いたのだ。


 ジワッと広がる熱と痛みを感じながら、ミノーラはようやくジェリックの左腕から離れる。


「ぐあぁぁぁ……」


「痛ったぁ……」


 ようやく解放された左腕を摩ろうとしたジェリックは、右腕を動かし、悶絶する。


 対するミノーラも、右目の上から垂れて来る血を気にしながら、小さく呟いた。


 無理に体を捻ったせいか、少し胴の辺りに違和感があるが、ミノーラがここで攻撃の手を緩めることは無かった。


 背後でカリオスがこちらの様子を伺っているのを確認し、正面を見る。


 既に満足のいくほど身動きの取れないジェリックを見据え、再び体勢を低く構えると、反撃の余地を与えないように、全力で駆ける。


 咄嗟に身構えようとしたジェリックだったが、既に遅いと言うべきだろう。


 片膝を付いているジェリックの懐に入り込んだミノーラは、その場で勢いよく方向転換する。


 その行動を予想していなかったのか、ジェリックが短く声を上げそうになった時、横薙ぎに広がった彼女の尻尾が、ジェリックの胴を捕らえた。


「行きますよっ! カリオスさん!」


 ミノーラの尻尾によって引っ張られたジェリックは、横回転の勢いのままに、背後にいるカリオスの方へと飛ばされた。


 勢いよく放り投げられたジェリックが、緩やかな弧の頂点に辿り着いた時、カリオスの構えていた籠手から、激しい音が鳴り響く。


 バリバリバリと聞こえたその音は、籠手の先端から夜空に向けて、まるで波のように広がった。


 そうして、その音に包まれたジェリックの体は、瞬く間に凍り付いて行ったのだった。


 ドンという固い音とともに、固まってしまったジェリックがカリオスの近くに落下する。


 直後、カリオスとミノーラの間に沈黙が広がった。


 動かなくなったジェリックを見て、警戒を緩めたミノーラは、キラキラとした小さな何かが降り注いでくる中、カリオスへと歩み寄る。


「カリオスさん、クラリスちゃん、無事ですか?」


「ミノーラ! 怪我してる!」


 心配して駆け寄ったはずのミノーラは、逆にクラリスに心配されたことで、たじろいでしまった。


 カリオスも、ミノーラの右目の上の傷跡を痛々しそうに見ている。


「私は大丈夫ですよ。あとでタシェルかアイオーンに言って治療してもらいますから。それより、これって本当に生きてるんですか……?」


 そう言ったミノーラは、傍に横たわっているジェリックを見ると、確認するようにカリオスを見上げた。


 問われたカリオスは、ため息を吐きながら首を傾げている。


「まぁ、アイオーンに相談してみましょう。ダメだったら、その時は仕方がないです。イルミナさんには怒られるかもですけど……」


 ミノーラの言葉を聞いてカリオスが頷く。


 そして、二人は互いに頷き合うと、未だに戦闘の続いている通りへと視線を落とした。


 激しい音と衝撃を立てながらオルタが戦いを繰り広げている。


 その様子を見ながら、クラリスへと視線を移したミノーラは、どこか安心できた気がしたのだった。

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