第248話 嗅覚
カリオスと頷きあったミノーラは、間髪入れずに影の中へと潜り込むと、周囲を見渡した。
音の無い世界で見失ってしまえば、追いかける術が無くなってしまう。
そんなわけにはいかないと気を引き締めた彼女は、走り去ろうとするジェリックの後ろ姿を見つけ、追いかけ始める。
一度も振り向く気配を見せることなく、ただ走り続けるジェリックは、カリオスやミノーラの相手をするつもりは毛頭ないらしい。
その姿に、小さな憤りを覚えながらも、瞬く間にジェリックへと追い付いたミノーラは、心の中で声を上げながら飛び掛かった。
『仲間を置いて行くつもりですか!』
ジェリックからすれば、彼女の奇襲に気づく術は無かっただろう。
音が無い世界で、周囲の様子に気を配らない者が、奇襲に気づくわけが無い。
それは、頻繁に影の世界に潜るミノーラだからこそ、理解していることだ。
だからこそ、彼女は自身の持っていた確信が、泡のように消え去ってゆく感覚に戸惑い、混乱した。
飛び掛かったジェリックの体が、煙のように消え去り、彼女の顎は空を喰らったのだ。
『え? 消えた?』
短く抱いた疑問が、彼女に最悪な展開を予測させる。
勢い良く背後を振り返った彼女は、視界の端でその様子を見た瞬間、影から顔だけ出すと、大声で叫ぶ。
「カリオスさん!」
彼女の声を聞いたのだろう、カリオスが腰のポーチに手を伸ばしながら振り返る。
そんな様子を悠長に眺めることなどせず、ミノーラは即座に影の中へと潜り込むと、全力でクラリスの元へと走り出す。
カリオスにしがみついて怯えているクラリス。
そんな彼女のすぐ隣で身構えているジェリックと、視線が合った。
ニヤリと笑みを浮かべるジェリックは、足元に映っているクラリスに向けて、ゆっくりと手を伸ばし始める。
『まずい! クラリスちゃん! カリオスさん!』
このままでは再び、クラリスが捕まってしまうかもしれない。
焦りに身を任せるように駆けた彼女は、今にもクラリスに触れそうなジェリックの指先を凝視する。
そして、彼女は大きな違和感を抱いた。
ニヤニヤと笑みを浮かべるジェリックは、こちらを見つめながらクラリスに触れようとしている。
その光景をみているうちに、彼女は何故か、危険を感じたのだ。
同時に、既視感を抱いた彼女は、同じようなジェリックの姿を先程見たことを思い出す。
『ニセモノ!?』
思わず足を止めようとしたミノーラだったが、結局、そのままジェリックに向けて突進した。
『やっぱりニセモノ! でも、見た目じゃ分からない!』
体当たりと同時に霧散してゆく影を目にし、ミノーラは独白する。
『ジェリックってこんなことも出来たんですね……って、カリオスさんは影の中で戦ったわけじゃないから、知る訳ないか』
厄介だと心の中で漏らした彼女は、再び現れたジェリックの姿を目にし、目を忙しなく動かす。
彼女とカリオス達を囲むように四方に現れたジェリック達は、全員が腕組みをしながらゆっくりと歩み寄ってくる。
しかし、そのうちのどれがジェリック本人であるか、ミノーラには見当もつかなかった。
どれもが同じように歩き、武器を構え始める。
『どうしよう……アイオーンなら、見分けることが出来るのかな……』
そんなことをふと思った彼女は、アイオーンの言っていたことを思いだした。
『命のニオイ……だったっけ?』
思いだした言葉を頭の中で反芻しながら、彼女は鼻で深く息を吸ってみた。
しかし、影の中だからだろうか、これと言って特徴的なニオイを感じることは出来ない。
寧ろ、いつもよりも利かない気がする。
思い付きで何とかなると思うことがダメなのかと、ミノーラがため息を吐いた時、ジェリック達が一斉に動き出した。
堰を切ったように走り出した四人は、武器を構え、ミノーラに向けて振りかぶっている。
そうして、振り下ろされる短刀を右に左に飛び回りながら避けた彼女は、勢いのまま、ジェリック達に喰らいつこうとした。
案の定、四人とも偽物だったらしく、先ほどと同じように霧散してゆく。
漂う影の霧越しに、更に数の増えたジェリックの姿を見て、ミノーラは苦笑いを浮かべ、ため息を吐く。
『もういい加減にしてほしいな……』
諦めるわけにはいかないとばかりに大きく深呼吸をしたミノーラは、大量の空気を吐き出しながら、大きな変化に気が付いた。
大きく息を吸った時、何か嗅いだことの無いようなニオイを感じたのだ。
『あれ?』
それが、アイオーンの言うニオイと同じものなのか、ミノーラには分からない。
一つ言えることがあるとするならば、ニオイの先にいる一人のジェリックと目が合った。
それだけだ。
『……良く分からないけど、分かるようになったって事ですかね?』
そう言って自分を納得させたミノーラは、一段と体勢を低くし、攻撃の構えを取ったのだった。
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